障がいは持っているのか、それとも、障がいがあるのか…なにか違うの?
衆院選が終わり、面識ない多くの新人が当選したので、話題になって注目していた方々が日頃どんなポストしてるのか見てみた。そしたら気がついたことがあったので書くことにした。
川口市議会議員の時に、クルド人を念頭にした警察の取り締まりを強化しろという意見書に賛成した小山ちほさんのプロフィールに気になるひと言があった。
この方、「知的障害や指定難病のある息子を持つ母親として、福祉や子育ての政策に力を入れたい」と語っていたのだが、障がい当事者や親だから個人の実体験を語ることは出来るのだろう。
しかし、全体の政策にどう反映させるかは別問題で、そこには確かな価値観や揺るぎない理念があるのかが求められる。
だから、当事者の声を反映させる事は必要だが、議員が当事者である必要はないと考える。
その前提で小山さんのXのプロフィールを見ると以下のようになっていた。
下線を引いたが「障がいを持った」子どもとの記載がある。
僕なら「障がいのある」子どもと記載するだろう。
え、何が違うの?と思う方も多いと思うので解説する。
「障がいを持った」という表現はその人自身に原因があると考えるいわゆる「医学モデル」から来ている。この考えによると障がい者と健常者という区別をし、障がいを個人の問題と捉えることになり、その支援は障がい者をいかに健常者に近づけるかを考えることに繋がっていく。
一方、「障がいのある」という表現は社会のシステムやインフラ、人々の偏見などが原因でその人が生きにくくなっている。社会の側に問題があるという「社会モデル」の考えに沿った表現になっている。
例えば、自閉症の子どもがある行動を繰り返し行っているのを咎めたらパニックを起こしたとする。その時に、この子は咎めてパニックを起こしたのは障がいがあるからなんだと考えるのか、それとも、この子が繰り返し同じことをなぜするのかを考えずに咎めてしまったからパニックを起こした、つまり、こちら側がこの子の障がいになったんだ。また同じことがあった時はなんで同じ事を繰り返しているのかを考えようという思考になるのかの違いだ。
障がい福祉政策を語る上で非常に重要な視点であり、障がい者運動をして来た人達がこだわる点でもある。
「障がい者の親」である事を強調して議員になろうとして当選を果たした方なのでこの程度の知識は待ち合わせておいて欲しかったなと思うのだ。
しかも、市議会議員をしていたのだから、障がい者団体や当事者、障がい福祉の事業者と接する機会も多かっただろうからその中で得られる視点ではないかと思うのだが、そうでないという事はたいして当事者や障がい者団体との付き合いはなかったんだろうなと想像してしまうのだ。
それだけではない。プロフィールによると障がい児の支援を行っている企業のLITALICOで勤務していたという事だ。
そこで教わらなかったのかな?と正直、苦笑した。
なぜなら、LITALICOのHPに掲げる理念の1番上にこう書いてあるからだ。
「障害のない社会を作る
障害は人ではなく、社会の側にある」
LITALICOはちゃんと問題の本質が分かっている会社でちゃんと「障害は人ではなく、社会の側にある」と理念で掲げている。
恐らくLITALICOで勤務をしている中で素晴らしい経験を積んでいるのだと思うがそれが自身の考え方を変化させるところまでは至らなかったのかなと推察してしまう。
障がいをその人の問題と捉える価値観は自己責任論に繋がり、あらゆる政策を考える時に課題のある方々についてその人個人の責任だと考えるようになりがち。
先の川口市議会の意見書でいえば、クルド人と日本人の間の問題を全てクルド人側だけに問題があると見ているが、日本人側に受け入れる体制が整っていなかったり、夜外国人が複数たむろっているだけで治安が悪くなったと感じるような偏見があったりと日本人の側にも問題があるのかもしれないと思えると賛成には至らないのではないかと思うのだ。
話しを戻すが、障がい者の問題を考える時に障がい当事者に課題があると捉えるのではなく、社会の側、それは、段差があるとかエレベーターがないとかの物理的な事だけでなく、我々ひとりひとりの価値観や偏見、無理解、無関心こそが障害なんだという意識を政治家は持つべきだと考える。
つまり、自分自身が障がい者の「障害」なのかもしれないという意識だ。
そして、実際に支援者や親や家族が最大の障害である場合が無きにしも非ずなのだ。
ちなみに、私も「障がいを持った」と言って過去に指摘を受けた事があるので知らない事を咎めるつもりはない。
ただ、キャリア的に知っていて当然の事なのに無関心だったんだなと感じたので指摘したまで。
多くの人が考えることすらなかった事だと思うので、考えた事のない方々が気づくきっかけになれば良いなと思っている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。