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【移住・子育て】文化的体験の地域格差について #4

先日、LOCAL NIGHT NIPPON(日本の地域を楽しく語るポッドキャスト番組)に出演した際に、こんなコメントをいただきました。

東京とそれ以外の地域との「文化資本の豊かさ」の違いをひしひしと感じることがあります。自分は親が音大出身かつ実家も東京で、いろいろな芸術に触れて幼少期を過ごすことができたのですが、こどもを持った今、自分の幼少期と同じような環境をつくってあげたい、と思うと、どうしても東京を魅力的に感じずにはいられません。(もちろん、地域とひとくくりに言える現象ではないですし、私の努力不足のですが)あきさんの目線で「文化資本の地域格差」について何か感じる点があればお聞かせいただけたら嬉しいです。

コメントありがとうございます!!!

わかる〜!!実は私も東京で美術館やギャラリーなどに子供の頃からよく連れて行ってもらっており、そんな影響もあり大学は東京芸術大学で美術史を専攻し、当時は毎日美術館かギャラリーに足を運んでいました。実は美術教育、特に鑑賞教育と呼ばれる分野を勉強していたりしたこともあり、子供ができたらたくさん美術館に連れて行ってあげたいな、演劇やコンサートなどにも小さいうちからたくさん連れて行ってあげたいな、と考えていたクチです。
しかし、地方に移住すると圧倒的にこうしたいわゆる文化的な体験ができる機会や場所が激減します。公的な美術館博物館の数も東京のようにはなく、最先端のアートギャラリーや劇場も地方にはないか、数が非常に限られています。特に子供が体験できるようなものとなるとその数は格段に少なくなるでしょう。東京で子育てをしている友人が、週末に子供と美術館に行っている様子などを聞くと正直、とても羨ましくなります。

移住した当初、子供ができた当初は、私もこの地方での文化的な体験格差が子供の教育において圧倒的なデメリットだと考えていました。でも、実は今はそうは思っていません。前置きが長くなりましたが、今日はそんな話。

そもそも、なぜ子供に文化的な体験をさせたいのか?

子供にはできるだけ多様な体験を、特に文化的な体験をさせたい、そう考えるのはごく自然なことだと思います。(特に自分がそうした体験をしてきたならなおさらですよね。)でも、その想いの裏側には子供への何かしらの期待があるはずです。例えば、「感受性の豊かな子になってほしい」、「表現力をつけてもらいたい」「思考力を高めてほしい」とか…それぞれの親心は異なれど何かしらこの文化的な体験を通じて子供たちのなかにポジテイブな変化をもたらしたい、と考えているはずです。

子供が変化するために必要な力

私は子供が変化するために一番大切なのは”感動する力”だと考えています。子供に限らず大人も、何かを見たり、体験した時に、強く心動かされた(感動した)経験が努力や変化への原動力になるものだと思います。誰しも経験があるはずです。プロ野球選手のHRを生で見て野球選手を目指す、とか、素晴らしい絵画にであって絵筆を買ってみる、とか、スタイル抜群のモデルさんの姿を見てダイエットを始める、とか、なんでもいいのですが…感動するという経験は人にとって何より大きなモチベーションになるものです。こうして見てみると、感動する力を発揮するのは文化的体験に限らないことがわかります。また、何に感動するかは人によって異なることもわかるかと思います。大谷選手がどんなに活躍しようとも、野球に興味のない我が人生に影響を与えることはないでしょうが、野球選手を目指す子供たちにはキラキラと輝いて見えるはずです。

「文化的体験をすれば”感動する力”がつく」は大人のエゴ

文化的体験の話に戻します。東京には美術館や劇場がたくさんありますが、では東京に住む人がみんな毎週文化的体験をしているかというとほとんどがそうではないですよね。小学生くらいになると美術館に遠足に行ったりもしますが、みんなが作品を観ているでしょうか?
美術館や音楽や演劇などの文化的体験をさせれば、”感動する力”が身に付くというのは大人の思い込みでしかありません。実は逆で、”感動する力”があるからこそ、文化的体験がその人にとって価値あるものになるのです。”感動する力”のない人に、何を観せても何を聴かせても、残念ながらなにも効果はないでしょう。

子供は何に”感動”するのか?

じゃぁ「どうしたら子供の”感動する力”がみにつくねーん!」と思った皆様、大丈夫!簡単です。

あなたが本気で楽しめばいいんです!

大人が本気で楽しんで取り組んでいる姿
は、子供にとっても”感動”する体験になる。そのことに気がついたのは、昨年の5月私の住んでいる地域で開催された7年に一度の大祭”御柱祭”でのことでした。御柱祭は山から御神木を切り出し、地元の神社に奉納する歴史あるお祭りで、地域中の大人たちが1年以上前から準備を進め、本祭の日には地域外からも多くの人が集まり御柱を引きまちから神社まで運びます。地域住民からすればとっても大変だけど、とっても大切な地域のお祭り。
我が子はまだ1歳半でようやく歩き始めたくらいでの参加でした。お祭り当日、なんだかよくわからない顔をしながら御柱に繋がれた綱を引いていました(正確には”引っ張られていた”の方が近いですが…)。私が驚いたのは、お祭りから1ヶ月ほどたったある日のこと、何かの梱包に使われていた紐を手に持って息子が「よいしょ〜よいしょ〜」と叫びながら歩いているのです。もう1ヶ月も前のこと、しかもまだ言葉もおぼつかない子供がお祭りの掛け声を覚えていて真似事をし始めたのです。お祭りの時はなんだかよくわからない顔をしていた息子ですが、ちゃんと覚えていたのです。これは我が子に限らずで、保育園でももう少し大きい子になると木遣り歌という祭歌をうたったり、掛け声の真似事を半年以上後にも続けていました。飽きっぽいはずの子供たちが、なぜこんなにも長い間お祭りの様子を真似ていたのか?それは偏にお祭りで木遣歌を唄い、掛け声を出し、汗をかいて柱を引く大人たちの姿が色濃く印象に残っていて、それが何より楽しそうに見えたからではないでしょうか?子育てをしている人ならば、大人が何かに夢中になっていると子供も「いっしょにやるー」と近づいてくるというような経験をしたことのある人も多いでしょう。
子供にとって大人が本気で取り組む姿は、心を動かす”感動”体験になるのだと思います。こうした感動体験を繰り返した子供は、”感動する力”を身に付け、文化的体験に限らずさまざまな体験に感動し、自らの糧にして行ってくれるはずです。

”本物”じゃなくたっていい

とはいえ、「いくら”感動する力”を身につけたって、文化的な体験に触れることができなければそれを活かせないじゃない!」と思う方もいると思います。でも、その文化体験が”本物”でなければならない、という理由は実はないと思うんです。今は本当にいい時代で、インターネットのおかげで画集や音源もすぐに手に入りますし、動画でプロの演劇や演奏を見ることだってできます。今後はVRで海外の名画や舞台を目の前で鑑賞するように楽しめる時代もすぐくるでしょう。”本物”に触れることはもちろん大事です。”本物”を見ることでしか得られない感覚も実際あります。でも、それは子供自身がそのものに興味を持ち、自ら楽しんでこそ得られるものであり、闇雲に見せたからと言って得られるものではないのです。子供自身の自主性がなければ、フランスでモナリザを観ようが、オペラを観ようが、親の自己満足にしかならないんですよね。
もし、親としてできることがあるとすれば、たくさん文化的体験のきっかけを置いておくことと、子供が「これの本物が観たい!」と言ってきたら、その時は全力でそれが体験できるようにサポートしてあげることくらいだと思います。
いずれにせよ、大きくなって興味が出ればいくらでも自分で観に行くようになりますから。それまでは子供と一緒にたくさん楽しんで、たくさん感動する体験をしていきたいですね。

というわけで、「文化資本の地域格差」については、『確かに格差はめちゃある、だけど子育てにおいてはそれほどデメリットではない(それよりもっと大事なことがある)』が私の持論です。


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銀座OLから突如縁もゆかりもなかった、長野県塩尻市に移住した私が日々の思いつきや偏愛、思考などを書き留めています。
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書いていきそうなテーマ:地方移住・子育て・自営業・偏愛・趣味など


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