デザインリサーチという言葉が好きである理由
デザインリサーチという言葉が気に入っている。その言葉自身に大事な役割があると思うからだ。
つくる行為(デザイン)には、知る行為(リサーチ)が伴う。何かをつくり、生み出すためには、その背景や前提を知ろうとする工程がある。意識的にしろ無意識的にしろ、つくる行為(デザイン)の過程で知る行為(リサーチ)が必ず行われている。もっと言うと「知る→つくる」という単純な工程ではなく、つくる行為と知る行為は同時並行的に行ったり来たりしながら行われていて、切り離すことのできない一つのパッケージなのである。
話をデザインリサーチに戻すと、デザインリサーチは「デザインする(つくる行為)ためのリサーチ(知る行為)」である。つくる行為のための知る行為がデザインリサーチであり、実はこれはリサーチの本質でもあると思っている。リサーチは、その情報収集と分析から得られた発見をもとに、何らかの新たな打ち手が講じられることを目的としていて、調べることそれ自体を目的としたものはリサーチではない。(と僕は思っている)
その意味ではリサーチ=デザインリサーチであるべきなんだけど、現在「リサーチ」と呼ばれるものには、調べること自体を目的にしたものも多く、そういった「リサーチのためのリサーチ」へのアンチテーゼとしてデザインリサーチという言葉に意味があるんじゃないかという気がしている。つまりリサーチというもののあるべき姿について気づかせてくれるのが「デザインリサーチ」なのである。(と自分の中で納得している)
実際には「デザインリサーチ」を、0→1を生むためのリサーチや観察やインタビューなどの定性リサーチのことを指して呼ぶこともあるし、マーケティングリサーチvsデザインリサーチという対比で語られたりすることもある。言葉の正式な定義はさておき「つくる行為(デザイン)のための知る行為(リサーチ)」と定義することは、本来のリサーチのあるべき姿を考える上で有益だと思っている。デザインリサーチという言葉が認知されることで、今、やろうとしているリサーチワークが「リサーチのためのリサーチ」になっていないか、「デザインするためのリサーチ」ができているか、を考えるきっかけになると嬉しい。