東の渋沢、西の五代友厚について
五代友厚について
五代友厚は、1836年2月12日に薩摩国鹿児島城下で生まれ、1885年9月25日に亡くなった日本の実業家です。彼は大阪経済界の重鎮の一人で、大阪市の本邸跡は大阪科学技術館・日本銀行大阪支店になっています。彼は商工業の組織化、信用秩序の再構築を図り、大阪経済を立て直すために尽力しました。
五代友厚は、大阪の商工業の発展に多大な貢献をしました。彼が自ら起こした事業や設立に関与した会社の主なものとして、1869年に大阪通商会社・大阪貿易会社が設立され、金銀分析所も設立されました。1870年には、大阪活版所が設立され、日本初の英和辞典が刊行されました。また、薩摩藩の紡績所が堺に設立されました⁴。他にも、彼は紡績業・鉱山業・製塩業・製藍業などの発展に尽力しました¹。
五代友厚は、大阪商工会議所の設立に深く関与し、初代会頭を務めました。彼は、大阪経済が低迷する中、財界指導者の有志15名とともに、1878年に大阪商法会議所設立の嘆願書を大阪政府に提出しました。これが今日の大阪商工会議所の礎となります。彼はまた、大阪財界人の田中市兵衛らとともに、大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)を設立しました。
映画、天外者でも五代友厚の人生が描かれているのでぜひ興味のある方はご覧ください!三浦春馬さんが主演を演じており、坂本龍馬や三菱創設者の岩崎弥太郎、のちの総理大臣伊藤博文との関係性がとても興味を惹かれる映画となっています。
ぜひ、大阪にお越しの際は、東の渋沢と並び称される西の五代友厚について、知ってみてください!そして、大阪商工会議所や大阪取引所を観光してみてください!
大阪の本町や淀屋橋、中の島あたりは、金融系企業も多く、昔からの米相場の影響も色濃く残っていますので、ぜひ散歩してみてください!
では、今回はこの辺で!