ショート小説『1時間で終わらせてって言ったよね?』※1985文字
「1時間で終わらせてって言ったよね?」
システムの保守チームに配属されて、部長から何度この言葉を聞いただろうか。
その言葉を聞くたびに、私の心を守っている壁のようなものに亀裂が入っていく。
この保守チームのリーダーは、システム部の部長が兼任している。
一般的に部長は現場作業をしない。が、今回のこの保守チームは、トラブルが重なって、部長自ら指揮を取ることになったのだ。
トラブル続きのチームに呼ばれたのは、私の能力が評価されたのか、たまたま前のプロジェクトが終わっただけだったのか、それは分からないが、私は燃えていた。
いや「プロジェクト」も燃えているけど、私の「気持ち」も燃えていた、ってこと。
気づけば、もう新卒で入社して3年。同期はリーダーを任され始めた。
責任が小さいからメンバーの方がいい、上手くやれよ、という先輩社員もいるが、私はステップアップの為にも、早くリーダーになりたいのだ。
正直なところ、少し焦っていた。
IT業界は社員の入れ替わりが激しい。転職する人が多い。新卒でこの会社に入社したが、大学の同期の話を聞くと、私ももっと大きな仕事をしたいと思うことが多くなった。
そして、もっと大きな会社へ転職するのだ。その為に、このチームで成果を上げる。私は燃えていた。
ただ、心配事が1つある。あの部長のことだ。このチームに入る前に先輩から忠告されたことがあった。
「あの部長とは関わるな」って。
「あの人は話が通じない」って。
このチームに入るまで、部長とは話をしたことがほとんどなかった。新人の頃の飲み会で少し話をしたくらいか。特に、嫌な印象は無かった。
先輩たちは、部長に怒られたことを根に持ち、悪口を言っているのだろうと思っていた。
しかし、一緒に仕事をしてみて「部長には話が通じない」という理由が段々わかってきた。
この保守チームの目的は、システム移行に伴うデータの再構築だ。旧サーバーから新サーバーへと1か月間かけてデータを移行させる。
本来なら、データ移行は自動化したいのだが、これをほぼ手作業で行わなければならない。
ミドルウェアの設定変更が伴う上に、データの正確性をチェックする必要があるからだ。
開発チームのエンジニアたちが再三話し合い「自動化はできない」と判断した。
エンジニアという人種は面倒くさがりな人が多い。基本的に自動化できる作業は自動化したい。
が、この作業は自動化できないと判断した。
つまり、1か月間。手作業によるデータ移行作業が発生するのだ。
システムを止められる時間はたったの2時間。毎日0時から2時まで。この間に1日分のデータ移行を終らせなければならない。
私の見積もりによれば、2時間でもギリギリだ。できることならあと1時間、作業時間を延ばしてほしい位だ。
ただ、説明しても部長は理解してくれない。それどころか、背もたれに寄りかかりながら言う。
「お客さんの印象が良くなるから、その作業は1時間で終わらせてよ。」
視界の周辺が暗くなる。反論の1つでもしたかった。だが何を言っても「よくわかんないけど…」と、言われることに、もううんざりしていた。
「わかりました。」と、私は下げたくない頭を少し下げて言った。
それから、その言葉を何度聞いたか。
「1時間で終わらせてって言ったよね?」
「1時間で終わらせてって言ったよね?」
「1時間で終わらせてって言ったよね?」
その度に、私の心の壁は音を立て崩れていく。
ただ私は思った。これも試練だと。もう既に心は壊れかけていたが、ここを乗り越えることができれば、成長できるかもしれない。
私は考えた。
開発チームのエンジニアに聞き込みを行い、作業を早く終わらせる方法はないのか、事前にできる作業はないのか、全体的に自動化することはできなくても、部分的になら自動化できるのではないか。
すると、1人にエンジニアが渋い顔で言った。「技術的には可能です。」と。
この言葉は、エンジニアがよく使う言葉だ。
できなくはないが割に合わない、費用対効果が薄い、あまり意味がない、大体このような意味だ。
つまり手作業の時間よりも、自動化する作業時間の方が掛かる、ということだ。
だが、今回はそんなことも言っていられない。とにかく1時間で作業を終わらせなければならない。
急いで自動化の作業に取り掛かる。
なるほど、確かに、この作業は割に合わない、と思いながらも思考を停止させながら、自動化作業を繰り返す。
そして、ついに私は、やり遂げた。自動化を完成させ、45分で作業を終わらせることができたのだ。
部長へ報告に向かう。こんなに足取りが軽いのはいつ以来だろうか。どんな顔をするだろうか。驚くか。褒められるか。
「え?45分で終わった?」
部長は、背もたれに寄りかかりながらいつもと同じ顔で言った。
「1時間で終わらせてって言ったよね?」
「え?」
壁に掛けられた時計が、空しく1時を告げていた。
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