【エッセイ】わたしはちょろい

わたしはちょろい。
とってもちょろい。
中島みゆきさんの「うらみ・ます」の弱みにつけこまれるあたしばりにちょろい。

だが、「うらみ・ます」のあたしはこわいぞ。
あたしを笑い者にして賭けたお前らを死ぬまでうらむのだから。
わたしもこのあたしのようにとことんではある。
恩人には義を尽くすが不義理な輩は「うらみ・ます」
もしご要望があれば「怨み節」モードも対応可である。

さて、話が大分物騒になってきたのでここらで一旦戻します。
そもそもちょろいとはなんぞやということ。
自分に限っては騙されないと信じ込んでいる人に限って容易く騙されるが、わたしは騙されやすいと自覚しているからこそ騙されまいと警戒して生きている。
そんな奴はちょろいと思うからわたしはちょろい方なんだろう。

例えばこれはわたしだけではないと思うが自分から言う分には腹が立たない(傷付かない)が、ひとからは決して言われたくないことはないだろうか。

「もう歳だから」
「赤が似合わないんだよね」
「すごい汗」

歳に関してはとてもわかりやすいと思う。
おばさん・おじさん宣言をしておくと傷付かないものだから不思議である。
ネタに昇華する。自虐としてこんな冗談も通じますよという意思表示にもなる。
痛々しいなんて思われたくはない。
いっそのこと自分から雨に打たれにいく。
それでも「もう歳なんだから」と畳み掛けてくる猛者がいたらわたしはあたしになり「うらみ・ます」よ。

別に男にも更年期はあるのだが、そうではない汗が止まらないループにはまることがある。
考えてみれば10代からそれはあった。
季節はそこまで問わないが歩いて血の巡りが良くなり体の中から熱が発散される場合、急に着席を求められ面と向かって話さなければいけない時にその止まらない汗は発動する。或いは緊張が過ぎて汗腺が暴走する。
少ししっかりした紙で仰いでも熱は引かない。
汗は額からじわじわからたらたらになりぽたぽたと垂れてくる。
ハンカチなど持ち合わせていない時袖や手の甲で拭う。
相手の視線が明らかに汗に注がれる。
(え…?!この人大丈夫か?!と)
するとますます恥ずかしさが牙を剥く。
もう耐えられない。
焦りで汗がもうどうにもとまらない。(リンダ)
そんな時「すみません。歩いてきたら思いの外暑くて…汗が止まらないんですよ〜、あぁアツいアツい」と、自己申告する。困っちゃうなとお道化てみる。(リンダ再び)
それだけでも多少気が軽くなる。気持ちも空気も。
それが心配そうに「汗、すごいですけど大丈夫ですか?」などと声をかけられた日には顔がハロゲンヒーターと化し汗は浄蓮の滝となる。

わたしはひとから痛いところをつかれることをとてつもなく苦痛と受け取っている。
こう見られたくないとか、こう見せたいが強い。単なる自意識過剰だ。

ちょっとした気遣いに一喜一憂する。これもちょろい証。
優しくされれば恩に報いる為忘れないで忠誠を誓う。
悲しいくらいちょろい。

わたしは好きか嫌いかのジャッジメントが一度きりの人間なのかもしれない。
振り返ってみるとつくづくちょろい。
だが、その分執念深い。
だからといってそう簡単に怨んだりしない(なんのこっちゃ)
「うらみ・ます」に傾かせたのならある意味大した人物であるということでもある。

ここまで生きてきて自分のことをちょろいとばかり言ってもいられない。
もっと柔軟に賢くなくてはいけないのだが、それがなかなか…ねぇ。(ねぇ。て…)

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