ワトソンが見た「束の間の夢」(なるべくネタバレ回避版)
一袋の粉末スープに注ぐ湯は、マグカップの半分くらいが適量。満タンにしてはいけません。秋帽子です。
本稿および次稿では、「蔵書より」特別編として、2024年1月に単行本化された森見登美彦『シャーロック・ホームズの凱旋』(以下、本作または『凱旋』と略記)を取り上げます。
まず本稿「なるべくネタバレ回避版」では、本作の注目ポイントをかいつまんでご紹介。さらに掘り下げた内容は、次稿「遠慮なくネタバレ満載版」にてご報告します。
というか、本作には、書いておきたいことがありすぎて、スマホで快適に読める文字数にはとうてい収まらないんです…。本稿では物足りない方、雑誌連載版や、原典・他作品との対照などに興味がおありの方、森見登美彦さんご本人等は、ぜひ次の長いヤツをお読みくださいませ(エンジョイ層の善男善女が間違えて踏まないように、有料公開とさせていただきます)。
本稿は、本来書きたいもののごく一部、ダイジェスト版ということでよろしくお願いします(それでも3,800文字を超えたのは内緒ですよ)。
では、いよいよ、ヴィクトリア朝京都の世界に入っていきましょう。
1.森見氏の挑戦、3作目
本作は、『夜は短し歩けよ乙女』『ペンギン・ハイウェイ』などで知られる、森見登美彦さんの最新長編小説です。演劇や映画に翻案された作品も多く、普段はあまり読書をしない方でも、名前を聞いたことがあるかもしれません。
ここ10年弱くらい、森見さんは、デビュー以来の作風とは少し異なる、ずっしりと読み応えのある長編作品を発表してきました。
エンターテインメント小説という土台は踏まえつつも、「物語はどうやって生まれて来るのか」という謎を見据えて、作家自ら、創作行為の源流へと探究を進めていくものです。
ホラー色の強い『夜行』、千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)を素材にした『熱帯』に続き、『凱旋』は3作目の挑戦といえるでしょう。
本作は、大人気作家の新作、しかもタイトルは「シャーロック・ホームズの○○」で、キーワードは「ヴィクトリア朝京都」であるとアナウンスされましたから、ファンや書評子、書店員さんたちの期待は「モリミーのいつものアレ」「おなじみのキャラクターたちが大活躍」「今回も面白くて、一気に読み終えてしまいました!」「そうだ、京都に巡礼に行こう♪」という方向で膨らむわけです。
しかし、実際に本作を読んでみると、コレはそういうアレではあんまりなくってですね…。しっかりと、『夜行』『熱帯』の課題に再挑戦したリターンマッチ作品になっております。「創造の魔術」というテーマに、実験文学ではなくエンタメの手法で取り組み、作家が自身の奥底にある不思議な場所を探検するのですからスリルは満点、随所に不穏さと緊張感が漂います。
もちろんエンタメですから、終盤にはサービス満点の見せ場を経ての大団円、きちんと物語が締めくくられます(『熱帯』の結末に関するモヤモヤを克服していますね)。しかし、そこで「めでたしめでたし」とはならず、読後に大きな余韻が残る作品となっています。
2.思っていたのと逆さま?「東の東の間」
『凱旋』の主人公にして語り手は、ジョン・H・ワトソン。コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズ原典において、ホームズの助手兼記録係を務める名脇役です。
ただし、本作でホームズ&ワトソンが暮らすのは、ロンドンではなく「ヴィクトリア朝京都」。京都であって京都ではなく、そこに暮らすホームズも、ホームズであってホームズではありません。次から次へと推理を外しまくり、自信も名声も失って、下宿に引きこもっているダメ探偵なのです。
どうして、こんなことになったのか?カギを握るのは、ヴィクトリア朝京都の某所にある、「東の東の間」という不思議な場所です。詳細は本作を読んでいただくとして、この場所の要点は、立ち入った者が「ほんの束の間」夢を見る場所だという点にあります。
「ほんの束の間」とは、森見さんが『竹取物語』の現代語訳で用いた表現で、ざっくりいうと、物語上は長い時間として語られているが、傍から見れば瞬く間に過ぎてしまう、物語の魔法がかかっている時間のことです。
「ほんの束の間」のイメージは、中国の古典に由来する「邯鄲(かんたん)の夢」と似たものと考えても良いでしょう。パッとしない人生に不満を持つ人物が、ひと眠りしている間に、夢の中で出世と失脚、また復権を繰り返す波乱万丈の人生を体験し、最後は大往生を遂げたところで目を覚ますという筋書きで、夢の中で見た物語も、目覚めて戻る平凡な人生も、どちらも等価な現実であると悟った主人公は、不平を鎮めて静かに去ってゆきます。
つまり、ヴィクトリア朝京都のホームズ&ワトソンが体験している本作の「現実」も、誰かが書いた「ほんの束の間」の物語にすぎないかもしれない、というわけです。
探偵であるホームズは、謎の正体に気づいていても、自力では解決できません。ホームズの物語を探偵小説として作品化しているワトソンの力も、絶対に必要なのです。
物語のうえでは、ホームズを生かすも殺すもワトソン次第。これを「ワトソンなくしてホームズなし」というバディものの関係性に結び付けたところが、本作の「ホームズもの」としての素晴らしい着眼点であり、独自性といえるでしょう。ミステリー小説や冒険小説として、ヴィクトリア朝当時の社会を舞台にホームズやワトソンが活躍する翻案作品は、無数にあります。作家としてのワトソンを、原典よりも掘り下げたメタ展開作品もあるでしょう。
しかし、本作のように、「ほんの束の間」という観点を抽出し、竹取物語と結びつけた作品は珍しいのではないでしょうか。
そして、本作における特別な仕掛けは、これだけには留まりません。実は、この「東の東の間」の力は、この部屋が開かれていたときではなく、封じられていたときに発揮されていたと思われるのです。
ヴィクトリア朝京都のホームズが名探偵として活躍していた時期、具体的には、ワトソンに出会う『緋色の研究』から、メアリ・モースタンが登場する『四人の署名』あたりまでの期間は、「東の東の間」が、屋敷の当主によって封印されていた時期に当たります。
もしかして、ホームズが名探偵となったのは、誰かが「東の東の間」で見ている夢の力によるものだったのでは?ホームズが事件の真相を見抜くのではなく、ホームズが見抜いた真相だけが真相たり得る、黄金時代のホームズについて、ワトソンはこう表現しています。
直感的に想像するのと逆ですよね。
しかし、推理小説の創作の過程を考えてみれば、作者は、まず事件のトリックや犯行の経緯、意外な犯人像などの「真相」を思いついてから、本文を書くという順番になるのでは?ホームズの見抜いた真相だけが真相、当たり前といえば当たり前です。そして、「創造の魔術」が解けてしまえば、あとには、推理が急に当たらなくなったことに困惑するホームズだけが残される…。
「どうもおかしいな。天から与えられた才能はどこへ消えた?」
この仕掛けに着目すると、本作の謎解きが、より一層楽しめると思います。
3.こういうのでいいの?という不安
エンタメ作家として、森見さんは『凱旋』のような作品に時間を割くことに、大きな不安をもっておられるように見受けます。
作中でワトソンは、これまでの路線とは異なる自信作を手にしつつも、読者が喜んでくれるだろうかという不安にさいなまれます。この不安は、少なからず森見さん自身の不安を反映したものでしょう。
刊行後のインタビュー等を拝見すると、『夜行』『熱帯』そして『凱旋』と書き継いできて、作家として大きな手ごたえを感じつつも、読者が、出版社が、書店員さんが望んでいるものとは、少し違うものを書いてはいないか、という感覚をお持ちのようです。
しかし、わが秋帽子プロジェクトとしては、「よくぞ書いてくれました、ありがとうございます」と申し上げたいです。物語が人を惹きつけ、動かす力とは何か、「ほんの束の間」の体験が、一生の財産となる不思議に迫る取り組みは、現役の人気作家がやるからこそ、大きな説得力と感動を生じさせます。
しばらくは、森見さんの考えるエンタメの本道により近い作品に取り組まれるのかもしれませんし、ファンとしてはそちらも読みたい。演劇・映画の翻案である『四畳半タイムマシンブルース』のような作品にも、楽しいひと時を過ごさせていただきました。
ですが、きっと森見さんは、また『凱旋』に続く作品を書いてくださるに違いありません。未解決の謎が、まだまだ眠っているからです。
4.ヴィクトリア女王の謎
本作のエピローグ、その最後の最後において、「東の東の間」を上回る、本作における最大の謎が登場します。
ホームズ、アイリーン・アドラー、モリアーティ教授の3名に勲章を授与したヴィクトリア女王は、主人公ワトソンに対し、形式的な栄誉とは異なる、特別な贈り物を用意していました。
えっ、これ…何ですか?どういうこと??
「創造の魔術」を巡る探究は、まだまだ続きそうです…。
どうしても気になる方は、ぜひ『シャーロック・ホームズの凱旋』本文をお読みください。既読の方はもう一読を。きっと新たな発見がありますよ(次稿「遠慮なくネタバレ満載版」もよろしく!)。
2024年3月27日
秋帽子
〔蔵書データ〕ファンタジー、創造の魔術、深まる謎
『シャーロック・ホームズの凱旋』
著者:森見登美彦
発行:中央公論新社
2024年
ISBN978-4-12-005734-2