【エッセイ】ホイミは使えないけど

いつの頃からか私はポーチを持ち歩くようになっていた。

そのポーチにははじめ絆創膏や胃薬くらいしか入っていなかった。
が、次第に薬の種類は増えていきアンメルツヨコヨコが仲間入りする頃にはポーチはパンパンになっていた。

もちろん薬を持ち歩いていたのは自分で使う為だった。
外出先で「もしも」何かあっても困らないようにと。だが、その「もしも」はありがたいことに「もしも」どまりで済んでいた。
出先で食べ過ぎることもないし頻繁に流血するような怪我をするわけでもなかった。
それでも持っていると安心出来たのでかさばっても常に持ち歩いていた。

転ばぬ先の杖。案ずるより産むが易し。備えあれば憂いなし……どれにも当てはまるから何が何だかわからなくなっていた。

結局使い切ることなく薬箱と化していたポーチの薬たちは期限を過ぎて廃棄されるのがオチだった。

だが、それでも私はポーチを持ち歩くことをやめなかった。(やめられなかった)
自分の為だけのポーチではなくなっていたからだ。

学校で「絆創膏ある?」と、ともだちに聞かれたら無いわけないじゃんと得意げにポーチから絆創膏を取り出し渡した。しかも剥がれた時用にと、もう一枚頼まれもしてないのにおまけをつけて。

それは社会に出てからも変わらず、むしろ品揃えは豊富になっていった。
私は歩くマツモトキヨシと化していた。

西に「昼食べすぎて気持ち悪い」という人いれば「ほい」と胃薬の瓶を傾け相手の掌に3錠の錠剤を与え

東に「頭が痛い」という人いれば「ほい」と胃に優しい眠くなりにくい鎮痛剤を2錠渡した。
(雨ニモマケズか…)

「腰が痛い」→「ほい」とフェイタス。
「目が痒い」→「ほい」とロートV。
「風邪っぽい」→「ほい」と葛根湯一包。

大阪のオバチャンが手出してみぃと飴ちゃんを当たり前のように挨拶代わりに振る舞うように私は薬を振る舞った。

ある職場では1日に何人も私のもとを訪ねてきたこともあった。
大盛況であった。
ちょっとした保健室状態であった。
ポーチ、大活躍である。

もう自分で消費する為でなく周囲の人たちへ処方する為のポーチになっていた。
もちろんそれらの薬はドラッグストアで購入できる2類までのものである。薬剤師でもない私でも許される範囲で副作用も理解した上で、適宜に渡していた。

思えば学生時代、絆創膏1枚(実質2枚)で、助かる〜!と、予想以上に喜んでくれたともだちのあの時の顔がきっかけだったのかもしれない。
薬は絶やさず期限が切れたら新しく購入しポーチに補充していたのも。いつ要望があってもいいように。
きっとそんなことでも自分が必要とされているという実感に喜びを見出していたのだろう。

「何でもあるね」の一言が快感でさえあった。

私は照れ隠しで「自分クリフトなんで」と、ドラゴンクエストⅣに出てくる回復呪文の使える神官のキャラクターの名前を出しておどけていた。

右の長い帽子を被っているのがクリフト。
攻撃力は低いが回復呪文で味方を援護する。

私はクリフトのように「ホイミ!」なんて回復呪文は使えないけど、不調を訴える周りの人に少しでもその痛みから解放されますようにと今日もポーチを持ち歩く。

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