タジキスタン・パミール再訪記19 〜ワハーン谷→ムルガブ〜
2023年5月1日月曜日。この日はワハーン谷のランガルからゴルノ・バダフシャン自治州東部の要衝ムルガブへと向かう予定である。途中の峠では、富士山より500m以上高い標高約4,300mの地点を通る予定である。
アフガニスタン国境の道
朝は早めにランガルを出発した。ランガルにはペトログリフがあるとのことだったが、いつムルガブに着けるか不明なため今回はパスとした。
さらばランガル
ランガルを出発すると谷底から標高をどんどん上げていき、ランガルの村を眼下に望むようになった。アフガニスタン側では大きな山塊がパンジ川を手前側と奥側に分けるているのが見えた。
もう少し行ったところで、アフガニスタン側との国境管理施設と思しき建物群が眼下に見えた。
Vさんは、もうじき国境を通過するルートができる、的なことを言っていた。もしここからアフガニスタンを横断してパキスタンまで行けるようになったら、この地域の南北の往来は非常に便利になるだろう。果たして実現するのかどうかはわからないが、仮にそうなることがあったら通ってみたい、と思った。
ランガルがワハーン回廊のタジキスタン側の果てだと思っていたが、村からあまり離れていないところには人の気配もあり、道を埋め尽くす山羊の大群と遭遇したりもした。
しばらく進むと、谷側に台上の地形の上に畑といくつかの家屋があるのが見えた。Vさんによると、これがタジキスタン側ワハーンの最後の集落とのことだった。
山と谷
タジキスタン側ワハーンの最後の集落を過ぎると、周囲に人の気配がなくなった。
しばらくは国境の川(ランガルより北側について「パミール川」という呼称をどこかで見たことがあったが、Vさんによるとここも「パンジ川」とのことだった)からずっと高いところを走った。川は谷の底深くであり、川面を含む谷の下のほうはなかなか見えない。対岸のアフガニスタン側(こちらも人の気配はしない)には、山の斜面の途中にやたらと平らそうな地形が見えたりもした。人工的に作ったのではないかとも思えるくらいだったが、天然のものだろう。
道は、支流の谷を大きく回り込んだりしながら進んだ。道路は相当な悪路なのだろうと覚悟していたが、実際には車1台分の砂利道といった感じで、覚悟していたほど悪くはない、という気がした(※車を運転しない私の感想)。
キャラバン
かなり進むと、川面が近付き、その後は川面から高くなってもそこまで高くはならない、という感じになった。
川の流れる谷の向こうのアフガニスタン側に、荷物を背負った馬の列が見えた。Vさんが「見ろ、キャラバンだ」と言った。現役のキャラバンを見るのは初めてだった。助手席(アフガニスタン側)に座っていたVさんは車の窓を開け、キャラバンに向けて手を振っていた。
アフガニスタン側も、タジキスタン側と同様にこのあたりは人の住んでいる気配は無いが、更に奥に行けばキルギス人の住んでいる地域があるはずなので、そこへの往復のキャラバンだろう。馬の歩く速度だと、目的地までおそらく何日もかかるはずである。
アフガニスタン側から荷物をタジキスタン側に持ってきて車で運んで再度アフガニスタン側に持っていけば、向こう側で1〜2日かかるところを数時間で行ける、といったようなことが頭に浮かんだりもした。
キャラバンは、走っている途中にもう1度見かけた。
小休憩
河原が広くなっているところでいったん休憩で停まった。
アフガニスタン側には小さなキャラバンサライっぽい建物があった。また、馬に乗って歩んでいる人も見えた。現役のキャラバンサライなのかもしれない、と思った。
標高は3600m台。富士山の標高まであと100m少々のところまで達していた。
富士山よりも高い場所
さらに進むと、道は川面から離れていった。基本的にはなだらかな道だが、高度は上がっていき、ついに富士山の標高を超えた。
私は富士山には登ったことが無かったので、日本最高峰に登るよりも前に日本最高峰よりも高い場所に来てしまった。
富士山のほうは、偶然にもこの年の7月に友人の誘いで登る予定にしていたので、今回の旅は富士山の標高に慣れる前準備にもなった(帰国後の7月、無事に富士山登頂を達成した)。
国境とはまだ平行に走っている区間だが、アフガニスタン側が次第に遠ざかるようになった。近付くアフガニスタンとの別れに、少し寂しい気持ちになった。
さらばアフガニスタン
道がアフガニスタン沿いから離れるところまで来ると、検問があった。道路脇の建物には人はおらず、クラクションを鳴らして遠くの建物から検問の人を呼んだ。
検問の人にVさん経由でパスポートとビザを渡し、チェックが終わると、とりあえず検問を通れることになったが、本当は許可証が別途必要でホログで受け取る必要があった、とのことだった。
パスポートと一緒に取ったパーミットだけではだめ、という情報はどこでも見たことが無かった。本当に別途許可証が必要なのか、検問の人の勘違いななのか、後者の可能性も少なからずあるような気がしたが、実際のところは不明である。
ここからはアフガニスタンと別れ、ホログ〜ムルガブのパミール・ハイウェイのメインルートへと至る峠道を進む。パミールでは今までいつも眼の前にあったアフガニスタンだが、ここからはしばらくお別れである。
峠道
アフガニスタンと別れ、車は峠道方面へと進み標高を上げていった。
日本出国前に調べたところによると、この道は最高地点が標高4300mほどで、富士山より500m以上高い。この標高を体験してみたいというのが、ワハーン谷から直接ムルガブ方面に行ってみたいと思った理由であった。
周囲は雪が目立つようになり、凍っていると思しき池も見られた。地形はおだやかな感じだった。
途中、一箇所道が少し崩れていて、車がぎりぎり通れるかどうかという箇所があったが、ゆっくりと進んで通過することができた。
峠のサミットの標高4300mの場所を過ぎたところで車から降りて小休憩をした。この時点では、空気の薄さからか、多少体調に違和感はあったものの、頭痛等の明確な体調の不良はまだ無かった。
車は峠を下っていき、凍った池(あるいは湖)を道路脇に見つつ、やがてホログ〜ムルガブ間の道路に合流した。
ムルガブへの道
車は、山の間の標高3800〜3900mほどの広い平地を走るパミール・ハイウェイのしばらく進むと、進行方向左側に大きな湖が見えた。昼休みの休憩と食事を少しして、再度発進した。
標高4000mの道
久々の人里であるアリーチュールの町を通過し、さらに延々と標高4000mの道を進んだ。高山病だろうか、頭痛もややしていた。道はところどころにボコボコとしている箇所があり、車は速度を上げては頻繁に減速もしていた。
朝にランガルを出発して以来、車の中ではタジク語(ペルシア語)やシュグニー語を中心とした音楽が流れていた。歌謡曲の他、アリーやムハンマドを讃える宗教歌的なものの割合も高かった。パミールの宗教歌を聴いたのは、これが初めてだったかもしれない。
ムルガブが近付くと、時々ヤギの群れを見かけるようになった。スマホの地図で確認すると、ムルガブまで30kmくらいになっていた。ヤギの群れの隣で、Vさんは車の窓を開け、ヤギ飼いの人にムルガブまであとどのくらいかロシア語で聞いていた。ヤギ飼いの人の答えもムルガブまで30kmほどとのことだった。
町の手前の検問を通り、ムルガブの町に到着した。
ムルガブにて
ムルガブでは、Vさんのおじさんとおばさんの家に入った。おばさんが食事を準備してくれた。
コンテナバーザール
家でしばらく休んだ後、ムルガブの町を散策した。銀行があったので交通費の支払い用のお金をドルからソモニに両替しようかと思ったが、閉まりかけの時刻だったこともあり、パスすることになった。
市場が近付くとメインの道から横に入り、ゲルっぽい形の小さな倉庫的なものの脇を通り、ネットでも見たことのあるコンテナを使ったお店の並ぶバーザールに辿り着いた。
ムルガブは多民族の町で、ホログと同じシュグナーン人、ワハーン谷と同じワハーン人(Vさんのおじさん一家もこれに該当)なども住んでいるが、最大勢力は隣のキルギス共和国の主要民族でもあるキルギス人である。バーザールでは白い縦長のキルギス帽をかぶっている人もちょくちょく見かけた。
バーザールでは何件かお店に入ってみた。Vさんは流暢なロシア語で、私はカタコトのロシア語で店員さんと話をする。何かお土産にキルギスっぽいものはないかと思ったが、最初に入ったお店はシュグナーン風のトーキとペーチャクは売っていたものの、キルギス風のものは無いとのことだった。
何軒か巡ると、半分屋台風のお店でキルギス帽を売っているところがあった。2つほど試着させてもらい、うちひとつを買購入した。その後行ったお店で、キルギス風だという服(刺繍がキルギス風かも?)を母親への土産に買った。
モニュメント
家に帰ってしばらく休み、夕方頃に再度車で町を見渡せるところに行くことにした。
家を出て通りをしばらく進み、それから横に入り、未舗装の道(または空き地)を少し登ったところで車を降り、そこから歩いてもう少し登ったところから、夕闇の迫るムルガブの町の写真を撮った。
小高い場所での記念撮影の後は、通りに戻ってムルガブのモニュメント的なもののところに行き、記念撮影をした。Vさんらもムルガブに来たのは初めてとのことで、証拠写真的なものがほしいとのことだった。
ワヒー語での議論
家に戻ってからは、Vさんがおじさんとワヒー語で延々と議論をしていた。Vさんの主張におじさんはなかなか頷かない。議論の中にはアラビア語由来のペルシア語の単語が大量に含まれており、宗教と人間性に関する議論のようだったが、Vさんとおじさんがそれぞれ具体的にどのような立場の話をしているのかは、基本フレーズをいくつか知っているだけの私のワヒー語力ではさっぱりわからなかった。
内容はわからないが、ワヒー語に少しでも慣れようと、二人の議論に耳をかたむけ続けた。時々聞こえる「-tk」という発音にワヒー語っぽさを感じた(「-tk」は動詞の過去形でこの語尾を取るものがあるので、何かを過去時制で言ったのかもしれない)。
Vさんとおじさんの議論を聞いているうちに、夜もかなり更けてきた。Vさんはまだ議論し足りないようだったが、就寝となった。
(続き)
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