ナナメの関係性って?
ナナメの関係、あまり聞き慣れない言葉だった。
そんな私にとって、今回のカフェゼミでお話をしてくださった今村さんの取り組んでいる「カタリバ」はとても興味深いものだった。なぜなら今村さんのお話を聞くまで、友達でもなく親でもない赤の他人(ナナメの関係の人)と意見を共有することには、どのような重要性があるのか全くわからなかったからだ。
私の場合、中学から体育会系の運動部に所属して常に先輩と後輩、監督の目を気にして謙虚で当たり障りのないように振舞ってきた。だから自分がもっとこうしたいと思っていることや、抱いている夢を口にすることができずに競技を続けていた。かと言って、部活外の自分の友達にそのことを愚痴ったり、夢のことを相談することができるのかっといったら、それもそれでどこからか情報が漏れてしまって周囲から調子に乗っていると言われたり、冷たい目で見られてしまうことが怖かった。
では親はどうだろう。父はある学校で別の競技の監督をしていて、ザ・体育会系なので愚痴を言った瞬間「だったらやめろ。」その言葉しか返ってこない。そして、何よりも自分が競技を続けることができているのも両親のおかげだ。多額の出費もしてもらっているし、最高の練習環境を与えてもらっているのに愚痴なんて申し訳なくてあまり言えなかった。さらに、プロのアスリートになってオリンピックに出たいと親に言えば、普通に就職する方が良いと言われる。なぜなら試合に向けてどれだけ努力しても、その日のコンディションや対戦相手との相性など様々なものが結果を大きく左右してしまう全く不透明な世界だとわかっているからだ。そして、もし、大怪我をしてしまったらそこで夢が潰えてしまうことも考えてのことだろう。現実的なことを踏まえて、子供には安全な人生設計で生きて欲しいという親心から現実的でない不透明な夢には厳しく反対ばかりされてしまう。だから私は友達と同様、親にも深くまでは色々な悩みや夢について語り合うことができなかったのだと思う。
誰にも悩みや夢を共有することができないということは精神衛生上良くないし、夢は心に秘めたままにしてしまっては、実現することができなくなってしまう。私は友達にも親にも相談しないでここまできているのか、というとそんなことはできるはずがない。本当に深い事でなければ親や友達(タテ・ヨコの関係の人)にも相談することはあるしそれが根底の支えになっているのは確かだ。しかし、振り返ってみれば私が本当の自分の夢を伝えたり、深い悩みを愚痴ることができたのは言い方が悪いかもしれないが「よっ友」という人たちだった。私のことをあまりよく知らないで、自分とは違う分野で活躍する人と話すと、その人たちとは今後も深く関わるのかわからないので、自然と本当に思っていることや夢について何のためらいもなく語ることができるし、それがでかい夢だとしてもその人たちは共感して応援してくれた。
これがタテの関係でもヨコの関係でもない、いわゆるナナメの関係なのだろう。ここでは「よっ友」をナナメの関係にしてしまったが、つまりは、お互いをよく知らない赤の他人の方が意見を共有するときは、発言のリスクを気にすることが少ないというメリットがある。私自身、大きな夢に向かうことができているのは、もちろんタテ・ヨコの関係性が大黒柱になっているのだが、そこに加えてナナメの関係の人たちに色々なことを相談し、夢を共有しあうことができているからだろう。夢や悩みを一人で抱え込んでしまって、心がSOSを求めている人や、夢を断念しようとしている人は大勢いると思う。そんな人にはナナメの関係の人の助けが必要なのだ。意外に意識しないと気づかないナナメの関係性、そこには多くの夢を見る人や悩める人にとっての不安を解消し、今後の不透明な未来に向かって前進することを躊躇させないようにする大きな可能性が秘められている。また、そのナナメの関係性の重要性の認識が希薄であるという事が大きな問題であると私は考えた。だからこそ今回のカフェゼミで私がナナメの関係の重要さに気づく事ができた今、この大切さを多くの人に伝えていきながらも、自分が誰かのナナメの関係の人として、具体的にはB-labやカタリバのボランティア活動に積極的に参加し、実際に現場で体感する事でその重要性を再確認したいと思う。