〈頭は狂ってから使うもの〉歩いて日本横断しようとしたが途中で諦めた18歳の軌跡
約1000キロの道のり(東京から福岡まで)を歩いていこうとした18歳の少年の軌跡。歩こうと思ったきっかけや道中での楽しかったり、辛かったり、嬉しかったりの出来事を綴ります。
~[矛盾や問題があっても、むしろ受け入れながら先に進む=狂うことこそが生きるということ]に18歳の少年が気付くまでのストーリー~
要点
・頭は狂ってから、行動してから使うもの
・人は独りじゃ不幸せ、幸せとはこれだ!
・目に見えない、言葉にできないものを大切に。
1000キロ歩こうと思った理由
なんで東京から福岡まで1000キロ歩こうと思ったのか?その理由は「分かんない」。別に誰かの刺激を受けたわけでもなく、SNS映えとか目立ちたいとかの理由でもなく、ただただ歩いてみたいなと。そんなきっかけから旅は始まる。
かっこよく1000キロ歩こうと思った理由を言うとしたら、「目に見えない自分の中の何かが1000キロ徒歩旅への一歩を創り出した」って感じ。
【日本横断 徒歩旅】企画の概要
単純に歩いて東京ディズニーランドから福岡まで冬休み期間(二週間)で到達するという企画。ただ、下の写真にもあるけど、1000キロだから1日100キロくらいは歩かないといけない。
普段から3~4時間くらいしか寝なくてほとんど睡眠を取らない生活をしたりしてるし、寝ずに歩けば意外に1日100キロ歩くくらいいけるんじゃないかとずっと思ってた。
笑いあり、感動ありの徒歩旅 1日目~4日目
まず、21日の17時36分に3人で東京ディズニーランドからスタート。
この時は、この先何があるか分からないドキドキ感と福岡に着いた喜ぶ自分の姿を想像して、とにかくワクワクが止まらなかった。
下の写真のように、背中に看板を背負って3人で談笑しながら、ただ歩いていた。
そして2日目の最後、大体80キロくらい歩いた辺りで、15時間共にして歩いてきた2人とは別れた。
ここからまだ残り約1000キロの一人の旅が始まった。
こんな感じで獣道を歩いたり、どしゃ降りの中を歩いたり、30時間くらい歩き続けて120キロ一気に歩いたり、このペースでいけば「絶対福岡つくだろ」なんて思っていた。
一人でガンガン進んでいくのが、正直この時はむちゃくちゃ楽しかったし、怖いものなんか無かったし、旅してるぜ!みたいな感覚だった。
ここで、旅の報告も含めてその時は辛くなかったけど、今思えば大変だったことを一気にあげてみる。
大変だったこと
・冬だから日照時間少なくてすぐ真っ暗になる。
・真っ暗闇の中、携帯の懐中電灯一つで墓地や牧場や獣道を歩いた。
・2週間で福岡につかないといけないから1日100キロ近くは歩くまで寝れない。=最低でも一日に18時間は歩き続けた。
・4日連続で風呂もシャワーも入れなかった。
・余裕で体感温度は氷点下を下回る。野宿は本気で寒かった(笑)
日本ってこんなに優しさに溢れているんだと気付かされた徒歩旅
色んな場所で応援してくれた方、会ったことはない友達の友達のおじいちゃんから静岡辺りで、のし袋に入れてくださったお金を頂いたり、食べ物などまで差し入れしてくれた方、ひざが痛くなってに整骨院いって治療してもらってもお代はいらないから頑張れと応援してくれた方がいた。
他にも信じられないほど色々な人に応援して頂いた。
普段生活していて、日本って冷淡だなと感じる部分は毎日のようにある。ただ、単純に応援されたり、助けてくれたらめっちゃ嬉しかった。
「誰かの挑戦を、みんなで応援する」
すごい綺麗ごとで理想のように聞こえるけど、実はもう日本にはできているんじゃないかなってすごい思えた。
神奈川辺りでは馬鹿にされたりしたけど、西に進めば進むほど、応援の声が大きくなった。
温かい応援に感謝しながら、応援に応えるためにもの一心で、がんがん歩き続けていた。
この先に待ち受けている地獄があるとは、いさ知らず。
想像を絶するほど辛かった5日目~
2回信じられないほど体が震えて、筋肉も動かなくなってきて、視界もぼやついて、それでも誰もいない峠で寝たら死ぬのは間違いなかったから、木や壁を掴みながら、明かりのない世界で必死に明かりを目指して歩いた。
もう必死だった。どうなっても良い、絶対明かりに辿り着いてやる、生きてやる、そんなつもりで歩いてた。
その2回は、神奈川を超えて静岡に入る時、静岡を超えて愛知県に入る時。
やっと見つけた明かりは、一回目がガソリンスタンド、二回目が下の写真にあるコインランドリーだった。もう体力も立つのが精一杯だったし、限界が来ていたから床で寝させてもらった。
本気で冬の寒さの恐怖を感じた。
半分足らずでリタイア
2回目の凍え死にそうになって、コインランドリーで寝た時、自分も雨に濡れて体が冷え、消灯したコインランドリーも極寒だった。ガクガク震えながら寝た記憶が今でも鮮明に思い浮かぶ。上手く言葉にできないけど、すっげえ死ぬのが怖くなった。
足もまだまだ動くし、走ったりもできるんだけど、足が全く進まなくなった。「もうだめだな」と心のどこかで感じた。
14日間で1000キロ進む予定が、7日間で350キロしか進んでいなかった。気力の限界と数字の限界から丸一日一歩も動かなかった。
「頑張っていれば何かあるよ」
歩いている間に色々な人に言われた。元々複雑な事情でホームレスだった方や重病を抱えている年配の方にも言われた。
ここでも、1000キロ歩こうと決めた時と同じように、よく分かんないけど、再び歩き始めた。
ただ、体と心は正直だった。愛知に入ってから、自分に見えない所で寒さから結構ダメージを受けていたみたいだった。30時間連続で食事も取らずに120キロ歩き続けた3日目の時なんかよりも全然体と心がきつかった。
愛知に入った所くらいで諦めようかなと心の底から思った。
しかし、ここで、再び約100キロ歩き始めるきっかけが現れる。
1000キロ歩き始めて良かったなと思えた瞬間
徒歩旅を始める前に、一緒に歩かない?と事前に150人くらいの知り合いや友達に声をかけた。ただ実際来てくれたのは、2人だけだった。
そんなことがあったけど、愛知の県境で諦めようとする自分とわざわざそこまで来てくれて一緒に名古屋城まで残り80キロの道のりを歩いてくれた友達がいた。
くじけずに150人だけじゃなくて、何百人、何千人と声をかけていれば、もっと多くの人と歩けたかもしれない。孤独って辛いだけじゃなくて、実現や達成の可能性さえも下げてしまう。
それでも最初の2人も最後の友達と歩いている時は、「独り」で歩いてた時に比べたら死ぬほど気持ちが楽だったし、いつの間にか何十キロも歩いてた。
幸せってこういうことだ!!
結論を言えば、「楽しければ、幸せだったらそれでいい!」
独りで幸せは感じられる?もし感じてたら、それって合理化してない?
一人だけで何かを成し遂げても、幸せは感じれるか分かんないし、複数で取り組む場合に比べて、成し遂げられる可能性も圧倒的に低い。
単純に一人で最後まで、成し遂げるまでやるってデメリットしかないんだなと。物事のレベルにもよるけど、基本的には色んな人と一緒に笑いながら、楽しく、辛いことも乗り越えながらやっていくのが幸せへの王道だと!
簡単だけど、自分完全に忘れてた。
「独りで頑張ることも時には必要だけど周りの人を幸せにしながら、周りと助け合いながら頑張り続けること」って大事だなと。
でもその王道に入るには、「狂え!」が必要になると、歩いてて学んだ。「狂え!」については、最後の段落で紹介してるので是非。
日頃でも、好きな人、魅力的に感じる人、優秀だと思う人なんてすぐには集まらない。「頑張っていれば何かあるよ」の精神で、くじけずに続けること。これが全ての元になって、結果的に最高なことをもたらす。
途中で諦めた自分でも学べた無数の良いこと
みんな色んなものを背負って生きてる
「うさぎ」と「かめ」どっちが良いか。歩きながら出会った人は、「かめ」の人生を歩んできた人しかいなかった。でもみんな笑っていた。新幹線のようにとてつもないスピードで人生を送る「うさぎ」は途中で大切なことに気付いても立ち止まれないし、人生のスピードが早すぎて気付くことさえもできないかもしれない。
下の田村淳さんのツイートは、歩いてて何故かめっちゃ共感できた。
正しいとか正しくないとかはないけど、、、
世界は、論理的なことより目に見えない言葉にはできないことが大半を占めてる。じゃあ若いうちに社会系でも、国際系でも、ビジネス系でもえぐい体験をするのは自分の中に目に見えない一生残る大事な何かを生み出すかも。
だからこそ、次から紹介することが大切になると歩きながら考えた。
頭は動き出してから使うもの。動く前には使わない。
この文章のタイトル<頭は狂ってから使うもの>は頭は動き出してから使うものということだ。ある物事に対して、人間は色々考えた結果、自分の生きている世界で達成は無理だと感じたら、普通の人間はもう行動しない。
でも18の少年の生きている世界ってたかが知れてね?詳しく職業の中身知ってるの何個ある?って思うと、もはや何でもできちゃう。
毎日思ってた、1日100キロ歩くのもしんどいけど、どんなに辛くなってもとりあえず1歩踏み出せばなんとか達成できた。
だから、もう一度言うけど<頭は狂ってから使うもの>だと。
「行動する」という意味の捉え方の変化
愛知の県境が諦めかけてた時に、友達がクズな自分を救ってくれた。生き返ったような気分だった。死にかけながら独りで歩いてきて、そこから一緒に歩いてくれたのは上手く言葉にできないけど、むちゃくちゃ安心した。生きてることがすごい幸せに感じれた。
だから、大人達が「行動しろ!」っていうけど、「独り」で絶対動け!とは言ってない。大人達も独りで動くことの辛さを何十年もかけて知ってきたと思う。
よくある自己啓発本にも、この部分が抜けてるのがすごく多い。行動するという意味があいまいになってる。
「行動する」=「友達」を作って、そして成し遂げる。
いつでも助けてくれる友達が周りに。そんな環境が出来て、人はやっと動き始めるんだと。動き始めて、頑張って何かを成し遂げられる。日本の見えない所に「誰かの挑戦をみんなで応援する」環境はもう出来上がっているのだから。
「頑張ってれば何かあるよ」
この言葉が身に染みて感じれた旅の終わりでした。
「狂え!」
最後まで読んでくださってありがとうございます。こんな文章は読んでも何の得にもならないかもしれません。僕自身も生きる理念みたいな難しいことなんかは分からないし、本当に嫌いです。だから、とにかく難しいことは嫌です。でもこれまでの文を踏まえて、一つだけでも読んで頂きたいのが以下になります。
ただ、魅力ある人でも何もやらない人は埋もれて、逆に別に賢くなくても、取り柄がなくても、行動し続ける人が生き残り、その生き残る過程で学んで、強くなり、賢くなる。
よく聞くニュアンスの言葉かもしれないけど。この感覚が歩き終わった今でも体に染みついてる。
400キロ歩いた道のりは東海道に沿った道のりだった。ただ、尋常じゃないくらいのお墓の数がそこにはあった。参勤交代とかで途中で息絶えた人間が祀られているのだと思う。自分も寒さで死にかけた身だからこそ分かる。
でも、歩き続けて、大名のサポートをし続けた人間が下っ端から這い上がった豊臣秀吉のように天下統一を成し遂げたり、昔の日本を創りあげた。
矛盾や問題があっても、解決しようとせず、むしろ受け入れながら進んだ結果、日本を創りあげた。
行動する=「狂う」、よりも何かを説明すること、言語化することが得意な人は周りにも山ほどいる。みんなすごいなと思う。でも、、、
「語る」よりも「狂え!」「狂い続けろ」、と400キロで途中リタイアしながらも歩いて感じた一番のことでした。
「周りに支えてくれる人がいる環境で狂うこと」
2020/1/3 竹本 明弘