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偏財と偏印 - 本能を理性で抑えられなければ?

大部分の人は大小を問わず、連続的にミスを犯したり、そのミスの範疇で生活している。置かれている状況やミスを犯す時間差はあるが、それ以外に何もない。問題は以前のミスと同じミスを繰り返して生きていくが、ミスを犯した本人はそのような事実に全く気づいていないということであり、忙しい日常と無意識の中でリス回し車のような人生を生きているということだ。このような現実の錯覚が人生の本来の姿なのかと反問してみる。
 
人間は神ではないので、ミスを犯すのは当然のことだろう。しかし、小さなミスだとしても、ミスが失敗につながり、ややもするとドミノ現象として現れる場合がよく見られる。おおきくてもちいさくてもミスはまた別の失敗を招き、それに伴う損失と被害はさらに大きなミスを招くドミノ現象として現れる。 個人のミスもあれば、組織や会社のミスもあり、国のミスもあるものだ。ミスの規模が大きければ大きいほど、被害と損失も耐え難いほど深刻になるものだ。個人のミスは家族全体に影響を及ぼし、国のミスは国民皆に影響を及ぼすことになる。
 
ミスが繰り返される理由を分析する精神医学者や心理学者たちは、ミスの原因を欲望や無限の欲心と見なす場合が多い。欲望と欲心が直接的なミスを犯すわけではないが、人の判断を曇らせ、全く違う結論を導き出すことになるので、自分の本来の意志とは関係なく失敗の状況に追い込むという意味だ。欲望と欲心は四柱推命での偏財に当たり、場合によっては正財の欲望と欲心にも現れる。欲望の対象はそれなりの価値を内包しているため、財星と見る価値が十分にあり、着実さと誠実さで得られる欲心は、正財になって大きな問題を起こすことはないが、正財の状況によっては異なる結果として現れる。しかし、偏財は正財より欲望のスケールがさらに大きいため、当然ミスを犯すことになる選択肢が多くなる。
 

このような状況で偏向的な考え方と偏った思考作用の偏印が偏財の基準で判断に適用させる状況になれば失敗の泥沼に陥るのは時間の問題だ。偏財の過度な欲望によって勘違いした方である偏印が、その考えを現実に合わせて具体化させ、適当な言い訳を作って自分自身の意識と理性を先に説得することになる。 そのような組み合わせがミスを繰り返す原因となる。
 
ミスを繰り返す人は二つの性向に分類できる。無意識的に一生同じようなミスを繰り返す人と、ミスを繰り返す恐怖に意気消沈して何もできない無気力な状態になる人だ。無気力な状態になる人は自分を知って自制する人なので、ミスを減らすことができる。しかし、一生同じようなミスを繰り返す人の無責任な性向は、自分に有利だという基準に忠実なあまり利己的な考えから抜け出せないということだ。自分にだけ有利で、皆に不利なことでも無条件にしなければならないという偏狭な考えに支配されることになる。結局、自分と自分の周り全体を失敗の穴に追い込んでも、極端な利己心から抜け出せない。そのような一方的な偏見と欲が偏財と偏印の作用で極大化される。
 
最近の芸能界で見られるように、一度のミスが回復不可能な致命打となる場合が多い。にもかかわらず、同じミスが繰り返されるのは致命的でない理由もあるが、無責任さと意志が弱いことが原因であることもある。内面に潜んでいる欲を制御できないため、損失と被害は今日も明日も続くことになる。人間は動物であり、動物であるため、本能的な面があるのは当然だ。しかし、人間は一般的な動物と違って理性という強力な武器を持っている。理性が本能を抑えれば賢明な人になるが、本能を理性で抑えられなければ四柱推命でどんなアドバイスをしても本能の性向を防ぐ方法がない。目の前の欲望があまりにも強いため、本能を制御する理性的価値がかえって制圧されることになる。続くミスの終着駅は不幸の駅だ。理性が本能を抑えられなければ、不幸の終着駅に向かって無限疾走する急行列車に自分も乗るしかないという事実を悟らなければならないだろう。


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