別世界

別世界へ

普段からよくカフェを利用している。

頻度的には、週に2、3日くらい。

スタバとか、タリーズとか、王道なところ。

友達と一緒に、ってこともあるけど、ほとんど一人で行く。

単にコーヒーを飲もうと思えば、家で作ることもできるのに、それでも高いドリンク代を払ってカフェに行く。

きっとそれは、日常生活の中でもカフェが特別な場所だからだと思う。

カフェに行くのは、暇なとき、気分が晴れないとき、勉強の環境を変えたいとき、様々な理由がある。

しかし、共通して言えることは、自分の経験上カフェに行くときに限っていつもより色々なアイデアが浮かんだり、作業効率が上がると思う。

例えば、英単語を覚えようとしてもなかなか覚えれなかったり、数学の計算式が思い浮かばなくなった時、カフェに行くとそれまで覚えられなかった単語も、思い浮かばなかった計算式もパッと出てくるようになる。

こんな経験は自分だけじゃないと思う。

なぜ、カフェはそのような効果をもたらすのか。

それは、良い雰囲気が演出されているからだと思う。

カフェは、店内が木造で、テーブルがあって、ソファもあって、優しい暖色の間接照明の光が降り注いで、流行りの洋楽が程よい音量で流れているイメージがある。

とにかく私たちにとって、リラックスにつながる工夫がありとあらゆるところに施されている。

リラックスをすることで人はよりフレキシブルな発想や、新たな発見にめぐり合うことができる。

そして、店内にいる人たちは、それぞれ目的は違うけれど、普通に話しかけたり、あるいは自分の作業だけに集中することもできる。

一番好きなのが、羽田空港のスターバックス。

みんな旅行の前で何か楽しそうで、活気が溢れていて、何かの準備をしている。

そんな雰囲気だからこそ、自分もその中にいると何かをしなきゃいけないし、やろうって気分になる。

どこに行くのかという話題で気軽に周りの人と話したりもできる。

周りの目があるけど、それが逆に刺激になる。

みんな気づいてないかもしれないけど、それを求めてカフェに足を運んでいることが多いと思う。

それにお店に通うと、店員さんと友達になったりして出会いの場にもなる。

そうすると、カフェがなんか居心地のいい第二の家みたいな存在になる。

カフェはそんなところ。

だからこそ、今回のカフェゼミで飯田さんがサードプレイスといった表現にはとても共感することができた。

サードプレイスというのは、居心地が良くて本来の自分をさらけ出すことができる場所の位置付け。

カフェはリラックスできて、周りにもさまざまな自分とは異なった考えを持つ様々な人たちが共存している。このバランスによってとてつもなく絶妙な良い雰囲気を作り出している。

だからサードプレイスにすることができる。

だけど、その場所は、カフェだけに限らないと思う。

自分にとってのサードプレイス。

それは練習場(体育館)とか、高野山の宿坊とか。

いっぱいある。

練習場にいるときは、周りからも人が変わるって言われる。

本当に仲の良い部活の仲間だとしても、練習場に一歩踏み入れた時点で、その人たちは敵という判断をする。

しかし、仲間とは色々な意見を共有する。

ここがダメだとか、ここが良いとか。

いわゆる、切磋琢磨の環境が気軽に意見を共有しながら、やるときはやるという自立性を持ち合わせている。

ある程度自分の場所と他人と意見を共有する場所が区分されている練習場は、カフェと同じように居心地の良さが存在していると思う。

つまり、サードプレイスとは、人を程よくリラックスさせて、気軽に他人と意見を共有することができ、一人になりたいときにはなれる。

日常の空間ではなく別世界になり得る場所のことだと気付いた。

そう考えると、日本のカフェはまだまだ海外のカフェに比べるとお客さん同士で話している光景や、店員さんとフレンドリーに話している様子はあまり伺えないように思う。

日本人の国民性の礼儀正しさからくる『固さ』がサードプレイスとなりうる場所を減らしてしまっているのが今の日本の現状だ。

今日の、現代日本社会で暮らす人たちが、様々なストレスから命を絶つことや、非行に走ることを防止するためにも、サードプレイスは重要な役割を担うことが可能だと思う。

もっともっと居心地の良いサードプレイスが日本に増やして行く活動とかに参加することができればと思いました。


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