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課題解決は悪なのか
以前、けんすうさんがポスト資本主義について「課題解決は重要ではなくなっている」とツイートされていました。
9 / 資本主義のエンジンは「課題解決」であり、多くの人が持っている課題を解決した製品を出せた会社が成功する、という形でしたが、クリエイター資本主義とも言える現在では、課題解決はそこまで重要じゃなくなっている。
— けんすう (@kensuu) September 15, 2022
HIKAKINさんは別に課題を解決していないけど成功している。
言うまでもないですが、世の中は課題だらけです。
閉塞的な環境は常に息苦しく、自分も仕事や活動を通じてそれを変えたい、という意欲を持ち続けています。
一方で、これまで資本主義の恩恵を受けた企業や個人が、グローバル化やテクノロジーの進化の過程で「どうにかして生き残る」ことを迫られ、無理やり課題を作ったり、小さな問題を大きく見せて、それでビジネスをするということも少なくありません。
最近だとSDGs(持続可能な開発目標)がゴリ押しされる一方、その活動と企業の実態が伴っていないケースもあります。(残業や廃棄が多いとか)
私も広告業である以上、クライアントの生産活動を礼賛したり、ユーザーの眼前に課題を突きつけ、無知を恥じさせ、さっさと解決したくなるような施策提案をしないと、メシを食うことができません。
中には「ある課題の解決を目指す」と宣言し活動しながら、実態としては限定的な利益のために「解決を先延ばしさせる」集団も、ニュースで見かけます。
モノも情報も溢れ、世界の中でも比較的安全な日本において「課題解決」とは、ある種「必要悪」だったり、あるいは「暇つぶし」なのかと、考えてしまいます。
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冒頭のツイートに関連して、小説家の佐川恭一さんが印象的なことを語っていました。
小説に社会的意義みたいなものを求めるのは、僕は良くないと考えています。小説とか芸術を何かに役立つものだと位置づけたいという気持ちはわかるんですけど、何の役にも立たないものの存在を認める領域ってすごく大事だと思うんです。そういう領域の一部として、小説の世界があってほしい。
小説の中に社会的意義のあるものもあれば、そうした文脈から切り離されたものもある、そういう混沌を認めないと、活気もますます失われてしまうんじゃないでしょうか。
そもそもすべてに意義を求める姿勢って、人間に当てはめて考えたらすごく怖いことですよ。社会の役に立たない人間を認めないっていうところに繋がりますから。
実際、社会というのは役に立たない人間にかなり冷たいと僕は思っているんですが、そうじゃない領域が絶対にあってほしい。少なくとも小説を単純に社会に奉仕するものとして位置づけないでほしいと思います。
これは小説の話ですが、コンテンツ全体、いやあらゆる活動に置き換えられることではないかと思っています。
典型的な転職活動では、「それまでの成果」や「今後の再現性」でジャッジされる場面が多いですが、それに当てはまらない仕事を続けてきた人や、当てはめたくない人も、少なくないはずです。
私、「生きづらさ」について書いている人だと思われてるフシがあるんですけど、生きづらさについて書いているつもりがまったく無いです。楽しく自由に生きるために書いてる。人間は自分が楽しいように生きて当たり前だと思っていて、生きづらいとかじゃなく楽しくないのは剥奪状態だと思っているので。
— saebou (@Cristoforou) October 13, 2022
なんとなくの呟きですが、物事を良い感じに見せて、やっている感をだすことを得意とする人が重用され、逆に研究に地道に携わるような人たちの能力を生かす場がなかなかなかったりの結果が今の日本の状況を生んでるんじゃないかな。学問を疎かにしない方がいいと、ふと思った次第。
— 大友良英 otomo yoshihide (@otomojamjam) October 10, 2022
SNS文化って極論「自分の気持ちを言語化」する文化だけど、「こういうことがイヤだ」って言語化して認識してしまうと、それが解決しないことにイライラしてしまうんで、たまには「なんか変な感じだなあ、まあラーメンでも食って忘れるか!」って、自分の気持ちに向き合わないようにしてる。
— みそしる (@sssgmiso) October 13, 2022