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ショート小説『ハラスメント』※1642文字(約4分)

 スマホの通知ランプが緑色に光る。
 メールが来た合図だ。
 上司とのやり取りはメールのみで行う。本文は無く、添付ファイルのみ。作業の目的、期限、内容、注意事項、全てが書かれている。始めは違和感があったが、今ではすっかり慣れてしまった。

 私が入社した15年前は、出勤するのが当たり前だった。出勤し、朝のミーティングを行い、会議室に集まり、作業指示を貰った。直接。顔を合わせて。
 ちょっとした雑談も、昼休み後のうなだれた空気も、定時後の開放的な気分も、愚痴を言い合う飲み会も、私は好きだった。今はもう無い。

 いつからだろうか。たぶん、パワハラという言葉が生まれたあたりからだろうか。会社の様子が変わっていったのは。

 パワハラという言葉が生まれ、上司は部下に対して怒ることができなくなった。始めは冗談交じりに使っていた言葉だったが、新入社員が入ってくる度に、その言葉は重くなっていった。
 さらに「モラハラ」「アルハラ」「スメハラ」と、大喜利のごとく新しい言葉が次々に生まれた。
 それから数年間、ハラスメント業界は、過去一番の盛り上がりを見せていた。

 今日はいい天気だね、と聞いてくる「雑談ハラスメント」。
 珍しい名前だね、と名前を評価する「名前ハラスメント」
 見られると緊張するからやめてほしい「視線ハラスメント」。
 一緒にいることで息が詰まる「空間ハラスメント」。
 仕事が進まない、と出社を強要する「出社ハラスメント」。
 しっかり働け、と働くことを強要する「労働ハラスメント」。

 世間の声に敏感な我が社では、いち早くこのハラスメントを無くすことを掲げ、全社員のフルリモートワーク、社員同士の雑談禁止、氏名非公表、顔非公表を決定したのだ。
 今ではメールで送られてくる味気の無い作業指示書を読み、黙々と仕事をこなす毎日だ。誰と仕事をしているのかもわからない。

 もう、この状態が何年続いているのだろうか。

 また通知ランプが光る。今度は青色、メッセージアプリだ。
 「社員旅行で福岡に来てまーす!」とラーメンを食べている写真が送られてきた。大学の友人だ。この時代に社員旅行か、と私は驚きながらも反射的に「いいなぁ!」と返す。
「社員旅行どこ行ったの?」と友人。
「北海道!」と咄嗟に嘘をつく私。
「羨ましい!」と友人。
 咄嗟に嘘をついてしまった。社員旅行など、とうの昔に廃止となっている、休日ハラスメントによって。
 東京には友達もいない。話をするのは宅配とコンビニの人とだけ。

 満足だと感じていた生活が、音を立てて崩れていくような気がした。

 次の日、私は上司にメールを送信した。退職相談のメールだ。返信はすぐに来た。会社に一度来るように、と。ハラスメントにならないように、会社側の誓約書も添付されている。
 私も「自らの意志で会社に行き、話をする」という誓約書を提出し、会社へと向かった。

 会社に着き会議室へと向かう。会議室には上司と弁護士が待っていた。上司とは初対面だった。始めて見る顔だが、少し安心する。
 お互いの誓約書を弁護士立会いのもと確認し、会話を始める。久しぶりの会社の人との会話だ。 
 内容は重いのに少しだけ嬉しくなる。人との会話が無いのが寂しい、やりがいが無い、転職しようと考えている、と思っていることを全て排出するように話した。上司が腕を組み、頷きながら、下を向き言う。
「そうか、君も辞めるのか」
 え?
「知らなかったよな」
 何を。
「君以外の社員は、もうほとんど辞めてしまったんだよ」
 聞いてない。上司に合っていた焦点がずれる。
「新しいハラスメントができてね」
 またハラスメント。
「情報ハラスメントって言って、情報を与えすぎないようにと」
 情報。
「もうハラスメントばかりだよ。昨日辞めた社員が言っていたよ。ハラスメントハラスメントだって」

 会議室に無音の時間が流れる。
 ずれていた焦点が上司に合う。
 私は退職願いを差し出す。
 上司は、それを無言でスーツの内ポケットへと仕舞い、ため息をついた。

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