好きなことを見極めるプロセス
自分が所属しているムサビの大学院のコースには、毎週、デザイン領域で活躍されている方々を大学にお迎えして講演してもらう授業がある。
今回は演出家/批評家でイタリア ローマに在住されている多木陽介氏のお話を伺った。(2022年5月16日時点)
Progettazione(プロジェッタツィオーネ)
というイタリア語があるという。意味は、
"プロジェクトを考えて実践する人"
とのこと。
氏は講演の中で、デザイナーはただモノをデザインするだけでなく、物事の本質を掘り下げ、デザインの枠にとらわれずに、目的を達成するために自身の専門領域も超えて活動を行う、そのためには時に人を巻き込みプロジェクト化して推進していくこと、と解釈し、そのような姿勢と行動を推奨されていた。
これは自分も共感できる。えてして、仕事の場においては各個人、部署が専門家、分業化しているため、
「自分はここまでしかやりません、関わりません」
というスタンスに出会うことが多々ある。というか、ほとんどではないだろうか。
新しい価値をつくるようなプロジェクトにおいては、正直こういった状態では非常に困難であるし、もしProgettazioneの概念を持った人がいたとしても、次第に疲れ、埋没してしまうことも少なくはないだろう。
逆に、皆が主体的に、自律的に、プロジェクトに関わることができれば、それは非常にエキサイティングなことだと思う。
自分の経験に紐づけてみると、例えば、新しいサービスを創ろう!とした場合、コンセプトの設計やプロダクト・アプリの仕様を決め、開発していくこと以外にも、同時にコスト回収の仕組みや売り方の戦略、業務プロセスの設計なども必要になってくる。
本当にこのサービスをローンチしたい!と思ったときは、仮に自分がどこかのパートのみを担っていたとしても、全領域にも目が向くし、関わっていきたいと自然と思える。そして、そう思って主体的に越境して関わっていくことは、時間も労力もかかるが、純粋に楽しい。
それを、成長のため、とか昇進や給与などを理由に、上司などからもっと周りに目を配って仕事すべし、積極的に枠を広げるべし、と言われてしまうと頭では分かる気がするが、心が納得しない。なので、よくて言われた人の期待値の範囲に活動はとどまる。
好きなことをやったらいい
これもよく言われることだ。ただ、じゃあ自分は何が好きなのだろう、、と思うこともある。好きなことがよくわからない、今の仕事の中にはないかもしれない、、というケースも多いと思う。
そのような中で、どうやって好きなことの解像度を上げていくかが、このprogettazioneの話の中にヒントがある気がした。
つまり、何かに取り組んでみたときに、自分の専門スキルやロールを超えてでもやりたいと思えるかどうか、というのが、自分の好きを見つける基準になるのではないだろうか。
普段、仕事や私生活、家事育児など、さまざまな場面で人は役割や得手不得手を持って活動している。そのような活動の中で、ついつい役割を超えてやってしまうものがあれば、それが自分の好きなことだ。そうやって、越境できる、したくなる衝動に普段から気を配り、そちらに自分を寄せていくことが、自分の好きなこと、を見つけて実践していくプロセスの1つなのではないだろうか。
そして逆に、やりたくないけど人に期待されていること、は勇気を持って減らしたりやめていくことも、自分の価値観をクリアにすると同時に、体現する時間と労力を捻出するためには必要なことと考える。