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第2回公園 脚本紹介⑧『創作おばけ』

【テーマについて】
「創造性(creativity)」という目に見えない相手を探りたいという動機から、創造性を「おばけ」として擬人化しました。
擬人化することで、創造性単体ではなく、創造性との《関係性》やその変遷を描くことができたように思います。

作品以外の媒体で作品の中身について語ることは無粋だなと思うし、作品そのものを見てほしい思いがあるので、人生初の脚本・演出の過程をふりかえっての気づきを綴ります。

今回、自らの経験にくわえて、自らのクリエイティビティについて語る友人や研究を思い出しながら執筆をしていました。その中でも特に影響があったものを紹介します。

▼同人作家として名をあげる友人
「他の人の作品では満足できない」「供給が無いから自分がつくるしかない」「そうやってつくったものに他の人が評価や感謝をくれるからまたつくる」

▼研究者の友人
「研究なんて、やらされてやるものじゃない、やらずに済むならそのほうが幸せかもしれない」「それでも自分はやらざるをえない」「(何かに)やらされている」

おもしろいなと思ったのは、創造に向かう動機が《必ずしもポジティブな言葉で語られてはいない》ことです。
「やりたい」とは言わずに、「やるしかない」とか「やらされている」という言葉で表現される複雑な意味づけ……これはなんなんでしょうね。今回の舞台で、その一つの答えを形にしました。

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【脚本執筆プロセスについて】
初稿をあげた後も度重なる改稿をしました。そのせいで役者さんたちが台本を入れる負担を大きくしただろうこと恐れ入ります。

「このままじゃ表しきれていない」とか「私だけがわかってもダメだ」という思いから何度も書き換えてしまったのですが、一度形にした作品と何度も向き合い直して再構成する過程には、創造につながる醍醐味があったように思います。
その過程は、単なる改善ではなく、表現したいものの正体を探るという執念の表れだったのかもしれません。

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【演劇という表現媒体について】
今回、表現したいことを演劇でやろうと思った一番の理由は、「言葉だけでは表しきれない感覚」や「人と人との間で起こること」を表現したいと強く思ったからです。
そのせいで、演出家として「こんなことやってみてほしい」と身体の動かし方や表情や声音について色々なお願いをして、また役者のみなさんを困らせてしまったかもしれません。そんなこだわりに持ち前の身体表現能力で答えてくれた役者のみなさんには頭が上がりません。

また、今回のように脚本家と演出家を兼ねてやってみたからこその醍醐味もありました。
作曲家が音楽を創造しても演奏してもらわないと形にならないように、脚本家が脚本を執筆しても演じてもらわないと形にはなりません。脚本家が発揮するクリエイティビティって、そういう《「これから完成するもの」を創造するクリエイティビティ》だと思うのです。
脚本では形になっていなかった伸び代や余白の部分が稽古をとおして完成していき、脚本時点での想像を超える演劇として現れるのがおもしろかった。

脚本を演劇として形にする過程で起こる予想外はポジティブな感情とは限りません。同じ脚本を読んでも解釈はわかれるもので、「いいねえ」という共感が生まれる一方で「なんかちがう」という違和感も生じます。でも、そういう予想外を受け入れおもしろがりながら、話し合って、つくってみて、そうして一つのものをみんなでつくりあげるからこそ、想像を超えるものを創造できる。そこに醍醐味があると思いました。

まとめにかえて、
この演劇は一人ではつくれないものでした。
脚本を読んで真剣なフィードバックをくれた友人たち、静かな台本の文字列から動きを生み出してくれた役者の方々、空間的な舞台を仕上げてくれた音響・オペの方々、演劇という機会を共に過ごしてくれた仲間や観客のみなさまに、感謝を申し上げます。ありがとうございました。

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