一人称が定まらない
話すとき、書くとき、あらゆる場面で一人称がバラバラでぐらついている。明確に決めていないし、意識してしまうのでできるだけ言わないように、言わなくていい言い回しにしていることもある。この時点でめっちゃ意識してんじゃんって話なんだけど。
話すとき、基本的には友達相手だと「俺」。
目上の人相手とかちょっと真面目なところでは「僕」になっている。
面接とかだと「私」を使っていくんだろうけど、まだ使うべき場面はほとんどない。
こっからが本題で、自分の中で基本的な会話の中で使う一人称は「俺」なの。だけど、会話にネガティブな時とか弱気になってる時、無意識に「僕」を連発する癖がある。なんなら一人称言わなくてもいいのに、僕は~って言ってることが結構ある。
こういうときはなんとか意識的に「俺」を使って、普段通りの状態に戻そうとしてる。できるだけ一人称を使わないのがベストの選択肢で、その次の択にあえて俺を使うっていうのが入ってくる感じ。
逆に無意識で自然に「俺」って言えてる時は状態がいいことが多い。
状態ってのは精神もだし、体調もだし、口の回り方みたいのもある。これがいいときはそもそも一人称なんかに意識は向かない。ちゃんと会話に集中できている。仲いい友達とかと喋ってる時はこれだよね。
結構これがバロメーターになってる時もあって、あれ?いま僕って言ったな、てことは意外とこの人とは距離取りたいと思ってるのかも、みたいな自分の思ってることの可視化(可聴化)にもなってることがある。
勿論これは判断の一部に過ぎないけど、通常の状態が「俺」だからそれに比べてどうなのか、みたいに考えてしまう。
ただ書きながら思ったけど、自分の通常状態つまり一人称なんかに意識が向かない状態はレアケースで、他人(特に初対面)に対する意識が強い自分にとって一人称が僕になりながら喋る場面がほとんどなことに気付いた。
悲しい。何も気にせず喋れるのが数少ない好調のときだけなんて。
自分は自他共に認めるコミュ障というか、こいつコミュニケーション下手くそやなって思われているのはわかる。
ただ知ってほしいのは、会話が下手くそなんじゃなくて、一人称みたいな気にする箇所が多すぎて、結果的にコミュ障に見えてるってこと。
相手の表情とか、テンション上げなきゃとか、いろいろ考えてああなっちゃう。え?じゃあ会話下手やんって? うわーん泣
泣いててもしょうがないけど、みんなそれをやってるから本当に凄い。
たまに相手の気持ちガン無視コミュニケーションしてる人もいるけど、あれはあれで良いと思う。
相手からの情報量を考えなくていいから、言いたいこと言えてるだろうし。考えすぎて自分みたいになるよりよっぽどいい。
少し脱線したけど、書くときの一人称もかなり迷っている。
ここまで読んでくれた人はわかる通り、「自分」を主に使っているがこれはnoteを書くようになって最初に考えた。
自分のことを書くんだから普段通りにいこうと思うと「俺」になる。ただこれがそうもいかなくて、文章上で見るとちょっと強すぎるというか、一人称が邪魔に感じてしまった。
次は「僕」を検討した。うーんどうだろう。
これはリアルの言動にも通じることだけど、自分の文章は弱いというか曖昧にして濁すことがよくある。~かな。とか、~かもしれない。とか、~な気がする。とか。これはできるだけ無くそうとはしているけどやっぱり出てしまうし、文章全体にも雰囲気として滲み出てしまっていると思う。良くも悪くも。「僕」でこの文章を書いてしまうと、なよなよ感が充満する気がしてしまった。これは話すときに俺を使う理由の一つでもある。
そもそも男性の一人称、「俺」か「僕」の二択ってなんだよ。どっちも色が付きすぎてるんだよな。小説のときも思うけど。
次に「私」ですよねー。
これは割とありだった。前の二つよりもノイズが少なく、ちょっと大人びた感じでいい。ただ、俺には自分のことを嘘なしで書くというテーマがnoteを書く上であった。そう考えると「私」はちょっと大人面しているところは否めなかった。
意識すれば大人びた文章を書くこともできなくはない。なんならこれから社会に出ていき求められるのは、そっちだと思う。でも自分のこと、自分が考えている事を等身大で誇張せずに真摯に書くことが芯にあるので、「私」を使うわけにはいかなかった。
俺もnoteでカッコつけた着飾った文章書いてスキとか稼ぎてえよ、って思いが無いわけではない。
ただ、なんで文章書くの?ってなったときに自分のために文章でしか書けない本音をそのまま書くことが一番の目的なので、こんな感じのぐちゃぐちゃな文章になってます。
勿論、「苦しい~こんなに私不幸なんです~愛して~」っていう文章とか、「こうすれば東大入れた!東大生の私はこう考える!」みたいな文章とかをnoteに載せるのはなにも間違ってないと思う。というか正解です。SNSってそういうところだから。でも、だからこそ、こういう文章書く奴がいてもいいじゃんねえ?と思っている。
結局書くときの一人称はとりあえず「自分」に落ち着いた。
できるだけ雑味が少なくなるようにという点でしっくりきた。
あんまり多用するとくどくなるので注意しているが、自分って書いてるとそこを区切りとして主張と情報を整理できてる感覚もあって、けっこういいかも。
これから一人称変わる可能性も全然あるけど、どちらにしてもあまり意識せず書いていきたい。話すなしても書くにしても、中身の人間が変わってないことが伝われば本望です。