タジキスタン・パミール再訪記21 〜ホログ→ドゥシャンベ〜
パミール滞在の終盤は、前回に続いて体調不良になってしまった。果たして無事ドゥシャンベまで帰還できるか……?
ホログ出発前日
2023年5月3日水曜日。昨日からの頭痛は全体的な体調の不良になっていた。
この日は概ね宿で寝転がっていた。体調が良ければガルムチャシュマ温泉に行くなり、ジャマーアト・ハーナを見学させてもらうなりしたかったが、断念した。
当時撮った写真によると、朝食兼昼食に外に出て食堂に行き、マントゥを食べたようである。あまり食べることはできなかったと思う。
明日はドゥシャンベに向けホログを発つ予定である。
ホログ出発
翌日朝、宿を発ち、タンゲン(マルシュルートカ)でドゥシャンベ行き乗合タクシー乗り場に行った。
タンゲンから降りると、すぐに近くにいた運転手さんが声をかけてきた。運賃は言い値で300ソモニだったので、それでOKということにした。行きはTさんと運転手氏の激しい交渉で350ソモニだったが、今回は交渉無しでそれより安い値段になった。タンゲンだとお金を持っていないと見なされ安い値段を言われるのかも、とも思った。
乗合タクシー乗り場に着いたのは8時頃で、車は9時頃に発車した。乗客は前列助手席が若いロシア人女性。私は後列右側。中列にはおばさんや兵士がいた。
車内の言語は、前列のロシア人女性氏が他の人と話す時はロシア語、中列の兵士氏が他の人と話す時はタジク語、その他の人同士はシュグニー語だった。
検問
ホログを発ってから最初の検問で、書類チェックになった。
検問の人はどうもロシア人女性氏に興味津々のようだった。書類チェックはロシア人女性氏のもののみを行い、私を含む他の乗客はチェックされなかった。ただし、以降の検問ではロシア人女性氏を含め誰も書類をチェックされなかった。
検問は何だかんだでそれなりに時間ロスになる。そして、どうも車(運転手?)によって検問でチェックされる割合や度合いも違っている気がする。運転手氏の技量としては、検問での「顔パス力」もあるのかもしれない、と思った。
送電線
パンジ川沿いを走行中、送電線とパンジ川の関係を確認した。前回来た時、タジキスタン側の送電線がパンジ川の向こうのアフガニスタン側を一時的に通っているように見えたので、果たしてそれが本当にそうだったのか再度確認してみようと思った。
途中、やはりこちら側の送電線の送電塔がアフガニスタン側を通っている箇所がいくつかあった。送電塔が途中で1本だけアフガニスタン側にある、といった感じで、アフガニスタン側での電力の供給は無いようだった。
どのような経緯でいかなる協定の下に送電線がアフガニスタン側を通っているのか、気になるところである。
昼食
お昼前に食堂に立ち寄った。
席はテーブル+椅子の場所と、桟敷状のところに座る場所とがあり、私は桟敷状のところに座った。兵士氏も同じ席に座った。
入り口近くのテーブル席にロシア人女性氏が座り、モスクワから来たといったようなことをお店のおばさんや他の乗客とロシア語でしていた。兵士氏は私がシュグニー語が話せるということをお店の人に話し、私も店のおばさんと一言二言シュグニー語でやりとりをした。
食事は今回もシュルボー+ナンにした。現在の体調では、これ以外食べられそうにない。
通行止め
途中、ヴァンジ地区を通過してしばらくしたところで道が通行止めになっていた。漢字で書かれた中国語の看板があり、道路拡張の発破工事が行われているようだった。
パミール・ハイウェイの現在の区間は、ホログ〜ドゥシャンベ間を結ぶ唯一の道である。日本であれば、通行止めになるのであれば何らかの対策がありそうであるが、中国スタイルなのでいきなり通行止めにしてしまうのかもしれない、と思った。
パンジ川の流れや対岸のアフガニスタン側を眺めつつ、道路の開通を待った。1時間20分ほど待ったところで工事関係者の車と思しき車が走り、そろそろかと思ったが、もう40分ほど待つ必要があった。最終的に2時間ほどの待ち時間で道は通れるようになった。
道は、具体的にどこをどう発破したのかはよくわからなかったが、発破で発生したと思われる岩をよけている途中で、どうにか車が通れる感じだった。発破作業自体は2時間以上前に行われ、後処理に時間がかかっていたのかな、と思った。
トンネル建設中
アフガニスタン最北端を対岸に眺めて少し進んだあたりで、ショートカットトンネル建設と思われる工事が行われており、道路は渋滞になった。
渋滞を抜けると道路状況は非常に悪くなった。トンネルが完成した暁には、この区間の道はほとんど使われなくなるだろうから、放置されているのかもしれない、と思った。
カルアイ・フムブ→ドゥシャンベ
夕暮れの対向2車線道路
車はカルアイ・フムブ(Қалъаи Хумб / Qal'ai Khumb)のガソリンスタンドで小休憩。その後の道は対向2車線道路になった。
日が暮れゆく中で整備された対向2車線道路を走るのは、今までとは別世界というか、日本のどこかの山の中(の整備された道)を走っているような気もした。どこか、現実に戻されたような侘しさも感じられた。
クローブの食堂
クローブ(クリャーブ)が近付く頃にはお腹の調子がかなり悪くなっていた。
車はクローブの、前回来た時の行きにも立ち寄ったレストランに到着した。車を降りてまずはレストランの裏のトイレに行き、何とか間に合った。トイレは有料で、出た後に近くにいた男の子に請求された。
クローブでの別れ
レストランを出てからクローブ市内をしばらく走り、路肩で停まって何人かの乗客が下車した。
こういう場合に別れの挨拶はどういうのかよく分からなかったが、他の乗客が「マイレ(Mayle)」と言っていたので私も「マイレ」と言った。
他の乗客は、私がそういうのを聞いて少し笑っていた。私がその表現を使うのがちょっと不自然でおかしかったのか、それとも律儀に現地語で別れの挨拶を言っているのが面白かったのか、その他の理由なのかは不明である。
ドゥシャンベ
ドゥシャンベが近付くと再度お腹の調子が悪くなってきた。
車は、パミール行き乗合タクシー乗り場の入り口に停まり、乗客は下車した。時刻は午前1時で、ホログからの所要時間は16時間。途中発破工事での2時間待ちを除けば14時間で、概ね標準的な所要時間だろう。
名残惜しい気持ちで車の近くに少し留まりたかったが、トイレに行かないとまずそうだったので、荷物を受け取った後はすぐに、隣にある行きにも泊まったホテル「Sakho」の中に入った。
受付で行きにも受付をしていたお兄ちゃんは、こちらのことを覚えていたようだった。お兄ちゃんにまずはトイレを貸してほしいと言い、行きで泊まった部屋より少し良い部屋のトイレを案内された。
泊まる部屋のほうは、行きに泊まったのと同じ安い部屋にした。部屋としても、行きに泊まったのと同じ部屋だった(ベッドも同じベッドの同じ2段目だったと思う)。
明日は、当初予定ではグルガンテッパ(クルガンチュベ/ボーフタル)に行くことにしていたが、この体調のままだと難しそうだった。
(続く)
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