国立が学費150万円になったら
新聞を読むと、国立大学の年間学費を
思い切って150万円に値上げしちゃどう?
という検討委員会の座長(確か慶応の先生)
がおっしゃったとか。
あんた慶応やで言うてんのやろって
突っ込みたくもなるけれど、じゃあ
今の問題点とか、これなら叶う?と
ない私の頭で考えてみました。
今の国立大学はだいたい53万円ほど。
約3倍に膨れ上がります。
モラトリアム期間が永くなってしまった
為に、「学校学部を選ばなければ、誰でも
入れるのが日本の大学」って揶揄されてます。
確かに昔は高嶺の花。
でも、夜間(二部)、通信、名門の私立は
両方または片方あるものですし、今も
通信部だけながらある大学も存在します。
高校は卒業したけど、何をやりたいか
よくわからないなら、取り敢えず大学、
というのが流れです。
しかし、昔のように、働きながら二部で
勉強して大学卒業し、お給料を上げるとか
していると目的意識がはっきりしますよね。
海外だと、高校卒業後は1年ほどを
国内または出来るかぎり海外に放浪する
中で、自分のやりたいことや見つけた課題を
解決していくか考え、そこに向けて
必要な勉強をしていくスタイルが
多いんだとか。アメリカの大統領経験者も
最初からハーバード等のアイビーリーグに
行ったわけではなく、短大や地元の単科
大学で勉強して、単位を成績優秀で揃え、
いざスタンフォード!コロンビア!と
なって、奨学金全額授与!となるとか。
となると、実は中学卒業する時点で、
一度間を空けてアルバイト1年ほど
やるのを課すことにしたり、必ず1年は
高校入学まで空けて、自分のやりたいことや
興味があることをやる。その後母校の
中学に成績表をもらって高校受験する。
大学もせめて半年は入らないで、
働くかボランティアをする。
または高校卒業後、3年間みっちり
仕事をして、勤務先に「大学に自力で
行きたいのでお金貯めます」と申告。
勤務先にも「この人勤勉だよ」って
推薦状書いてもらい、奨学金を
半分得ながら学ぶ事を標準にする。
海外では大学まで国家予算で賄う
事が標準である場合も多いわけです。
人は財なり、だからでしょうか。
となると、日本の、教育費を家庭が
持つ姿勢はこの物価高や世界標準を
考えると、そういうことになるんでしょう。
教育費を国家が持たないのは、明治の
頃からです。文部省に予算配分するのは
ラスト。初めに削るのも文部省。
200年近くたってもこんなだから
大変な目に遭うんです。
予算配分を文部科学省から一番に
始めたら、それだけでも随分違ってくる
はずです。
大学、高校の入学卒業に、もう一度
向き合わねばならない時が来ている
のかもしれません。
しかし、150万円。
慶応標準なのも、鼻持ちならんな。
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