マリオ・バルガス=リョサ 『楽園への道』
★★★☆☆
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集Ⅰ-02。ペルーの作家バルガス=リョサが2003年に出した歴史小説です。
19世紀に社会運動家として活躍したフローラ・トリスタンと、彼女の孫であるポスト印象派の画家ポール・ゴーギャンの二人を主軸にしています。
一世代跨いでいるため、五十年ほど隔たりのある二人の生涯が、章ごとに交互に展開されていきます。
ノンフィクションとのちがいがどこにあるのか、その判断は難しいですが、まず文体にあるでしょう。三人称で中立的に進んでいくのが王道だとすると、本作では作者が二人に語りかける二人称になっているため、いくぶん風変わりな印象を受けます。
しかしその分、視点にやわらかさが加わり、全体として優しい文体になっています。かなり研究した上で書いているので史実に基づいているのでしょうが、客観的で価値中立的な文体に留めず、二人をあだ名で呼び、「このときはこうだったね」と、まるで思い出話をするようにあたたかみのあるヴォイスを採用したのが新鮮でした。
実在の人物による実際の人生だったと考えると、この二人は実に波瀾万丈な人生をおくったのだと驚かされます。まさに事実は小説よりも奇なり、ですね。
ぼくは特にゴーギャンのパートの方に心惹かれました。
三十歳をすぎてから、まともな職も家庭も捨てて、芸術の道を突き進むゴーギャンのはちゃめちゃっぷりといったらありません。身近にいたら迷惑極まりないでしょう(事実、奥さんは怒り心頭に発していたようです)。
でも、芸術って本来そういうものなのですよね。
世間の価値とは異なるフェイズに価値を置くからこそ芸術(あるいは文学など)に意味があるわけです。
作品というものはとかく、平和や愛といったわかりやすい価値基準で評価されがちですけれど、必ずしもそういった価値ではかれるわけではありません。
なぜなら、そういったものの追求ならば道徳や倫理で事足りるからです。
芸術にしろ真理にしろ、社会的正しさから逸脱する可能性を含んでおり、だからこそ存在意義があるのだと思います。
ゴーギャンも人間的にはむちゃくちゃだったようですが、作品の芸術性は作者の人間性とは切り離して考えるべきでしょう。
話が逸れました。
本作の魅力は、親密な視線という一見すると歴史小説に用いられそうもない要素を、丁寧かつ端正な文体とうまく融合させたところにあると思います。
ところで、僕は歴史小説というものをほとんど読んだことがないので、どこまでが事実でどこからが脚色なのか、また、事実として確認されていないことをどこまで書いていいものなのか、そのあたりが気になりました。
実際の話というのは、そのあたりのことをいったいどのように線引きし、どのように判断するのでしょうか? 著者も言っているように、フィクションを謳っていれば、多少の嘘はありなのでしょうかねえ。
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