抽象化される芸術
最近、知人のダンサーが人間の本質に迫ろうと様々な試みをしています。個性を出すというよりも、人類共通の要素を括り出そうとしているような。
つまり抽象化です。
数学との類似点
抽象化というと頭に浮かぶのが数学です。例えば、「数える」という実務的な目的では自然数(1以上の整数)だけで事足ります。しかし、整数、有理数、実数、複素数という具合に、数は抽象化されてきました。
数学も芸術も、抽象化することと本質に迫ることは同じかもしれません。
また、抽象化は段階的に行うことで周囲も理解できますが、自然数から複素数まで一気に抽象化できる人は天才と呼ばれます。複素数がよくわからないのと、ピカソの絵がよくわからないのは、似たようなものかもしれません。
数学との違い
科学者は数式など既知の言語を組み合わせて抽象化するので、前提となる言語を知っている人なら抽象化された概念を理解できます。
一方、芸術は言語を介さずに抽象化されることが少なくないので、客観的に「理解」することは難しいのだと思います。
現代アートを考える
題名のある絵画は、概念の再定義や再解釈に当たると思います。また、「美しさ」のような既知の概念を具体化した作品もあります。
一方、現代アートに見られる無題の作品は、既知の言語を介さずに抽象化している気がします。おそらく作者自身も「理解」はしていないのではないでしょうか。
考えることと感じること
既知の言語を組み立てて段階的に抽象化するのが「考える」ことで、言語を介さず一気に抽象化するのが「感じる」ことのような気がします。
「考えるんじゃない、感じるんだ!」というのは天才肌の手法なのかもしれません。
他者と概念を共有しやすいのは「考え」ですが、最短時間で到達したいなら「感じる」方が有利かも。
おわりに
数学と比較することで、芸術というものが少しわかった気がします。左脳と右脳も片方に特化していると思わず、両輪として活用した方がいいのかもしれない。
参考書籍
抽象化については、細谷功さんの著書から気づいたことが多かったです。
「具体と抽象」細谷功(https://honto.jp/ebook/pd-series_B-MBJ-27983-120905189-001-001.html)
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