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明日、出産しにいきます。

 2021年の年明けは、強烈な吐き気に襲われていました。つわりではありません。単なる二日酔い…。「いや〜これはしばらく飲まないでいいかなぁ笑」なんて思っていたのだけど、まさかそれが現実になるとはこの時は思いもしなかったのでした。

・妊娠予兆

 正月休みを明けて、ふと月のサイクルが遅れていることに気がつきました。元々妊活をしていたわけでもなく(してたらさすがに暴飲暴食なんかしない)、健康体だったこともあり、かなりその辺りズボラに管理をしていたので確証はなかったのですが、よく考えると遅れているかも…くらいの認識でした。(←今思えば、ちゃんと管理をしておけばよかった。ここを怠っていたせいで、臨月に入ってから無駄に不安を感じる羽目になったのでとても後悔しました。)いよいよおおむね一週間以上がすぎて、「いや、これはさすがに、もしかしたらもしかするぞ」と思い始め、薬局に行ったのが確か1月の10日頃だったと思います。「ついにこれ(妊娠検査薬)を買う時がきたのか…」とかなり緊張していつものドラッグストアに行ったは良いものの、それがどこのコーナーに売っているのかわからずウロウロ…整理用品やベビーグッズコーナーなどをみてもなく、でもなんか恥ずかしくて店員に聞くこともできず、ロードサイドの無駄に広いドラッグストアの隅々を歩き、コンドームの横に陳列されているのを発見したときは妙に腑に落ちた気持ちになったのでした。1本だけでなく10本箱入りとかも売っていて、「あーそっか、妊活している人とかは日常的に買うものなのか…」と、一人で勝手に緊張していた自分がちょっと気恥ずかしく思ったりしながら、お会計を済ませたのでした。

・妊娠発覚

 結果は陽性。夜寝ていた旦那さんを叩き起こし、状況を説明、いっぱい泣きました。嬉しかったわけでも、悲しかったわけでもなく、とにかく不安でしかたなかったんです。完全に一種の混乱状態だったとおもいます。「とっても嬉しいことだよ。」と旦那さんに言われようやく正気をとりもどすことができた気がします。
 何がそんなに不安だったかというと、第一に、流産などせずにきちんと産めるかどうか?第二に、私が動けない間、家事をどうすればよいか?不思議と仕事のことは一切眼中になかったのでした…。翌日慌てて婦人科に電話したものの、予約がとれたのは一週間以上先…。やきもきして過ごしました。
 ちなみに、検査薬を使う日の夕方に缶のハイボールを1缶だけ飲んだのだけど、どうせならもうちょい良い酒のんでおけばよかったと後悔したのはここだけの話。

・〜12週 不安爆発期

 病院に検査に行くと、きちんと心拍が確認され妊娠7週目だとわかりました。エコーに映し出された我が子は豆粒のようで、これが子供だと言われても正直ピンとこず。ただ、自分の体の中に心臓が二つあって、それぞれ別の鼓動を打っているのだと思うとなんだか不思議で少しほっこりするきもちになりました。あと、初診の診察代保険効かなくて8,000円以上かかって、しかも現金のみで支払いギリギリでした。そういうことは先に教えておいて欲しい。
 ここからの約1ヶ月、妊娠12週までの間が、一番不安でつらかったかもしれないです。あくまでも私の肌感覚ではあるが、友人や知人の話を聞くに妊娠がわかっても約半数は流産していると感じていたのです。ひたすら週数と流産の確率と予兆などを調べまくっては不安にかられていた日々でした。この頃の子供はまだ胎児ですらなく、もちろん胎動もなく、お腹も出ていないし、私の場合(これは非常にありがたいことに)つわりがほぼなかったため、本当にいるのか?と余計に不安になるのでした。きちんと調べれば、流産の割合は限られているのですが、この時の私にとっては「たとえ確率が1%だとしても、その1%が自分だったらそれはもう100%じゃないか!」という極めて文系的発想で不安を自分で煽っていた節がありました。初期流産の可能性が極めて少なくなると言われる12週目の検診の際、心臓の動いている様子を見て、本当に安心して検診台の上で一人涙しました。
 今思えば、もう少し新しい命の力を信じてあげればよかったな、とおもいます。実母より「そんなに不安に思っていたら赤ちゃん遠慮しちゃうよ…」と言われて、すこし心穏やかになったのを覚えています。

・〜5ヶ月 心と体の準備期

 2回目の検診の後母子手帳をもらったのですが、初診時になんとなく適当に書いた最終月経日から出産予定日が決まってしまい、「えっあっそんなかんじ?」とちょっとあわあわして、「あっでもいずれ正確な日取りが決まるんだよね?」とおもったまま、臨月を迎えるハメになるから、妊娠可能性のある方はほんとちゃんと記録取っておいた方がいい
 母子手帳ももらい、こちらの不安をよそにとても元気に育つ我が子。そして相変わらず目立ったつわりもなく、東京と往復しながら仕事を続ける私。唯一、日中異常に眠たいという超マイナートラブルがあったものの、婦人科で何か不調はあるかと聞かれたので伝えたら、「うん、ねむいよね〜。」と軽くあしらわれて終了でした。こんなにも順調なのに、心配性は留まらずひたすら検索を続けていました。ちなみに、これは今後の自分に対しても言えるのだけど、ネット検索は百害あって一理無しです。不安になるだけだから。ただ、情報は欲しいなら一冊だけ本を手元においておけば良いと思う。『はじめてパパ・ママの妊娠・出産辞典』みたいな本、古本で100円とかで大量にあるので、それ一冊枕元においておけば十分。
 たしか2月頃には、メインで仕事をもらっている会社にも妊娠を報告しました。安定期には少し早かったのですが、3月末に契約更新のタイミングがあったこともあり、早々にお伝えをしました。この頃からようやく妊娠したことを楽しく捉えられるようになってきたように思います。そして3月23日にようやく安定期を迎えることができました。

↑毎日の成長が見えなさすぎていれたアプリ。日々の成長を少しでもイメージできるのは良いけど、ついリンクから余計なこと調べてしまうのが難。

・〜29週 マタニティエンジョイ期

 3月末から4月頭にかけては、引越&新婚旅行へ。新居は里山の穏やかな土地。家も広くなって、少しずつ子供を迎える準備も始めました。親戚からたくさんのベビーグッズをもらったり、借りたりして揃えていきました。またまた検索魔で、この頃は1日の半分くらいベビーグッズを調べていたかも。いろんな情報が出回っていて、結局はたくさんの情報を仕入れた上で、自分で判断することが大切なのだと強く感じました。
 5月6日、22週の検診で性別が判明。エコーを見ながら先生が「あー性別わかるね、聞きたい??」と念のため確認してくれたのですが、エコーの画面を見れば、医者でなくともはっきりとわかる男の子でした。性別がわかるとなんだか一気に存在感を増していき、愛おしいという気持ちが強くなってきました。胎動を感じ始めたのもこの頃で、旦那さんにも外から触ってもらい、伝わった時にはとても嬉しい気持ちでした。
 5月末の戌の日に諏訪大社に安産祈願のお参りに出かけました。いろいろな考えの人がいるし、流産の可能性だってないわけではないので、迷ったのですが、このタイミングでFacebookに妊娠の報告をしました。明らかに見た目が妊婦になりつつあったのもありましたが、地域で出産する以上、周りを頼って行きたいという想いが強くなったというのが大きいです。出産・乳幼児期のグッズは、必要なものが多い割に期間限定でしか使えないものが多い(しかも高い…!)ので、周りの先輩ファミリーを頼りに、できるだけ買わないで済ませたかったというのが本音。おかげさまで、大きな買い物はチャイルドシートくらいで、消耗品なども含めてかなりの物品を譲っていただきました。物品だけでなく、病院や出産時の事などいろいろと経験談をおしえてもらったり、約1歳違いのお子さんの成長の様子を見ることができ、ネット情報なんかより何倍もためになって安心できる情報をたくさんもらうことができました。親戚のいない移住先での出産を選びましたが、結果として多くの同世代の先輩ママに囲まれて情報交換したり励ましてもらったりして、「東京で産んでたら、親はいるけどすごい孤独だったろうな…。」と切に思います。と同時に、自分もこれから出産する人がいたら、できることはサポートしたいなぁと思っています。
 それとこの頃すごく嬉しかったのが、アマゾンプライムデーです。旦那さんが、自分で調べてロボット掃除機とルームライトを買ってくれたんです。そのモノが嬉しかったのではなく、「子供が生まれた後の生活を想像して、必要なものを考えてくれた」そのことがとてもうれしくて、一緒に同じ立場で考えてくれているということが本当にうれしかったです。

↑妊娠中、呑みまくったノンアルビール。とても美味しい。無添加。

・〜36週 心身不安定期

 そんなこんなで、ベビーグッズを集めたり、部屋を整えたり、マタニティスイミング行ったりとマタニティライフをエンジョイしていた30週0日、事件が起こりました。神社への朝散歩の帰り、自宅に入ろうと玄関の扉を開けると、扉の端が右足の親指に刺さり、爪ごと指がえぐれてしまいました。ぼたぼた血は出るは、人生で一番の痛みだわ、ちょっとしたパニックでした。すぐに近くの病院にいったものの、妊娠中のため縫うこともできず、痛み止めすら出してもらえず、激痛をかかえたまま帰宅。これまで、お腹の張りなどもほとんどなくノーストレス妊婦だったのに、さすがにこの痛みは辛く、お腹も強く張ってしまい、赤ちゃんに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。でも、その間も赤ちゃんがよく動いてくれて、なんだか「大丈夫だよ〜」と言ってくれているようで、本当に心救われました。東京への出張予定も取りやめて、自宅で安静に。いつもの婦人科の検診で痛み止めをもらうことができたおかげで翌週には痛みはだいぶひいたものの精神的にはかなりやられました。
 32週に入り、ついに東京への出張も最後に。仕事も徐々に片付けに入り、だんだんと孤独感を感じるようになりました。お腹も大きくなり、今までできていたことができなくなったり、つらくなったり、(足怪我したのが余計だった)…そうしたことの積み重ねが孤独につながっていきました。このころ旦那さんにもだいぶ八つ当たりしたと思います。彼は仕事で毎週長野県内の様々な場所に出かけて、人に会ったり、アクティビティをしたりしていて、夜日が回るくらい遅くに帰ってきていました。遊んでるわけじゃなくてちゃんとしたお仕事なのですが、不安と孤独でいっぱいだった私は文字通り1秒でも早く帰ってきて欲しくて仕方がなかった。だから、食事に行ってから帰ってきたりすることがすごく腹が立って、その時間少しでも一人にしないで欲しいと喚いてしまいました。そんな無茶な八つ当たりにも怒ることもなく、私が体調が悪ければ、ご飯を用意してくれたり、家事をしてくれてどれほど助けられたかわかりません。結局のところ、この苛立ちは自分が出かけていなかったことへの反動で、気持ち切り替えて一人で映画見に行ったりドライブしたりしていたら収まってしまいました。気分転換は大事

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↑名前を考えているところ。結局まだ決まっていない。

・〜41週 絶好調の臨月

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 そして迎えた臨月。いよいよ仕事も片付き出産準備も完了し、正直かなり暇になった私は、noteで記事を書いてみたり、新会社の設立準備をしたり。ライブ配信のアシスタントをしたりして色々な話を聞くうちに、「妊娠出産はキャリアアップかも!」とか、考えるようになり、もうすっかりポジティブに。出産後にやりたい仕事とかも見えてきて、ワクワクすることが多くなりました。「親子育」のユーチューブチャンネルを教えてもらい先生と直接話のできる機会にも二人で参加し、子育てについても旦那さんともよく話すようになりました。


 元気に動き回る赤ちゃんと毎日話しながら、「自分のペースでいいからね〜」と自然に出てくるのを待っていたのですが…前駆陣痛もおしるしも破水もなにもなく、ついに出産予定日を迎えることに。お腹がもうパンパンなのと、産む産む詐欺のような状態になっているのに若干の気まずさも感じつつ…すこしお腹が張ると、おぉ!きたか??とおもいながら、ふと気がつくとまた全然痛く無くなっていて、テヘッという感じで毎日過ごしていました。病院の方針で、予定日の一週間後に入院して分娩誘発をすることになりました。子供のタイミングで出してあげたかったけど…と少し落ち込みましたが、逆に入院日が決まっている方が色々準備できて良いかも、と思い直しました。
 ここぞとばかりに、部屋の掃除をしたり、やりかけだったゲームをクリアしたりして一週間をすごし、入院前日である本日、いつものコワーキングでこうして妊娠生活を振り返るnoteを書いています。

 妊娠発覚時に感じた二つの大きな不安「流産」「自分が動けない間の家事」は、赤ちゃんの元気な胎動と旦那さんの積極的な関わりによって、すっかり気持ちも前向きになりました。来週の今頃は、赤ちゃんにも対面して、また新しい不安に襲われている可能性も”大”ですが、二人がいてくれれば何の心配もないように思います。
 それに、移住先である塩尻の友人も、気持ちの面でも物理的にも本当に支えてくれました。これからもたくさん助けてもらうことになると思うのですが、こんな素敵な大人に囲まれて育つ我が子はラッキーだなぁと羨ましいほどです。感染症拡大の影響もあり、東京に住む両親のサポートを受けることはできないのですが、それでもこの地域で子供を産み・育てられることは本当に心強いです。心から感謝です!私自身も落ち着いたら地域での子育てをサポートできるような仕組み作りなど考えていきたいです。

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 ↑足を怪我した時にもらった四葉のクローバー。心が弱っていたこともあり、とても救われました。(ちなみに塩尻市の母子手帳はディズニー仕様)

 そんなこんなで十月十日。あっという間の妊娠生活でした。これまでを色々振り返ったり、悩んだり、幸せだったり本当にいろいろでしたが、楽しい日々でした。

 さて、それでは…

 明日、出産しにいってきます。


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