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マルク・デュガン 『透明性』

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★★★☆☆

 2020年10月に刊行されたフランス人作家、デュガンの小説。訳者は中島さおり。

 ディストピア小説という触れ込みをどこかで目にして、なんとなく手にとって読んだところ、それとは微妙に違う印象を受けました。

(※以下、ネタバレを含む内容になります)

 気候変動によって環境が悪化し、情報技術が発達してあらゆる個人情報がアーカイブとフィードバックされる社会が舞台です。
 個人情報をベースに高精度のマッチングシステムをつくり出した「私」は、大量の個人データを人工の身体にインプットすることで死を回避する方法を生み出します。つまり、生前集めた個人情報を脳の代替物とし、別の身体を容れ物とすることで、不死が実現するわけです。これにより、食事、睡眠、排泄、生殖活動がなくなるため、地球環境への負荷が大幅に軽減されます。

 全体としては、思弁小説というか、ステイトメント(メッセージ)と考察が多いです。さらに、2020年あたりの世界情勢を踏まえて発展させたネガティヴな未来像=この小説の舞台設定の説明に割かれている分量も多いため、物語性は薄いです。
 人間とは、神とは、知性とは何かという考察のひとつひとつは読み応えがあり肯けるところも少なくないのですが、正直なところ、うーん、と首を捻る部分もあります。

 そもそも、脳(の情報)を個人たらしめているもの(アイデンティティ)と捉え、脳のデータを復元すれば、同じ人間を再現できるというのが浅薄に思えます。SF小説としてはよくある設定(テーゼ)なのでそれはよいのですが、思弁小説としては考察がやや浅いですよね。
 個人を精神と肉体とに分けて、精神の側にアイデンティティがあり、精神の再現=個人の複製という考えにはうなずけません。人間はそんな単純ではないです。アイデンティティは、精神と肉体が相互にフィードバックし合うことで形成され、時間とともに絶えず刷新されます。その意味でアイデンティティは流動的なものです。そのため、精神だけを再現できたとしても、肉体の情報がなければ、個人は再現できないはずです。そして、肉体の情報にはデータ化されない(本作内ではそうした記述はない)肉体の感覚が欠かせません。両輪揃って、はじめて「個人の複製」という俎上に載せられます。

 本作ではこうした考察の甘さが気になります。
 とはいえ、このあたりのことは作者も気がついていたのか、終盤、データによって人間を再現できる話が嘘だとわかります。そしてその後、とってつけたようなどんでん返しがあり、物語は終わります。

 これだけでも、なんだかなあ、という感想が否めません。それなのにさらにエピローグで、この小説は小説内小説だと明かされます。エピローグ以外の部分は、カッサンドル・ナマラという人が書いた小説だと語られるのです。
(図にすると、『透明性』=小説(byナマラ)+エピローグ、となります)

 圧倒的蛇足。

 このエピローグの部分に、ぼくは作者の逃げを感じましたね。意地の悪い捉え方をすると、小説の設定の甘さや展開の不自然さに気がつきつつもどうにもできなかったので、「架空の人の書いた小説ということにしちゃえ」と考えたのでしょう。

 うーん、どうしてこんなことをしたんでしょう?(編集者も止めなかったのでしょうか)夢落ちレベルの〝やっちゃった〟感が否めません。著者はジャーナリストとしても活動してるので、整合性がとれないことに耐えられなかったのでしょうか。ううむ。

 上記のような大きな問題がある本作ですが、ぼくはわりと楽しく読めました。思弁小説が好きなので、思考の流れを追うだけでもなかなか楽しめます。名作とはいえませんけど。

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