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タジキスタン・パミール再訪記15 〜ホログ→イシュカシム〜

2023年4月29日土曜日。この日はあらためてイシュカシム(イシュコシム)・ワハーン方面へと向かう。パミールでは初のホログ以外への旅である。


ホログ出発

朝、友人の友人のVさんとメッセージをやりとりした。Vさんはワハーン在住のワヒー語母語話者で、ワハーンで会う予定にしている。Vさんは英語とシュグニー語にも堪能であり、メッセージのやりとりには主に英語とシュグニー語を使っていた。

Vさんによると、Vさんの弟さんがホログに来ており、ホログからワハーンまでの車を出してくれるとのことだった。ただし、Vさんによると問題点がひとつあり、それは弟さんが英語もシュグニー語も話せないことだ、とのことだった。私は、こちらはタジク語とロシア語も少し話せるので多分大丈夫だ、とVさんにさんに伝えた。

実際のところ、この時点での私の言語力は

  • リスニング: ロシア語 ≒ タジク語 > シュグニー語

  • スピーキング: タジク語 > シュグニー語 > ロシア語

といった感じであり(本稿執筆時点でも概ね同様)、ペルシア語学習歴が長い分、何だかんだいってもシュグニー語よりもタジク語(タジク・ペルシア語)のほうが話せる、と思っていた。

宿の前のカフェ・バラカトでの朝食

乗合タクシー乗り場

Vさんからはその後、なかなか連絡が無かった。とりあえずイシュカシム(イシュコシム)まで行ってみる、とメッセージを送り、宿を後にした。

バーザールの近く橋を渡ってグント川の南側に行き、その場にいたおじさんにワハーン方面に行きたいと伝えると、車を一台案内され、車の近くにいた別のおじさんに改めてタジク語でイシュカシムまで行きたい旨を伝えようとした。しかし、ここ数日はもっぱらシュグニー語(と英語)ばかり使っていてシュグニー語脳になってしまっていたのか、なかなかタジク語が出てこない。

言いたいことが言えずに戸惑っていると、おじさんは「日本人か?」といった趣旨のことを言い、近くにいた兄ちゃんを連れてきた。何かと思っていると、その兄ちゃんから「○○か?」と私の名前を確認された。どうやらこの兄ちゃんが他ならぬVさんの弟さんだったようだ。

Vさんの弟さん(名前はWさんと言った)とは、ボロボロのタジク語にボロボロのロシア語を交えつつ、どうにかコミュニケーションを取ることができた。

出発&乗客追加

何人かのお客を乗せた車は、乗合タクシー乗り場をいったん出発した後、宿の近くの橋の南側にある、よく前を通っていて馴染みのある病院の近くで停まった。

しばらく待った後で追加の乗客が乗り込み、車内は満席になった。

乗客は、前列の助手席はかなりご高齢のおじいさん。かなり体調が悪いようで、椅子を大きく倒し、毛布をかけていた。中列は女性陣、後列は男性陣で、いずれも1列に4〜5人詰め込んでいた(4人だったか5人だったか忘れたが、非常にギュウギュウ詰めだった)。私以外はワハーンの人のようで、タジク語やロシア語で簡単なやりとりをした。

ホログを出発。記録によると10時40分頃。

ホログ→イシュカシム

車はホログを出発し、私にとって昨日に続いて二度目(送還を含めると三度目か)となる道をパンジ川に沿って南下していった。

昨日問題となった検問所は、病人(おじいさん)がいるとのことで、書類等のチェックは無しで通過となった。

検問の少し先のあたり? 国境のパンジ川は場所によってはせせらぎの様相を呈していた。

山や空が恋しい

私の席は、進行方向右側のパンジ川とアフガニスタンが見える側だったが、車の端におしりがせり上がるように座る感じになり、かなり無理な体勢をしないと窓から山や空が見えない状態だった。

空も山も見えない状況に、昨日の失態での失意も加わってか、気分が極端に沈んでいるのを感じた。無理な姿勢をして辛うじて見ることのできる空や山の美しさが、そのままの姿勢では外が見えないことを一層辛く感じさせているようだった。どうにか身をかがめて外を見ようとしたり、より視点を低い位置に持っていきやすいスマホで外の写真を撮ったりした。

私の場所から比較的容易に見ることができるのは、パンジ川の川面と、対岸のアフガニスタン側の川に近い部分だった。しばらくは川と対岸の山の斜面がすぐ近くに見えるだけの閉塞的な眺めだったが、アフガニスタン側の川沿いが少し開けて畑や建物が見えると、気分は幾分回復した。

パンジ川の蛇行している部分では、タジキスタン側の集落が良い感じに見える場所もあった。右手前の細い道のある斜面と右奥の雪をいただいた山はアフガニスタン側。
谷間のパンジ川と奥の山。私の場所からは、パンジ側の奥のほうや山はかなり無理な姿勢をしないと見れなかった。
アフガニスタン側の畑と建物。手前の建物は身を屈めなくても見れたと思う。
パンジ川は場所によっては非常に狭くなっている。岩の上をジャンプして水に濡れずに向こう岸まで行けそうである。
アフガニスタン側に広がる畑

対岸のタリバン?

途中、車内がにわかに騒がしくなった。中列の女性陣が興奮気味に「タリバンだ」と言った。アフガニスタン側にタリバンがいたらしい。

身を屈めて窓の外を見ようとしたが、私がどうにか見ることのできた範囲(かなり狭い)ではアフガニスタン側に人影は確認できなかった。

女性陣を中心とした乗客陣は、ひやかしているような、挑発しているようなな喚声をアフガニスタン側に向けていた。

このあたりの住民は、タジキスタン側も、パンジ川を挟んだアフガニスタン側も、イスマーイール派のパミール人のはずである。パンジ川の両岸の交流は、公式には非常に限られているものと思われるが、公式ルートによらない交流も多かれ少なかれあるだろう。スンニ派パシュトゥーン人を中心とした部族主義・宗派主義の色合いの濃いタリバンが、民族も宗派も異なるアフガニスタン側のパミール人に具体的にどう接しているのかは私は未把握であるが、タジキスタン側のパミール人同胞として、タリバンに対していろいろと物申したいことはあるだろう。とりわけ女性陣は、徹底した女性隔離を行っているタリバンに対し言ってやりたいことは山ほどあるだろう。

タリバンがこちら側にどのような反応を示ていたかは、例によって私の席からは確認できなかったが。

小休憩

ホログを発ってイシュカシムに着くまでのちょうど中間くらいだろうか、車は休憩でいったん止まり、乗客は車外に出た。私も久々に狭い車内から開放され、まずは空と山を眺めた。

近くに建物があり、建物の脇にはパンジ川近くに降りる階段があって、皆そちらのほうに行っていた。階段を降りたところに、山のほうから小さな湧き水が流れている場所があり、皆そこが目当てのようだった。水は、鉄分だろうか、赤い色をしていた。

他の人がその水を飲んでいたので、私も少し飲んでみた。ミネラルの多そうな味だった。

小休憩。記録によると12時20分頃。ホログから1時間40分ほどということになるが、これほど車外が恋しかったことは無い。右側の柵の下に、山からの湧き水を見ている人たちがいる。
アフガニスタン側。雪が比較的近い場所まで残っている。
湧き水場の横の建物
鉄分多め(?)の湧き水がパンジ川に注ぐ。山側から湧き水が流れている部分の写真は撮ってなかった……

危険な男

パンジ川沿いをさらに南下すると、先のほうが開けてきて、奥のほうに高そうな山々が見えてきた。アフガニスタンとパキスタンの国境の山かもしれない、と思った。

他の乗客と、ワハーンではVさんと会う予定だという話をしていると、おばさんを中心に、車内は「彼はアパースヌィ(ロシア語で「危険」)だ」とか「ハタルノーク(タジク語で「危険」)だ」とかいう話題で盛り上がった。ネタとして(?)言っているようだったが、この時点ではまだメッセージしかやりとりをしたことのないVさんは、どうやら危険な香りのする男のようだ(※なお、私は危険な目には遭っていない。一応念の為)。

イシュカシム付近に到着すると、町中の道に入って、病院のような建物のある敷地に入って停まった。そこでおじいさんを下ろすのかと思ったが、おじいさんはその後も車に乗っていた。

アフガニスタン側に時々集落を見つパンジ川を遡る
イシュカシムが近付き、先のほうがだんだんと開けてきた。奥に見える山はアフガニスタンとパキスタンの国境か?
アフガニスタンとパキスタンの国境方面に見えた山。本稿執筆中に地図で確認したところ、正面の大きな山塊はまだアフガニスタン国内のようである。右端の奥に見える山は、ひょっとすると国境の山のひとつでアフガニスタン最高峰のノシャック(7,492m)かもしれない。その右隣にあるのは、ひょっとするとパキスタン側のティリチミール(7,708m)もかもしれない。ティリチミールは、中村哲医師が後にパキスタン・アフガニスタンでの活動を始めるきっかけになった山である。
イシュカシムの町が近付いてきた。記録によると14時20分頃で、ホログから休憩を含めて3時間40分ほどかかった模様。

イシュカシムにて

坂がちの町の、通りから入った未舗装の狭い道に車は止まり、乗客は概ねここで降りた。その後車は再度出発し、広い通りの路肩に停まった。

イシュカシムの言語

イシュカシム(イシュコシム)では、友人の友人でWさんの兄のVさんに会うことができた。

Vさんは母語のワヒー語、タジキスタンの公用語のタジク語(ペルシア語)、パミールの事実上の共用語のロシア語、さらには英語とシュグニー語の5言語に堪能であり、現在はドイツ語も勉強中だという。また、シュグニー語の文法については、たいていのシュグニー語母語話者よりもずっと詳しいらしい。ペルシア語の詩歌に詳しいことも後に判明する。

Vさんは、まずはイシュカシム地区の言語について私に説明をした。

イシュカシムの町やその周辺では、地域によってワヒー語が話されていたりタジク語が話されていたりするらしい(具体的にどういう感じの分布かを教えてくれたが、忘れてしまった...)。

ただし、イシュカシムの近く(東側)にあるリンという村では「リン語(リーニー)」という全然別の言葉が話されているという。

「リン語」という言語名は聞き覚えが無かった。しかし、イシュカシム周辺で話されている言葉で、ワヒー語でもタジク語でも無い言葉と言えば、「イシュカシム語」のはずである。

Vさんに「リン語というのは、イシュカシム語のこと?」と聞くと、「そうだ」とのことだった。そういえば、リン村という名前は何となく見覚えがある。イシュカシム語の関係でどこかで見たのかもしれない。

パミール諸語の中のイシュカシム語

イシュカシム語(またはリン語)は、イシュカシムの名を冠しているがイシュカシムの主要言語ではなく、その周辺(タジキスタン側、アフガニスタン側とも)のいくつかの村で話されている、パミール諸語の中でも特に小さく、かつ他のパミール語とは系統の異なる言葉である。

パミール周辺では、インド・ヨーロッパ語族インド・イラン語派イラン語群東イラン語に属すいくつもの小言語が話されており、それらをまとめて「パミール諸語」と言う。パミール諸語は

  • シュグニー語、およびそれに近縁な諸言語(ルシャン語、ヤズグリャム語、バルタング語、サリコル語等)

  • ワヒー語

  • イシュカシム語およびサングリチュ語

  • ムンジ語およびイドガ語

という4つのグループに分かれている。一説によると、パミール諸語は東イラン語の中で系統的にひとつのまとまりになっているわけではなく、異なる系統の言語が地理的その他の理由で類似性を持つ「言語連合」だともされている(後に知ったことによると、東イラン語もイラン語群の中でひとつの系統をなしているわけではないらしく、パミール諸語の4つのグループの「最も近い共通祖先」はイラン祖語まで遡るのかもしれない)。

この時の私は、パミール語は「シュグニー語とそれに近縁な諸言語」「ワヒー語」「イシュカシム語」の3種類だと思っていた(タジキスタン国内で話されていないサングリチュ語、ムンジ語、イドガ語については未把握、もしくは忘れていた)。パミール諸語の中にあって、私はシュグニー語を主に勉強しワヒー語も少しかじっているが、イシュカシム語は全くの未知の言語である。そのイシュカシム語が話されている村の近くにいるのだと思うと、一種の高揚感を覚えた(ただし、今回の旅ではイシュカシム語に触れる機会は無かった)。

昼下がりのイシュカシム

イシュカシムでは、小さな売店で買い出しをしたり(私は特に買うものは無かったと思う)、鄙びた小さな食堂で昼食をとったりした。食堂のお姉さんとはタジク語で話をしたと思う。昼食にはマントゥを食べた。VさんとWさんはナンを食べており、私も少し食べさせてもらった。

食堂の近くではヨーロッパ系と思しき観光客が地元の人の写真を撮っていた。「地元の人の写真を撮る観光客」の写真を撮ろうと思ったが、観光客氏らは写真に写りたくなさそうだったので撮るのをやめた。

昼食のマントゥとナン。記録によると14時50分頃の遅めの昼食。
イシュカシムの食堂にて
食堂前の道
イシュカシムの目抜き通り(?)の坂道

(続き)

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