#5 なぜ「リサーチをしても大した発見がない」と思ってしまうのか?
「リサーチなんてやる意味がない」
「良い発見が得られた試しがない」
「どうせ今まで知っていたことばかりだ」
これらはリサーチをやらない理由としてしばしば挙げられます。リサーチ部門やリサーチ業界で働く人たちにとっては仕事の妨げになる厄介な問題かもしれません。
この背景には、実際にリサーチの質そのものが低い場合もあると思います。しかしその一方で、本当は良いリサーチができているのに良くなかったと思ってしまっているというケースもたくさんあります。成果が出ているにも関わらず、その成果の価値に気づけていないというケースです。より良い発見をすることをゴールとしたリサーチ活動で、発見はできているのにその価値を見過ごしてしまっているという点では非常に深刻な問題でもあります。
これらの問題の要因は大きく二つあります。
答えを調査対象に求めすぎてしまう
リサーチをしようとするとき、求める答えが調査対象である市場や顧客の中にあって、それを探し出そうという姿勢になりがちです。ところが実は、有益な発見とは今までに全くなかった新しいものではなく、今までもそこにあったがその大切さに気づいていなかったことだったりします。つまり発見や気づきは自分自身の認識の問題なのです。答えは調査対象ではなく、自分の中にあると言ってもいいかもしれません。
リサーチでは、情報を収集・探索するだけでなく、得られた情報に対する自分自身の認識にも焦点を当てることが必要です。既知の物事もあえて違う角度から眺めてたり、疑問を持って見たりといった姿勢です。市場や顧客などの調査対象にばかり目を向けるよりも、それらに対して自分がどのような認識を持っているか、そこにバイアスはないか、といった自分自身が待つ暗黙の前提を疑う態度が必要なのです。
良い発見はできているが、良い表現ができていない
リサーチでの新たな発見のことをインサイトと言ったりしますが「良いインサイトが出ない」と嘆く声をよく聞きます。そこで詳しく話を聞いてみると、実はおもしろいポイントに気づけているのにその面白さを上手に表現できていない、ということがあります。リサーチの探索活動自体はうまくできているのに、その成果をうまく表現できていないことを「良いリサーチができなかった」と錯覚してしまっているのです。
リサーチャーの能力としてレポーティングやプレゼンテーションのスキルは意外と見過ごされがちです。しかし実は、リサーチで得られた情報への評価には、レポートでの表現力が非常に大きく影響しています。良いリサーチだったかどうかを分けるのは、リサーチャーの表現力であると言っても過言ではないかもしれません。言語化や文章化の能力はもちろんのこと、イラストやデザインのスキルも大切ですし、物事の関係性や構造をダイアグラムなどシンプルな図で表現できるセンスも重要です。またレポートを一つのストーリーとして作品のように仕上げていく構成作家のような能力も必要かもしれません。
これらの二つの要因はどちらもリサーチへの誤解と言えます。一つ目は答えは調査対象にあるという誤解、二つ目は情報収集と分析までがリサーチであるという誤解です。これらの誤解をなくして、リサーチに臨むことができれば「リサーチをやって良かった」と思うことがきっと増えるはずです。