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【山羊日記#9】最近のフェイバリット

頭の整理がてら最近のフェイバリットをつづってみます。
お時間ございましたらお付き合いください。

●『ポケベルが鳴らなくて/国武万里』

ずっと昔からこの歌は聴いていたし、なんてキャッチーなタイトル!と、これぞ90年代!な大人っぽいドラマの主題歌(同名のドラマ)だろうという印象を抱きつづけてきた。
が、国武さんの歌声しか知らずに生きてきたことに気がつきました。
ある番組でMVが流れていました。
来年で発売から30年なのですね。
ちっとも古くない映像。
むしろ現代の流行が遡って取りにいってる感じさえします。
古いものとは人が触れなくなって放ったらかしにされたものなのかもしれません。
建物も誰も住まなくなれば廃れていくように、30年前だろうがポケベルありきの歌であろうが忘れられることなく触れられてきたものは決して古くさくないのですね。
エモいがいまいち掴みきれないのですが、国武さんの無に近い表情を変えることなく手で動きをつけ、顔を隠したり、そこに何らかのメッセージが込められているのではないかとひきこまれてしまう神秘性にこれまでになくリピートしている歌です。

●短編ドラマのシナリオ

作家の中森明夫さんが寺山修司さんを題材に小説を書かれているのを読んで、なんてこった…寺山修司さんのこと、何も知らないや、自分…と、自己嫌悪に陥りました。
83年、寺山さんが亡くなられた年に僕は生まれた。
寺山さんを間接的には触れてきたことがどれも自分にとって必要不可欠な要素であったこと。
なぜ書を捨てて街に出なければいけないのかを今、考える時がきたのだと、必然の巡り合わせに震えました。
そして、詩人であった寺山さんのように思いのままに縛られず楽しいことを作り上げようと詩の傍ら気のおもむくままにシナリオも書かせてもらってます。
(自分で勝手に好きで書いてるだけなんですが)
誰か一人でも求めてくれることが書き手にはこの上ない幸せだということを改めて教わった気がします。

クオリティはさておき、書いてる時は楽しくて時間も忘れさせてくれた作品です。

最近は書いて残すこと。
(遺すこと)
を強く意識します。
形として何かしら残したい。
(遺したい)
そのために
自分は何をしたらいいのか
何から手をつけたらいいのか
どこまでできるのか
何がしたいのか

ずーっと寝るまで考えてます。
なんなら寝てるときも考えてるかも。

時は命。

少し焦っているようです。
焦っても仕方ないんですけどね。
ケセラセラ。

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