【コラム】「縁」の使い方~NHK竹内まりや特集を観て~
「縁」という言葉に妙なフィルターがかかってしまったのは山下達郎氏のラジオでの故・ジャニー喜多川への「ご恩」コメントが大きく影響していると思われる。
風化させてはいけないジャニー喜多川による性加害問題から端を発してあまりにも強大な旧ジャニーズ事務所の権力と近しい関係を築きその関係を長年保ってきた山下達郎氏のこの事件への対応に非難が向けられ一時報道が過熱した。
そして妻であり仕事上でも最高のパートナーである竹内まりや氏にも飛び火した。
竹内まりや氏と山下達郎氏は一心同体ゆえにまりや氏の沈黙は達郎氏への賛同と受け取られた。
決定的だったのは山下達郎氏の自身のラジオ番組でのコメントであった。
事件後肉声で語る達郎氏のコメントに全国が注目した。
長年に渡りさまざまな仕事の機会を与えてもらったことへの「ご恩」と尊敬の念は今も変わらず持っていると達郎氏は語った。
そして「きっとそういう方にわたしの音楽は不要でしょう」という嫌悪するなら聴かなくてよいという姿勢にファンのみならず彼の歌を生活の中で何気なく触れてきた者もかなりの衝撃を受けた。この衝撃はショック、がっかり、空虚な念といったネガティブな方の衝撃であった。
この件から達郎氏の歌もその達郎氏がどうしてもちらついてしまう竹内まりや氏の歌も今までのように素直に聴けなくなったという人が続出した。
私もどちらかというとそのうちの一人であった。
が、竹内まりや氏の歌は少し違っていて、何とか今までのように聴きたいと前向きにもがこうとする想いがあった。
幼い頃母の運転する自動車の中でよく流れていた竹内まりや氏の歌。
当時はまだカセットテープだった。
昔も今も変わらぬ歌声。
私は竹内まりや氏の歌をただ聴いていただけではなく好きで聴いていたことに気づいた。
楽曲提供という形で河合奈保子さんの「けんかをやめて」も薬師丸ひろ子さんの「元気を出して」も、そして中森明菜さんの「駅」も私にはすべてかけがえのないたいせつな歌である。
その点では聴けなくなったとはならなかった。つまずきながらもそれでもこれからも聴きたい歌であった。
この件以前から周期的に生じてはひっこみを繰り返していたいわゆる「作品に罪はない」問題。
頭では理解しているつもりでも切り離せないわだかまりやしこり。それは作り手によることもこの件で自分の中では浮き彫りになった。
なぜこのタイミングでNHKで竹内まりや特集なのか…偶然であってもそうでなくても複雑すぎる。というのも奇しくもつい先日NHKで放送史に残る衝撃的な特別番組が放送されたばかりであったからだ。
NHKスペシャル「ジャニー喜多川”アイドル帝国”の実像」と題した旧ジャニーズ事務所の光と闇をかなり攻めて暴こうとした構成の番組であった。
風化が心配されていたタイミングには追い風となる番組であった。
そして間を空けずの竹内まりや氏の半生を深く掘り下げて迫った特別番組であった。
もともとまりや氏は頻繁にテレビ出演されずに活動されてきたアーティストでもあるのでかなり珍しい特別番組であった。
が、どうしても二つの番組が否応なしに結びついてしまうのだ。(少なくとも私は)
しかもその番組内でまりや氏は「縁」しかも「えにし」と発言された。
想起されるのは達郎氏の断固として揺るがない「ご恩」。その精神。
今まで沈黙を貫いてきたまりや氏にこの「縁(えにし)」はあの事件の権力と創作と社会的責任の再燃へとつながってしまった。
まりや氏の生い立ちも番組では紹介されていた。
今までまりや氏の作品には触れてはきたが作者であるまりや氏の詳細は知らずに生きてきた。
まりや氏は島根県の出雲大社近くの旅館の娘さんだと知り、生粋のお嬢様だったこともなんだかまりや氏から醸し出される上品な空気と合点がいった。
17歳で留学し世界基準の価値観を養い、達観した人格を築いていったのだとお見受けした。
歌手としてデビュー後に山下達郎氏のプロデュースで竹内まりや氏は不動の地位を確立した。
とはいうもののこの番組で再認識させられたことはシンガーソングライターとしての竹内まりや氏のずば抜けた才能であった。
作詞作曲とプロデュースのパワーバランスがどうであれ間違いなくまりや氏の楽曲制作能力は天才的であると驚愕せざるを得ない。達郎氏のプロデュース抜きで成立して余りある実力の持ち主が竹内まりや氏なのだ。
80年代、90年代、00年からとどの年代にもどの季節にもまりや氏の楽曲が存在していることが何よりもその証明となっている。
私は心の中で達郎氏ノープロデュースのまりや氏の世界線を空想し望んでしまった。
感じたことを歌という形に残してきたまりや氏。
年齢ごとにその楽曲の世界観は違う。
これはあくまでも私個人の感覚なのだがまりや氏はとてつもなく繊細であり謙虚であり、同時にとてつもなく大胆であり豪快でもあるパワーバランスの規模がデフォルトで規格外にでかいと思ったのだ。
例えば松たか子さんに提供した「みんなひとり」の歌詞。
優しいナイフで一刀両断された無痛の爽快さと振り返るとそこにある侘しさにしばらく身動きできなくなる。
この死生観を松たか子さんの天使のベルのような清らかな歌声でなぞられて不思議と調和、融合して当時新たな松さんの世界を切り開いたなと聴き入ったナンバーであった。
さて、そんな好感を抱いている竹内まりや氏だからこそ、公私ともにの一心同体が裏目に出たように感じて仕方ないのである。なんとも複雑な心境で作品を味わわなくてはならなくなってしまったことが悔しいのだ。
番組後半に島根の大社高校の恩師が「今のままのまりやでいい。そのままで頑張れ」といった旨のエールをかけるとまりや氏はありがとうございますと崩れるように涙していた。
勝手な推測だが一連の騒動で向けられたまりや氏への視線、風当りに心痛めていたものが揺さぶられ決壊したのではないかと思わせる光景であった。
インタビューでもまりや氏は「自分がこれじゃあ恵まれすぎてる…」
贖罪とまでは大袈裟かもしれないが歌という形で返していきたいと語っておられたのがとても印象に残っている。
贖罪に近い感情はずっと昔からだったにしても関係していないわけない。
これも推測でしかないがまりや氏は何か言いたかったはずだと(信じたい)。
そうできなかったのはなぜだろう。わからないけど現実あの事件で山下達郎氏の対応は納得いくものではなかったと思う。超のつく一流音楽家である立場にいながら「ご恩」は違和感と反感を生み出す言葉だったのではないだろうか。そこで沈黙を貫くしかなかった理由もわからないままのまりや氏の心にあったまりや氏本人の意思がこの番組で随所にみられる一挙手一投足から見当違いであっても読み取ってしまうのである。
だからこそ惜しいのだ。
竹内まりやは竹内まりやという一人の人間であるのだから。
もともと「縁」という目には見えない曖昧だが確かに感じるからこそ今の今まで使われ伝承されてきたある意味では確信のある信頼のおける言葉なのは間違いないと思っている。
そしてこの「縁」という言葉は使う側のステータスで意味合いも変動する。
いわゆる手の届かない存在、立場、地位を有した今回でいうところの山下達郎氏、あわせて(あわせたくないのだが)竹内まりや氏が使う「縁」、ついでに「ご恩」は利害が生じている。力のあるものと繋がりをもてればそのコミュニティは盤石に、より強固なものとなる。
豪華な面子が勢ぞろいは心強いし恩恵がその先に待っていることも往々にして保証されている。
権力とはどうしてこんなにわかりやすいのだろう。
一方、無名で何の力も持たないものと繋がってくれる人はそういった恩恵を期待せず純粋に繋がってくれているということだ。ありがたくて貴重な存在である。
私なんかはもちろん力の持たぬ側なので私の目から見て今まで感じた「縁」は純粋にそこにあったものである。
そこにあったというのは会話の中でふと気づく相手との関係の繋がり。それが「縁」と呼べるものなのだと思う。
だから「縁」はあるんだなぁと理屈抜きで唸るものなのだろう。
だからこれからも私はこの好きな言葉を使いたい。
「縁」(えん)を使いたいのだ。
本来なら眉をひそめる言葉ではない「縁」を危うい言葉にしないために人とのつながりと権力はどんな恩があっても思考停止でかたづけてはいけないのだ。
ずっと置き去りのままあの時の「ご恩」は遠くなっていくのだろう。