民意がどうであろうと、死刑制度の存廃について検討すべきだ
昨日、日弁連の呼びかけで死刑制度の在り方について議論してきた「日本の死刑制度について考える懇話会」は、政府や国会内にも制度について根本的に検討する会議を設けるべきだとの報告書を公表しました。
袴田事件のような冤罪事件が起こった場合、再審が認められ無罪を勝ち取れれば死刑を免れるが、現在の日本の再審制度ではそれが容易ではなく、仮に冤罪のまま死刑が執行されれば、後で冤罪だと判明しても取り返しがつかなくなってしまう…以前より指摘されて来たことだ。
しかし、日本は死刑制度を支持する声が強く、死刑廃止を訴える政治家も少数派だ。
まずは報告書を読んでいただきたい。
この報告書を読んだのかどうか分かりませんが、今日の午前中の記者会見で林芳正官房長官は残念ながら検討会の設置すら必要ないとの見解をしめしたのです。
まぁ、そう言うだろうなと分かってはいたけど、実際に言われると日本ってこんな国なんだなと寂しくなった。
先進国の多くが死刑を廃止し、国連の人権委員会も以前より懸念を示しているのに検討すらしないのはどうなのだろうか?
民意が死刑制度を支持していると言う。
死刑制度を廃止したフランスも制度が存在していた時は8割近くが存置派だったそうだ。
しかし、人権を重んじる国としてトップの強い思いで制度の廃止に踏み切ったのだ。
ときに人権に関わる問題は差別や偏見が根底にある為に多数の意見が必ずしも正しい訳ではない。
むしろ、人権を踏み躙られている人は少数派であるから世論を参考にすると間違える。
ユダヤ人を強制収容所に収容し虐殺したナチスは選挙で多数を取って行った。
イスラエルで行われているパレスチナ人への人権侵害も国民の多数が支持している。
そうであるからこそ、多数が反対してもそれを跳ね除けてやらなければならない事があると私は思っている。
そのひとつは死刑廃止だ。
被害者遺族の感情はどうするのだという批判も理解する。しかし、死刑にすれば晴れるのかと考えた時に疑問が残る。
何の反省もしないであの世に行かれてもモヤモヤした気分は残り続けるように感じる。(当事者でないから想像でしかないですが。)
また、死刑が無くなると犯罪が増えるのではないかという犯罪抑止効果を主張する人もいるが、死刑になりたいから犯罪を犯す人もいる。死刑がある現在も凶悪な犯罪はなくならない。死刑がある事と犯罪の増減は関係ないのだ。
一方で先にも書いたが冤罪で執行した時に回復不能である。
ここは冤罪ないようにすれば良いのだが、その自信は持たない。
そして、何よりも忘れてはならないのは刑を執行する、つまり、人を殺す事を仕事としてやらないとならない人が存在してしまうという事だ。
死刑執行に携わった刑務官の手記を読んだ事があるだろうか。
現在は複数でボタンを押し、誰のボタンで絞首刑の足元の扉が開くか分からないようになっているという。つまり、直接開くボタンを押したのが誰か分からなくなっている。
それでも精神を病んでしまう人がいるという。
こんな仕事を前提とする制度を残すのは執行される側だけでなく執行する側の人権も大きく侵害していると思うのだ。
多くの方は死刑がどのように執行されているのかを知らない。
携わる人達がどんな思いでいるかも知らない。
そうした中で支持している人が多いと判断して良いのだろうか。
だから、国会で検討会を設けるべきではないか。
政府ではなく、国民の代表である国会議員が本気で検討すべきだと思う。
これを読んで死刑制度のことに興味を持った方は漫画「モリのアサガオ」を紹介する。
ドラマにもなったので知っている方もいると思うが色々考えさせられる。
特に結論には…
ネタバレするので言わないが、作者は結論を決めずに書き始めて最後に自分が行き着いた結論を漫画の結論にしたそうだ。
皆さんは最後まで読んだ時にどういう結論になるのだろう。
せっかく自公を過半数割れに追い込んだのだから、野党は国会に「死刑制度の存廃を考える検討会」を設けるよう提案をしてもらえないだろうか。