他人の評価に依存した幸せからの脱却

こんにちは!Akiです。

今日は表題の通り「他人の評価に依存した幸せ」からの脱却について書いていこうと思います。

「幸せかどうかを他人からの評価に依存するのではなく、自分の価値観で幸せかどうか判断して、やりたいことをやるのが幸せ。」っていうのが理想なんだけど、長く日本にいて、そういう社会で生きてきたから、どうしても他人からの評価や目が気になるのよね。

自身のTwitter

オーストラリアにいる今、自身のTwitterで発信したように、他人からの評価をある程度無視しようとしている。
ただ一方で日本で暮らし日本で就職したのでどうしても他人からの評価や他人の目が気になってしまうのである。

オーストラリアはいい意味で他人への関心があまりない気がする。あったとしても「そういうもんか!」くらいで、こうあるべきだとか押し付けはないように感じる。

もちろん私自身ネイティブスピーカーではないし、永住者でもないので
細かいところはわからないが、少なくも日本よりは他者からのプレッシャーが少ないと思う。

私が他者からの評価を気にするようになったのは、生まれ育った環境にあると思っている。3人兄弟の末っ子で、両親は教育に熱心だった。

〜くんはどこの学校に行くとか、〇〇ちゃんはどこどこの会社に就職したとか、嫌でも耳に入ってくる環境だった。兄たちを見て育ったのもあって、いかにうまく立ち回るか、いかに迷惑をかけないようにするかみたいなことも考えていたように思う。

そんな環境で育つと自分の意志=親の願望みたいになっていくのだった。もちろん反抗期のような時期もあったが、結局、周りの人が望む人生を送った方が、自分自身も幸せになれるような気がしていた。


もちろん大学は自分で選んだし、就職先も自分で選んだが、
自分自身、勝手に他人の期待を背負って、みんなが喜びそうなところを選んだ。

自分の意思や幸せを犠牲にしても他人が幸せになるのであればそれでいいやと本気で思っていた。


でも実際に就職して、働くとそこには自分の人生がある。自分の意志と反することや自分のやりたくないことを我慢してやらなければならない。
もちろん自分の選択なので言い訳するつもりもない。

ただ、我慢できなかった。仕事はやめた。

他人からのプレッシャーを一生感じながら仕事なんてできないと思ったからだ。

自分のやりたいことをやって生きていきたい、そう思うようになった。

最初は胸が躍った。でも現実は甘くなかった。

自分のやりたいことは何なのか、自分は何に興味があって、どういう時に幸福感を感じるのか。


全然わからなかった。


気づいたらオーストラリアにいた。
正直、今もわからない。
でも他人からの評価はそこまで気にしなくなった。出世レースや結婚・子育て見たいな同世代の人たちが通っている道からあまりにも大きくかけ離れたので、単純に比較できなくなっただけかもしれない。

でもこれは自分の中ではかなりの進歩。
残りのオーストラリア生活でもっと自分の価値観を言語化できるようになりたい。

今日は以上。

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