連載小説『エフェメラル』#13(最終話)
第13話(最終話) 旅の終わり
ジルはミジュの処置のために部屋に残った。ゲンソウ、レニー、リン、そしてラウラはミジュの部屋から出てゲンソウの執務室に向かった。4人は執務室のソファーに座ってジルが戻ってくるのを待った。
「ラウラ様の復活までに、あまりに多くの時間がかかり過ぎたのかもしれません」
ゲンソウが低い声で言う。
「いえ、そんなことはありません。ミジュも私も、今日の再会の喜び、そして別れの悲しみのためにこの数百年を過ごしてきました。結局、私たち人間はこの一瞬に生じる感情の中でしか生きることはできないのです」
ラウラの言葉が部屋の中に響く。
しばらくすると、ジルが処置を終えてゲンソウの執務室に戻ってくる。
「ただいま戻りました」
「ご苦労だった。ジルも座りなさい」
ゲンソウに従い、ジルはソファーに座る。
「ジルさん、ミジュと私のためにご苦労をおかけしました。改めてお礼を申し上げます。ありがとうございます」
ジルはラウラの言葉に首を振る。
「苦労なんて、それほどのことはしていません。ただ、大切な人を失ってしまったことはとても残念に思っています」
「ユーヒさんのことですね」
「はい。でももう彼女は戻ってきません。諦めはついています」
ジルは大きく深呼吸をして自分を落ち着かせた。そしてエマの事を思った。エマはユーヒが失われるところに立ち会っていた。きっと心に深い傷を負っているはずだ。
「私からみなさんに、一つお願いがあるのですがよろしいでしょうか?」
ラウラが改まって言った。
「もちろんです。なんでもお申し付けください」
ゲンソウが答えると、ラウラは少し考え込む素振りを見せてから、その場にいた全員に自身の願いを伝えた。
〇
月の港から街へ向かったエマは、高速エレベーターで月の下層7Fに来ていた。息子のルカを預けている施設に着くと、事務員の女性に要件を告げる。
「エマニュエラ・コーディナルです。息子のルカ・コーディナルに会いに来ました」
事務員はエマに訊き返す。
「見学ではなく、面会ということでよろしいですよね?」
「はい」
事務員は電話を取って面会スペースの空きを確認し、ルカの担当職員に連絡を入れた。5分ほど経って、事務員がエマに声をかける。
「準備が整いました。面会スペースにご案内します」
事務室から出てきた女性の後ろについて、エマは面会スペースまで案内された。テーブルが5つほどある広い場所だった。中庭に面した大きな掃き出し窓があり、外からの光が存分に差し込む。会議室というよりはカフェスペースのようだ。その最奥のテーブルに、中庭を見つめるルカの姿があった。事務員が去り、エマは一人でルカに向かう。
「ルカ……」
エマに声をかけれたルカが振り返る。エマと視線を交わしたルカは、立ち上がり、エマに歩み寄ってエマに抱き着いた。
「母ちゃん、会いたかったよ……」
ルカはその大きな体に似合わない大声で泣いた。エマより頭一つ大きな体の息子を、エマも強く抱きしめた。
「泣くなよ。でかい図体して」
そう言ったエマの目からも涙があふれ出た。
「会いに来なくてごめんな。母ちゃんも会いたかった」
置いて行ってごめん。もっと早く会いに来ればよかった。これまでのこと許してほしい。エマの頭の中は様々な想いが交錯していたが、何よりも今こうしてルカと抱き合える喜びが心を満たした。
エマとルカはこれまでの時間を埋めるように互いのことを語り合った。
ルカは一度だって母親に会いたいと言ったことはなかったと、後で話をしたルカの担当職員から聞いた。それは自分のために働いている母に迷惑をかけまいとするルカなりの心遣いだったのだろう。
二人は5時間以上話をした。夕飯の時間が近づいたため、エマは帰ることにした。
「また来るからな」
「うん。でも、無理しなくていいから」
「無理なんてしない。もう、会わないことが無理になった」
エマとルカは別れ際にも強く抱き合った。
施設を出たエマは高速エレベーターで地上に戻り、次の仕事を探すために月のトラック組合の事務所に寄った。
「アル、いるか?」
エマが声をかけると、事務所の奥から管理責任者のアルコットが眠そうな目を擦りながら出てきた。
「おお、エマ。ずいぶん久しぶりだな。まあ、座れ」
事務室のソファーに座ったエマに、アルコットは淹れたばかりのコーヒーを出した。
「最近どうだ、調子は?」
「悪くはないな。さっき息子に会ってきた」
「そうか。ルカくんに会って来たのか。それはずいぶん前進したな。何かきっかけでもあったのか?」
コーヒーを口にしたエマは、その苦さを味わうように飲んでから答える。
「地球に行ってきたんだ。その旅の中でいろんな奴と話して、まあ、吹っ切れたって感じだな」
「それは良かった。じゃあ、前に来たときに話してたヒッチハイクの女の子の問題も解決したってことなのか?」
「それは……そうだな。面倒を見てやったけど、最悪の形で終わった。そう、もう終わった話だ」
「悪い。またおれは地雷を踏んじまったかな」
アルコットはバツの悪そうな顔をする。
「いや、そんなことねえよ。何をどうしたって変えられないことがある。それをあたしは学んだってことだ」
「なるほどな。どうだエマ。今から飲みに行かねえか? 奢るぜ」
「アル、お前も知ってるだろ、あたしが酔えねえって」
「ああ。それでも飲みたいときがあるだろう。今日がたぶん、そんな日だ」
エマが頷き、二人が外に出ようと立ち上がったとき、事務所の電話が鳴った。
「悪いエマ、この電話だけ取っていく。はい、トラック組合です」
再びソファーに腰を下ろしたエマは、どこの店に行こうか考えを巡らせた。アルコットの電話は思いの外長く、なにやら込み入った依頼のようだった。
「ええ、はい。それはエマじゃなくちゃダメな仕事なんですか? まあ、分かりました。本人には話してみますが……はい。返事は明日ということで。それでは」
電話を切ったアルコットは首を傾げ、ブツブツと独り言を言っている。
「何だアル? 今、あたしの名前を出してなかったか?」
「ああ、そうなんだよ。なんだか怪しい感じのおっさんでな。どうしてもエマに運搬を頼みたいって言うんだよ。だけどなあ……」
言葉尻を濁すアルコット。
「何だ、言ってみろよ」
「何を運ぶのか聞いたら、それは企業秘密だから直接エマにだけ話したいと。さらにその運搬先が土星区だって言うんだよ。ここから何カ月かかるか分かってんのかな、あのおっさん。明日の10時にここに来るっていうんだけど、どうする?」
確かに怪しいとエマも思う。そういう依頼は犯罪絡みのことが多い。
「金になるのか?」
「それも交渉次第だと」
「よしわかった。話だけでも聞いてやろう。犯罪の匂いがしたら即断る」
「じゃあ決まりだな。今日はもう店じまいだ。ガッツリ飲むぞ!」
戸締りをしたアルコットは事務所の鍵を閉め、月一番の繁華街へ向けて二人は歩き出した。トラック運転手が多く集まるなじみの店で、エマは多くの同業者に囲まれて楽しく飲み続けた。もう、旅は終わったんだ。明日からまた日常に戻る。そのために飲みまくって全て忘れる。アルコットが酔いつぶれて寝てしまっても、エマは飲み続けた。しかし、いくら飲んだところで、酔えない体では旅の全てを忘れることはできなかった。
☆
翌日、エマはトラック組合の事務所のソファーで目を覚ました。アルコットは事務所の仮眠室で寝ている。事務所に着いたのが明け方の4時。目を覚まして時計を見ると、すでに9時を回っていた。
「ああ。エマ、おはよう」
仮眠室から出てきたアルコットが赤い目をしてエマに挨拶をする。
「おはよう。良かったな、あたしが一緒にいて。あのままだったら店の外で朝を迎えているところだったぞ」
「ああ、悪いな。あと、誰だっけ? ああ、ハッサンが一緒に運んでくれたんだよな」
だいぶ飲んでいたがアルコットの記憶は確かなようだ。今日の約束も忘れてはいないだろう。
「あと少しで約束の10時だ」
「ああ。ヤバそうなやつだったら即刻断れよ」
アルコットは冷蔵庫にあった冷えたミネラルウォーターを飲みながら言った。
約束の10時になった。事務所の電話が鳴りアルコットが対応する。
「トラック組合です。はい。どうぞ、事務所までお入りください」
電話を切ったアルコットは、エマに「来たぞ」と一言だけ言って給湯室でコーヒーを準備した。事務所の入り口から、白髪の男が入ってくる。エマが見たことのある制服に身を包んでいた。
「はじめまして、ですね。私、マイルス商会のゲンソウという者です」
男がエマに右手を差し出す。エマは警戒しながら手を握った。二人はソファーに座る。アルコットはコーヒーをテーブルに置いてからエマの隣に座った。
「あんた、ジルとリンの上司か?」
「良い観察眼です。あなたも元兵士でしたね」
「まあな。で、マイルス商会が何の用だ? 確か前に言ったはずだぞ。マイルスの仕事は受けないって」
「そう言わずに。話だけでも聞いていただけませんか?」
ゲンソウは両手を膝の上で組み、微かな笑みを浮かべながら言う。
「今回の依頼は、我が社の最高機密を輸送してもらうことです。報酬も、通常の50倍をお支払いしましょう。目的地は土星区。もし、仕事を受けていただけるのであれば、我が社にお越しいただき詳細について対象物をお見せしながら説明します」
「ここじゃ言えねえくらいヤバい物だってことか?」
「ええ、まあ」
ゲンソウはアルコットに視線を向ける。
「依頼を受けるのはエマだ。任せるよ」
アルコットはそう言ってコーヒーを飲む。
エマもコーヒーを飲んで考えを巡らせる。最高機密をエマに任せるということは間違いなくラウラ絡みの話だ。エマはそう考えた。
「わかった。じゃあ、会社まで行こう。最終決定はそのときでいいか?」
「もちろん構いません。ただ、詳細を知ったらあなたはこの依頼を断り切れなくなると思いますがね」
含みのある言い方がエマの癇に障ったが、とにかく話だけは聞こうと決めた。
外には見たことのあるマイルスの送迎車があった。エマとゲンソウは後部席に乗り込み、マイルス商会本社へ向かった。
エマは本社にあるゲンソウの執務室に案内される。ゲンソウが部屋からレニーに連絡し、対象物を持ってくるように指示をした。数分後、レニーが執務室に到着する。
「ゲンソウ様、レニーです」
ゲンソウがレニーに入室の許可をする。入ってきたのは見覚えのある4人だ。レニー、ジル、リン、そしてラウラだ。
「なんだ、お前らか。ゲンソウ、このメンバーを揃えて何しようっていうんだ? 旅の思い出話なんて御免だからな」
ソファーに座ったのはラウラだけだった。そのラウラが話始める。
「エマさんが私と顔を合わせたくないことは分かっているつもりです。でも、これが最後です。私のお願いを聞いてほしいのです」
「こちらのお願いは聞いてもらえなかったのに、そちらのお願いばかりでは不公平じゃねえか?」
エマはラウラの後ろに立っているリンを睨みつける。
「確かにそのとおりです。こちらのわがままであることは百も承知でお願いしたいのです」
ラウラの顔がユーヒに見えてしまうエマはラウラの顔を直視できない。ラウラから目を逸らしたままエマは答える。
「言うのは勝手だ。それを受けるかどうかはあたしが決める」
ラウラは少しホッとした表情で話を続けた。
「エマさん。私とリンを土星区のテティスに連れて行って欲しいのです」
「なんで今さらテティスなんだよ」
エマはラウラがユーヒの故郷の名前を出したことに怒りを覚える。
「テティスに行く理由は……私の故郷だからです」
「お前の故郷は地球だ。頭がおかしくなったか?」
「いいえ。私の故郷はテティスです。私はそこにあるカミラ財団の施設で育ちました。ある日、月の女王から呼び出された私は、火星で赤い髪の強くて優しいお姉さんの船に乗せてもらいました。そこから旅が始まったのです」
「それはお前じゃない。そいつはもうこの世からいなくなった。もう二度と会えないんだ。だから、それ以上嘘をつくのはやめろ。そうじゃないとあたしは……」
エマが顔を上げてラウラを睨む。ラウラの青い目からは涙が流れ落ちている。ジルが微笑んでいる。レニーも笑っている。リンは、下を向いたまま動かない。
「嘘だろ……そんな訳ない。だって、ユーヒはあのとき……」
困惑するエマにジルが説明する。
「エマ。ラウラ様の復活は失敗したの。目の前にいるのはラウラ様じゃない。紛うことなき、正真正銘、私たちが知っているユーヒちゃんなんだよ」
「エマ、騙しててごめん」
エマは立ち上がり、ユーヒに歩み寄る。
「立て」
顔をしかめたエマの口からは今にも怒号が発せられそうだった。
ユーヒは眉を寄せて立ち上がる。
「目を閉じろ」
エマは右手を頭の上に振り上げて言った。エマの言葉に従い、ユーヒはうつむいて目を閉じる。
目を閉じたユーヒを確認したエマは振り上げた右手でユーヒの頬にそっと手を触れた。
「ばかやろう。もう二度と、あたしに嘘をつくんじゃないよ」
「うん」
二人は互いの存在を確かめ合うように抱き合った。
二人の様子を見ていたゲンソウが思い出したようにエマに話しかける。
「ではエマさん。今回の依頼、受けていただけますか?」
ユーヒを自分の胸から離したエマはゲンソウと向き合う。
「当然だ。ユーヒを故郷に送るまでがあたしたちの旅だからな。でもどうしてリンも一緒なんだ?」
「おれはユーヒを守ることが仕事ですから」
ジルがリンの話を補足する。
「エマは人を運ぶのが仕事じゃないって前に言ってたでしょ。だから、我が社とグルーム社の共同開発、しかも最高機密に該当する製品を運んでもらうってこと」
ジルはそう言ってリンと目を合わす。
「ああ、そう言うことなら納得だ」
リンがエマに近づき、右手を差し出す。
「まだまだ改良の余地はあると思いますが、テティスまで運んでいただけますか?」
「ああ。最高機密に銃をぶっ放して傷をつけてしまった借りもある。どんな精密機器よりも丁寧に送り届けることを約束する」
エマも右手を出して力強く握手をした。
「では決まりです。出発の日は、三人で決めてください」
エマは頷き、再びユーヒを抱き締める。
「ユーヒ。乗りかかった船には、最後まで一緒に乗っていてくれ」
∞
エマの船がユーヒとリンを乗せて出発する日、月ではミジュ・マイルスの葬儀が執り行われていた。月全体が喪に服し、マイルス商会本社から葬儀場へ運ばれるミジュを見送るため、大通りは多くの参列者で埋め尽くされている。
多くの企業が活動を休止していた特別な日にも物流は止まることなく、月の港にはひっきりなしにトラックが出入りしていた。
「ユーヒもリンも良かったのか? こんな日に出発して」
港の待機所で出航を待つ船の中、エマは運転席からリビングにいる二人に問いかける。
「いいの。私たちみたいな『最高機密』にとっては、こんな状況に紛れて月を発つ方が目立たなくて済むからね」
ソファーに座るユーヒが答える。
「そんなもんか。お、出航の許可が出たな」
船のエンジンを起動したエマはハンドルを切って出航ゲートに船を移動させ、タッチパネルで目的地を土星区のテティスにセットした。
「よし、出発するぞ」
エンジンが出力を上げて船が徐々に加速する。カタパルトの誘導灯を通り抜け、船は真っ暗な宇宙へと飛び出す。右側のモニターから青い地球が大きく見えた。
三人は無言で地球を見つめる。青い星が少しずつ小さくなり、数分後には宇宙の闇に消えた。
「地球に行ってたなんて、遥か昔のことのように思う」
ユーヒが少し寂しそうに言った。
「いろんなことがあり過ぎたんだ。特にユーヒにとってはな」
運転席からリビングに来たエマがそう言ってソファーに座る。
「今さらなんだが、ユーヒがラウラにならなかったこと、みんないつから気がついてたんだ?」
エマはユーヒとリン、二人に向かって訊いた。
「ジルたちにはミジュ様が亡くなったあとに話した。それまでは誰も気が付いてないと思うよ。あ、リンは別ね」
「おれはずっと知ってました」
「でもどうやって? あたしもユーヒにラウラのデータを送り込んだところを見ていた。あの機械から出てきたのはラウラそのものだったと思ったんだが」
ユーヒとリンは顔を見合わせる。
「機械に入る前に、リンと私はラウラ様の復活が失敗することを想定して約束事を決めたんです」
「機械から出て来た時におれがユーヒにネックレスを渡したのを見てましたか?」
エマの記憶にもそのやり取りは鮮明に残っている。
「ああ、見てた。それがどうかしたのか?」
エマはユーヒの胸に光っているブルーガーネットに目を向ける。
「もしラウラ様の復活が失敗してユーヒのままであったのなら、そのネックレスを首に着け、右手でブルーガーネットを握るように決めてたんです。それがおれとユーヒの約束事でした」
「本当だったらラウラ様の復活が失敗した時点で私はリンに抹消されなければならなかった。それを避けるためにはラウラ様が復活したことにしなければならない。そこからミジュ様に会うまでは誰にもバレないようにラウラ様を演じていたっていうこと」
「演じてたって言うけどな、あたしにはお前が演技をしていたようには全く見えなかったぞ。なんて言うか、本当に『人が変わった』ように見えた」
エマは人を見る目には自信があった。だからこそ、ユーヒを失ったという事実に打ちのめされたのだ。怪訝そうな顔をするエマにユーヒは説明する。
「演じてたって言うのは半分本当で半分が嘘かな。ラウラ様のデータ転送は成功していた。私の中にはラウラ様の記憶や人格、想いが確実に存在する。だからラウラ様の気持ちになって行動していたんだ」
「ラウラが復活しなかった原因はなんなんだ?」
「あの機械の中で、私はラウラ様と会った。そのときにしたラウラ様との会話で、ラウラ様は私にこの身体を譲ってくれたんだよ。『偽物としての義務を果たせ』っていうラウラ様の言葉を胸に、私はミジュ様と向き合った」
「ミジュにはバレなかったのか?」
ユーヒとミジュの面会に立ち会っていないエマは、それも疑問だった。ラウラのことを最も良く知るミジュを騙せていたとは思えない。エマの質問にリンが答える。
「傍からみた限りでは、ミジュ様は気がついていないようでしたが――もしかしたら、気づかないふりをしてユーヒとのやりとりに付き合ってくれたのかもしれません」
「そんなことあるか?」
「はい。ミジュ様が400年以上もマイルス商会のトップでいられたのは、再生医療の研究者としてではなく、超人的な観察力と人心掌握能力があったからです。元々の才能なのか、長寿によりもたらされたのかは分かりません。そんなミジュ様だからこそ、目の前にいたユーヒの中にラウラ様の意思を感じ取っていたのかもしれません」
ユーヒはリンの説明に続けて言う。
「ミジュ様と初めて対面したとき、私は心の中まで見透かされたような感覚になった。その時点で、私がどんな形であれラウラ様をミジュ様の元に連れてくることは予測されていたってことなんだろうね」
「踊らされてたこちらとしては正直、面白くねえよ。でも気持ちは分からないでもない。生きている実感をもう一度得るまでは死ねなかったってところか」
親愛なる人物にもう一度会いたい。ただそれだけだったんだろう。どんなに立派な理想や計画であっても、動機なんて単純なものなのかもしれない。ミジュもエマと同じ一人の人間だった。それだけの話だ。
エマの船はハイウェイに乗ることなく、ゆっくりとしたスピードで航行した。
途中、火星区のフォボスに寄り、エマの友人であるセリーナと再会した。
「そうかー。大変な旅だったんだねえ。でもこうしてまた会えたのは嬉しいよ。でも、やっぱりリンくんはユーヒちゃんの王子様だったってことだね」
セリーナはユーヒとリンを交互に見て言った。
「いえ。おれはユーヒに救ってもらったんです。ユーヒは道を見失いかけて迷っていたおれを導いてくれた」
「リンくん、いつのまにそんな饒舌になったの? おねえさん、それはそれでショックだわ。イメージ総崩れだよ」
セリーナは分かりやすく落胆した。エマも同じ疑問を持っていた。
「リン、どうしてずっと無口なふりをしていたんだ?」
「ゲンソウに言われていたんです。秘密を守るためには、誰に対しても話さないことが一番だと。口は災いのもとです」
ユーヒも会話に乗ってくる。
「そう、それ地球から戻ってくるときもリンに言われたの。だからエマの船の中でもずっと黙っていたんだよ。私なんか一度口を開いたら止まらなくなるからさ。ラウラ様を演じる上で一番注意していたところだね」
「なんだよ。こっちは傷心の上にお前らに気を遣って話しかけなかったのに。あーあ、なんだかあたしが一番損な役回りだったのかもな」
エマはフゥと大きなため息をついた。
「でもさ、ユーヒちゃんが戻ってきて一番喜びを感じたのはきっとエマでしょ。そしてルカくんとも会うことができたし」
確かにセリーナの言うことはそのとおりだとエマも思う。深い悲しみを知るほど、喜びの尊さを知ることができる。
「そういやリン。ジルとはちゃんと話をしてきたのか?」
エマはジルとほとんど話をしないまま月を離れてしまった。
「ジルとおれの記憶が捏造されたものだとしても、その記憶を共有しているという事実だけ考えれば、それは二人にとって真実だということです。だからジルはこれからもずっとおれの姉貴です」
嬉しそうなリンの顔を見たエマは、それ以上リンに聞くことはなかった。
セリーナの元に数日寝泊まりしてからエマたちはフォボスを発った。
火星区と土星区の中間である木星区で、リンはグルーム社本社に寄り、開発部長のバイラムに自身の状況報告を行い、社内の施設でメンテナンスを受けた。
「これからお前が存在する限り、我々はお前の経過観察と定期メンテナンスを行うことになる」
バイラムの言葉に、リンは無言で頷く。
リンが本社を出発する日、バイラムはユーヒに面会を求めた。
「リンは今後の宇宙史において特異点とも言える存在になるでしょう。ユーヒさんには、リンをしっかりと見守って欲しいのです」
ユーヒは「はい」と短い返事をする。バイラムは付け加えるように言う。
「これは科学者または技術者としての依頼であるとともに……彼の産みの親としてのお願いでもあります。よろしくお願いします」
深く頭を下げたバイラムに、ユーヒも同じようにお辞儀をして船に乗り込んだ。
木星区を離れたエマの船は、最終目的地の土星区・テティスに近づいていた。エマとユーヒが出会った日から1年以上が過ぎていた。
月からここまで来る間、三人は多くのことを語り合った。これまで言葉数を制限していたリンは、ユーヒとエマが想像する以上に深い思慮と人間的な思いやりをもっていることが、その言葉の端々から感じ取れた。生身の肉体をもったエマとユーヒ、完全な人工生命体であるリン。その物理的構成要素以外、互いを隔てるものは何もない。リンはそんな存在だった。
船はテティスに到着した。これまで寄港したどの港よりも小さな港に船を着けるエマ。
テティスの地を踏んだエマは、その風景に懐かしさを感じる。遠くに見える山々に生い茂る木々。丘の麓に建てられた木造建築の街並み。その奥には青々とした湖が見える。
「こういうところが落ち着くってのは、人としての本能なんだろうな」
エマは大きく深呼吸する。
「ここはミジュ様の直轄管理だって聞いた。きっとラウラ様のために配慮して作られ場所なんだろうね」
あの青い星と同じような環境。だからこそ、ユーヒは素直に真っすぐ育ったのだとエマは思う。
「ユーヒとリンは、これからどうするんだ?」
エマは二人に問いかける。
「私とリンは、私の育ったカミラ財団の施設を手伝うことになってる。代表のウィル夫妻も高齢だから、その後を私たちが引き継ぐ予定なの」
「おれもここで落ち着いて人の心を学びたいと思っています」
「そうか。ミジュはちゃんと約束を守ったってことだな」
「うん。まあ、ミジュ様のことだから、施設を廃止する計画自体も取引材料の一つだったのかもしれないけどね」
「確かにな。じゃあ、あたしはもう行くよ」
「え? 少し休んでいかないの? 岩ガニの酢漬けをご馳走しよう思ったのに……」
ユーヒはエマを引き留めようとしたが、エマはそれを固辞した。
「あんまり長居すると足に根っこが生えちまう。それにあたしには待っている人がいるから」
ユーヒもその言葉で決心がついたようだった。ユーヒとリンがエマに歩み寄り、三人で抱き合う。ユーヒとリンの嗚咽が聞こえる。
「私たちのことでエマに迷惑かけたね。本当にごめんなさい。そして最後まで旅に付きあってくれてありがとう」
「感謝するのはこっちだ。お前たちのおかげで、あたしはあたしの人生を取り戻せたんだ。ありがとう」
リンは二人の会話に何度も首を縦に振るだけだった。その仕草はどこまでも人間的だった。
ユーヒとリンはエマと一緒に船の入り口まで歩いた。そこで最後の言葉を交わす。
「私たちは二人とも誰かに似せられて作られた偽物。でも、だからこそ、偽物を貫き通して本物になってみせるよ」
そう言ってユーヒは赤く腫れたまぶたの奥にある青い瞳を輝かせた。
エマは首を横に振って言う。
「出自なんて関係ないさ。お前の胸にある人工の石だってその輝きは本物だ。お前たちの人生は偽りなんかじゃない。あたしの直観がお前たちは本物だって言っている。だから、自信を持って生きろよ。じゃあ元気でな」
「うん。エマも元気でね」
ユーヒとリンは船の入り口から離れ港の岸壁に立った。二人の手がしっかりと繋がれていることを運転席から確認したエマは、二人に向けて右手を上げた。ユーヒとリンは大きく手を振った。船を転回させたエマは漆黒の宇宙に向け船を発進させた。
目的地を月にセットして自動運転に切り替えたエマは、ラジオのチューニングをジャズ専門チャンネルに合わせて地球時代の古いジャズを聴く。ゆったりとしたその旋律に身をを委ねたエマはリビングのソファーに寝転んで微睡んだ。
夢現の中、エマの心身は青い光の海にユラユラと漂っていた。
完