どんな人でも適切な医療が受けられる世の中に
苦しい子供時代
子どもの頃、私はひどい喘息で毎日のように母に連れられて夜中に急患で病院に行っておりました。病院につくと、いつものように診察し、吸入をするとスッと呼吸が楽になり、ケロッとして帰るという感じでした。
時には吸入だけでは改善せず、点滴をしていただいたり、それでもひどい時にはそのまま入院していた時もあります。
母は魚の冷蔵加工の会社に勤めておりましたので、今思うと寝不足で辛かっただろうと思います。
父はどうしているかというと、毎晩お酒を大量に飲んで寝ているので、私を心配することもできず、母の愚痴を聞くこともできず、こんな言い方をするのもなんですが。。。子育てが全くできていなかった。使い物にならないという感じでした。
頼れるのは母のみ。その母も心配性で精神的に強い人ではなかったので、苦しいから病院に連れて行ってくれとなかなか言えず、母の寝室の前で肩で息を吸いながら、苦しさに耐えていたことを思い出します。
病院に行くと私はとてもホッとしました。
「あ~息が吸える。死ななくて済んだ」
時に看護師さんがこんな言葉かけてをしてくれました。
「苦しかったね」
そんな優しい言葉に、私はよくぽろぽろ涙を流していました。
苦しくて、母に迷惑をかけている自分が情けなくて、でも自分ではどうにもならなくて、病院に行き薬に頼るしかない。。。そんな自分に何の価値があるのだろうかと思っていました。
救急車で運ばれる、呼吸停止など、幾度か九死に一生を得る体験をしつつ、
50歳になった現在、「自分は健康です」と胸を張って言えるくらいになりました。
35歳くらいまで吸入薬を持っていましたが、娘の出産と共に手放しました。
娘のお陰で喘息を克服
どうやって治ったのか?と聞かれると恐らく自己イメージや信念が変わったからだと思います。
「自分は生まれつき喘息体質である」
↓
「元気な子供を産みたい」
↓
「薬を使いたくない」
↓
「発作なんか起こすもんか」
↓
「健康になりたい」
↓
「私は健康である」
こんな感じで書き換わっていったのです。
そう考えると娘の妊娠はとても私に良い影響を与えました。娘のお陰で依存体質から自立体質に変わったとも言えます。
いつでも診てもらえるという安心感
昨今、お医者さんが診てくれない場面があるという話を聞きます。
私は自分の体験から、もしこれが喘息の方だったなら、どんなに不安だろうと想像するだけで胸が痛みます。
風邪が引き金で発作が起きることもありますし、診てもらえると思うだけで、発作が起きるかもしれない(=死ぬかもしれない)という恐怖心から解放され、安心できるはずです。
どうかどんな人も平等に医療が受けられ、安心して暮らせる世の中が実現しますように。
私にできることは何なのか、自問自答しているところです。