「やばい禁止令」を自分に出した。感情はひとつだけじゃないはず。
いつからだろうか。気づけばほとんどの感情を「やばい」に頼っていたように思う。
このステーキ「やばい」ね。
その暴言は「やばい」ね。
10連勤とか「やばい」ね。
USJ「やばい」ね!
楽しいことも、悲しいことも、美味しくても、感動しても、口から出てくる言葉は「やばい」の3文字のみ。
自分が何を感じているのか、そのすべてを「やばい」の一言で片づけていた。
だが、それでコミュニケーションに困ったことは無かったし、不安に感じることも無かった。
ただどうだろうか。自分の感情を「やばい」で済ませてしまうというのは、少しもったいないのではないか、と感じるようになった。
今思い返すと、この本に「自分の感情を観察してみよう」と書かれていたのがきっかけだった気がする。
だから、「やばい」という言葉を使わないようにしてみた。
美味しいご飯を食べたとき。
漫画の伏線回収が見事だったとき。
9回裏1点差で逆転サヨナラ2ランホームランを打ったとき。
目が覚めたら9時半だったとき。
それぞれ自分の中にある感情は違うはずだ。
美味しいご飯を食べたときと、目が覚めたら9時半だったときの感情が同じだとしたら、毎日でも寝坊したい。
でも、それは絶対に違う感情のはずだ。
その感情がどういうものなのか。
料理が美味しいから「やばい」なのか、
コスパが良くて「やばい」のか、
初めて食べた味だから「やばい」のか、
全部ひっくるめて「やばい」なのか。
ひとつひとつの感情としっかり向き合うことが大事なのではないかと思う。
ひとつひとつの感情と向き合うことで、自分の感情への解像度が上がる。
自分の感情への解像度が上がると、テンションが上がった理由も、落ち込んでしまった理由も、理解できるようになる。
すごく小さなことでいいのだと思う。
嬉しい。悲しい。楽しい。きつい。辛い。疲れた。美味しい。悔しい。憎い。羨ましい。切ない。寂しい。
自分の感情を観察することで、自分の感情や、何を考えているのか、それを言語化することが上手くなった気がする。
心が動いたときに咄嗟に出ていた「やばい」という言葉。
その言葉ひとつを言わないようにするだけで、自己理解が深まり、物事の解像度が上がっているのではと思う。
「やばい禁止令」を出した自分を褒めてあげたい。
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