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「普通」という言葉の魔力。

「普通」という言葉。2年前、本を読み始める前の自分は口癖のように言っていたのを覚えている。

普通に考えたらわかる、とか。
普通だったらそんなことはしない、とか。
普通、ラーメンはとんこつだよね?とか。

普通という言葉に縛られ、どのような問題に対しても、条件反射のように「普通は~じゃない?」と答えてしまう。

それは自分の人生に関しても同じだったようにも思う。

普通に大学に行って、普通に就職して、普通に結婚して、普通にマイホームを買い、普通の人生を過ごす。

これがロールモデルで、このモデルに近づけば近づくほど人生の点数は100点になるように思っていた。

普通を正解だと捉え、世の中に溢れている些細な普通の枠の中から外れないように、見ているのかもわからない周囲の目を気にしながら、びくびくと過ごすことも多かったように思う。いや、まだ全ては抜けきってはいない。

普通という言葉には恐ろしい魔力がある。

自分を自動的に多数派へと振り分けてくれている気がする。ただそれだけ、「普通」という言葉を口にする、ただそれだけで安心感を得られる気がする。

問題が起きたとしても普通の対応をしておけば、仮に事態が好転した場合は「普通はそうだよね」と多数派であることの安心感を得て、仮に事態が悪化したとしても「普通じゃなかったのだから仕方がない」と、責任を押し付けることもできる。

普通という言葉に甘え、すがり、寄り添う。

自分の意見を持つのが怖いのかもしれない。

ただ、この「普通」という言葉。読書をするようになって使う機会が少なくなってきた。いや、使うと違和感を覚えるようになった。

本にはそれぞれの主張がある。世間で普通だと言われていることに、いろいろな角度から疑問を投げかけている。

今まで考えもしなかったこと、今まで疑問に思わなかったことと出会う。世界が広がっていく気がする。

とくに、この普通という言葉を考えさせられた本がある。

朝井リョウの小説「正欲」。

この本を読むと普通という言葉を気軽に使えなくなる。というか、これまで頭の中にあった常識と呼ばれる概念、そのひとつひとつに対して疑問が湧いてくる。

世の中にある普通と呼ばれるものは、どのように生まれ、どのように浸透していっているのだろうか。

と、色々考えても、咄嗟に「普通は…」と口にしてしまう自分がいて、その度に「あ、また言ってしまった」と、考えてしまうこともしばしば。

そしてこのような文章を書いてしまうということは、やはり「普通」という言葉の魔力に、今もまだ取り浸かれているのかもしれない。

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