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「地下倉庫の独裁者」

第2回カモガワ奇想短編グランプリ応募作です。



「地下倉庫の独裁者」 (修正ver.  約5400字)


 私は、物心がついた頃からトイレットペーパーを憎んでいた。
 明るい家、明るい部屋、清潔なトイレ。私が生まれ育った時代には、暗くて怖い場所なんてもうどこにもなかった。でも私は、怖かった、あいつが。
 トイレットペーパーを巻き取るあの音だ。自分が使う時はもちろんのこと、誰か他の家族がトイレに入った時にも聞こえてくるあの音だ。カラカラカラカラカラカラカラカラ鳴るたびにびくびくしていた。こいつは、私の股間やお尻を狙っている、と。

「拭きなさい」
 そう言われて育った。
 自宅に小便器はなかった。男女共用の便座式トイレだ。大だろうが小だろうが、用を足した後は拭うように言われて育った。それは我が家だけの話ではなく、周りの男性たちも同じだ。昔は小便器ばかりだったから、小便の時にトイレットペーパーを使わなかったらしい。今となっては考えられない習慣だ。

 私がトイレットペーパーを恐れるようになった時の話をしよう。
 親の手を借りることなく一人でトイレが出来るようになったばかりの頃だった。ある日、排便時の手持ち無沙汰な時間、ホルダーに掛けられたトイレットペーパーを、じっと眺めていた。
 するとそれはひとりでに、カタカタと音を鳴らしたのだ。地震のせいであれば個室自体が揺れたはずだ。しかし、その時小刻みに動いていたのは、トイレットペーパーのみだった。それから、ゆっくり、ゆっくり、回転し、薄いペーパーの端が、べろりと垂れ下がった。
 私はその時理解した。トイレットペーパーは生きていると。
 目に涙を溜めながら母に話したのだが、理解してもらえなかった。
「カタカタ鳴るのは当たり前。『再生紙のトイレットペーパー(芯無し)』っていうのを使っているから、がたつきがあるのよ。それがいちばん安いの」
 幼い私を見下ろす母の表情は冷たかった。母にとっては、私の心の安寧よりも、数十円の節約の方が大事だったらしい。
 子供という、弱い立場である私を脅かすトイレットペーパーが、怖かった。そして大人になった今思い返すと、憎たらしい。

 母の主張は間違っていた。トイレットペーパーは、種類に関係なく、私の前でたまに動いた。時には笑いかけるようにして、傾いて見せることもあった。
 小学校の休み時間、私は便座に座って震えていた。床まで垂れたトイレットペーパーの先端は、そのままスルスルと、二重、三重に、積み重なる。掃除されたばかりの濡れた床、溶けたペーパーは灰色で、ぐちゃぐちゃで、不潔で、不快だ。トイレットペーパー自身は、構わないようで、くるくるくるくる回転し、床の上で延々折り重なり、濡れていく。むしろそいつは楽しんでいるようだった。私は大慌てでトイレから出る。スボンにできた小水のシミが、クラスメイトにばれて、その後何年もからかわれた。
 お前のせいで。
 私はトイレットペーパーを恨んだ。
 トイレットペーパーが動くことは、友人には言わなかった。母親にすら信じてもらえなかったのだ。変なやつだとバカにされたくなかった。
 もしもお尻を拭いたときにトイレットペーパーが暴れたりしたら大変だ。肛門にかみつかれたらどうしよう?
 私は常にそういう心配をしていた。
 だから、トイレットペーパーが勝手に動かないことを確認してから、使用するようになった。小便の時はもう、拭くのをやめた。残りしずくを、2、3回振り落としてよしとした。母にバレるとひどく怒られたから、決して気付かれないよう、残尿は慎重に絞り出すようにした。
 一日に1、2回ある大便の時は、どうしてもトイレットペーパーを使わなければならないため、特に神経を使った。ウォシュレットに感謝する日々だった。便がいかなる状態の時でも、肛門を拭く回数を減らすことが出来るからだ。とにかくトイレットペーパーと皮膚が接触する機会は極力減らす、そういう努力を惜しまなかった。なにせ、自分の身の安全がかかっていた。
 やがて大便を我慢する癖がついた私は便秘がちになった。しかし病院に行くことになれば、排便回数を増やすよう、促されるに決まっている。トイレットペーパーと対峙する、あの恐怖の時間が増えることなど、耐えられなかった。可能な限り排便の回数が少なくなるぎりぎりの間隔と、排便に支障がない便秘のラインの、ほどよいバランスを見つけることに、苦心した。
 なぜ私がこのような苦労をしなければならないのだろう。すべてあいつが悪い。トイレットペーパーが悪いのだ。
 あの頃そう考えていたことを、覚えている。

 中学生になり、買い与えられたスマートフォンで検索した。わずかではあるが、情報を見つけることが出来た。「トイレットペーパーが勝手に動く」「カラカラ音の後に怪我人が出る」などという現象だった。やはり私だけではなかったのだと、安堵した。
 私は夢を抱くようになった。ある日、想像してみたことがきっかけだった。便座に座り、その時に使用するトイレットペーパーが、動くか動かないかを確認する。それらをしないで済むという、平和な世界を想像した。雲ひとつない青空を仰ぎ見るような気持ちになった。
 しかし今は、暗黒だった。悔しい。憎い。涙が溢れ出た。握った拳は震えていた。
 心の暗雲が晴れ渡る日を夢見て、トイレットペーパーの撲滅を決意した。

 私は大学で、トイレットペーパーの加害性について研究した。卒業論文のテーマは「トイレットペーパーに擬態した危険生物」だった。ともすればオカルト寄りすぎて敬遠されると思われた私の論文は、教授との相性もあり、個性を高く評価された。他の教授や研究者からの評価は散々なものだったが。後悔はない。「合格だ」と言ってくれる評価者は、たった一人で充分だった。学術的な評価を得た私は、間違っていないという、確信を強めた。
 大学を卒業してから、製紙メーカー、工業用資材メーカー、商社にそれぞれ3年間勤めた。その後、起業した。
 トイレットウェス事業を創業した。大量廃棄が問題になっている衣料品の再利用を大きく謳うことにした。トイレットウェスとは、使い捨てであるトイレットペーパーに代わる新しいプロダクトだ。ウェス、すなわち「廃棄された布を再利用した布資材」の概念である。「再利用」という側面だけならば、布おむつや布ナプキンと、似ているかもしれない。
 様々な用途で使用されるウェスというものは、工業用資材メーカーに勤めている頃に出会った。その企業でウェスを生産しているわけではなかったが、商品として仕入れ販売をしていたのだ。
 それ自体が再利用品であるウェスは、使い捨てを前提とすることが多い。しかし、一部の使い道では洗浄し再利用する。大量消費が見込まれるトイレットウェスも、再利用を前提とすることが妥当だった。そうすることで、特定の層からの支持も得やすいだろうとも考えた。
 配達と回収、クリーニング、滅菌殺菌工程。私の事業は、新たな需要、そして雇用を生むものだった。さらに、環境問題が取り沙汰されていたから、そういう物事に強い関心がある一部の人々から、熱い支持を集めた。私の目論みは、徐々に形になっていった。

 しかし私は物足りなかった。
 トイレットペーパーは悪なのだ。撲滅しなければならない。

 トイレットペーパーの醜悪な性質を世間に認識させること。そのような機会を求め続けて十年ほどが経ったころ、ついに時が、やってきた。
 トイレの中で人が死んだり、負傷したりする事件が頻発したのだ。確信した。やつらが本格的に動き出したのだと。
 肛門から直腸、ひどい場合には大腸内部までズタズタにされる事件だった。男性の場合は、人によっては陰茎も。女性は、外陰から会陰にかけて負傷することもある。それから、被害に遭う人間には共通点があるという噂だ。ウォシュレットを使用しないという。つまり、トイレットペーパーの使用頻度も使用量も、多いということだ。
 私は犯人を知っていた。犯人は、トイレットペーパーだ。
 私が大学生の頃に書いた論文を、探し当てたテレビ局関係者から、連絡があった。だから有識者を買って出た。テレビに出て、コメンテーターを務めた。
 私はトイレットペーパーの暴力性を主張すると共に、トイレットペーパーを使用する場合よりも、トイレットウェスを使用した方が環境に良いとする算出結果を、誰にでも理解しやすいように円グラフや棒グラフにして、世間に説いた。
「今こそトイレットペーパーを撲滅する時です。彼らは殺人トイレットペーパーだ。私は『脱・トイレットペーパー』を実現するための事業を立ち上げました。人類のために、トイレットペーパーを廃止し、トイレットウェスを使用しましょう。また、環境愛護の視点からもトイレットウェスはおすすめ致します」
 その翌日、「殺人トイレットペーパー」はセンセーショナルな見出しで報じられた。
 多くの人々の支持を得られた結果、トイレットウェスのリース事業が波に乗った。
 ようやく事業がある程度の規模となり、利用サイクルが整った頃、私の生活圏からはトイレットペーパーが消えていた。うれしくて、ほっとして、涙が溢れた。
 そうだ。このトイレットウェス事業とは、私が切に願った、私自身の平和を実現するためのものだった。
 私は顔を上げた。
 あの頃夢見た青空が今、目の前に広がっている。
 トイレに入るたび、敵と対峙して怯えることは、なくなった。

 動物愛護団体からはかなりの件数の、電話やメールを受け取った。私の主張に対する抗議だった。彼らはトイレットペーパーは生き物であるとしていた。生き物の保護を訴えていた。しかしながら、暴力的なトイレットペーパーと通常のトイレットペーパーを見分けることは困難だった。
 その上トイレットペーパーによる傷害および殺人事件は後を絶たなかった。そういった団体はむしろ抗議を受ける側に変わっていった。世間は次第に、暴力的なトイレットペーパーは害獣であると、認識するようになっていった。
 減らない事件に困り果てた警察は、実験を兼ねて、とある対策を行った。指定された地区においてトイレットペーパーを撤去したのだ。結果、事件件数が明らかに激減するということが、立証された。やがて各都道府県でトイレットペーパーの使用を禁止する内容の条例が制定されるようになった。
 廃棄対象になったトイレットペーパーは我が社で買い上げた。その代わり、ペーパーを全廃した暁には、トイレットウェスの仕入れ業者に、競合他社ではなく当社を選ぶというのが、暗黙の了解だった。
 本社社屋の地下倉庫には、回収したトイレットペーパーを安置している。悪名高きトイレットペーパーが、もう二度と暴れないように、私が見張る役目を買って出たのだ。
 代表取締役として多くの賃金を得るようになっていたが、生活に最低限必要な分を除いた報酬はすべて、地下倉庫の増設に注ぎ込んだ。

 ついに国会で、トイレットペーパーの使用を禁止する条項を含む、「環境愛護法」が可決された。私はひとつの使命を終えた気持ちで、肩から力を抜いた。
 私はトイレットペーパーに勝ったのだ。
 上層階にあるガラス張りのオフィスで、ネット配信の国会中継を見届けた私は、コーヒーカップを机に置いた。椅子から立ち上がる。体は、羽のように軽かった。小気味良い靴音が、フロアータイルの上を跳ねる。秘書室の前を過ぎ、廊下を曲がり、社長専用エレベーターに向かった。静かに開いた箱に乗り込み、迷わず「地下」のボタンを押した。
 窓が一つもない薄暗いホールに出る。がらんどうな空間が、反響する足音を丸呑みにする。
 自分の背丈よりもずっと大きな、両開き扉の前で一旦立ち止まった。下腹のあたりで緩く手を組み、仁王立ちで佇んだ。短く息を吐き出してから、顔を上げ、扉の棒状の取っ手をつかむ。ぐっと力を込めて、押し開いた。
 入ってすぐ右手の壁にある、照明ボタンを押した。大して明るくはならない。ここはただの地下倉庫なのだから。スケルトン階段の最上段から、薄白い空間を見下ろした。
 床から天井まで壁一面に施工されたトイレットペーパーホルダーに、一つずつ、トイレットペーパーがセットされている。すべて私がこの手でやったことだ。カタカタ、カラカラ、言うのが好きなんだろう、心の中でそう語りかけ、鼻歌を歌いながら、一つ一つのトイレットペーパーを手にして、ホルダーに嵌めてやった。時に罵ったものだ。「ヒトの、プライベートな場所に触り、あわよくば噛みついて、傷つけたいんだろう、この鬼畜変態めが」口の端から唾を撒き散らした。「しかし残念だったな。お前らはもうここから出られない」歪んだ顔で高笑いして見せる。私が吐き捨てた唾は、トイレットロールに当たり、じわりと染みて、広がった。
 悔しさや怒りを表すかのように、トイレットペーパーはホルダーをガタガタ揺らす。カタカタ、カラカラと鳴きながら、ひとりでに白い舌ベロをだらだらと床に伸ばしている。舌ベロは私の方に向かってくる。それはそうだろう。私は彼らの絶滅を目論む。彼らにとっては天敵だ。まるで芋虫のように波打って、私に迫る――。
「卑怯者」
 彼らを見下ろしながら私は、壁にある巨大なスロットを、汗ばんだ両手で掴み思いきり引き下ろした。

「FLUSH」

 青い太文字が露わになる。
 地響きと轟音が近づいてくる。眼前に迫ってきたのは濁流だった。
 彼らは飲み込まれた。
 断末魔は、憎しみと、悲しみと、絶望に、溢れていた。
 最後に私はこう言った。
「最初に手を出そうとしたのは、そっちだからな」

   了


一行梗概

「日本中のトイレットペーパーを駆逐して心身の安寧を得る男の話」

三行梗概

「幼い頃のトラウマからトイレットペーパーに恐怖心を抱く一人の男がトイレットウェス事業を始めた。やがて世間の賛同を集めると、日本中のトイレットペーパーを会社の地下倉庫に閉じ込める。すべてを水に流し撲滅に成功する。」

「一行梗概」「三行梗概」はコンテスト応募の必須項目でした。その理念が私は好きです。昨年のコンテストの「大賞・優秀賞発表および選評」にて触れられています。

所感諸々

 講評内で「地下倉庫の独裁者」にも触れていただきました。選評飢餓の身に沁みわたるお言葉を頂戴致しました。精進致します。即刻、精進したい所存です。

着眼点といい、エスカレーションのさせ方やオチの決まり方といい、ショートショートとしては大変優秀な作品である。ただ、トイレットペーパーが実際に生物だったという展開にしてしまうのは、ややご都合主義というか、主人公の恐怖症や前提とちぐはぐな印象を受けなくはない。いっそ全て主人公の妄想として突き進んだほうが、短編内の一貫性という観点からはよかったのではないか。

第2回カモガワ奇想短編グランプリ 大賞・優秀賞発表および選評」より

 ご指摘の点について、人によっては妄想と捉えられるかな、という希望的観測で書いたため、もう少し輪郭がくっきりするよう、最終章の書き方を変更しようと試みた…のですが。応募原稿の方が良いと判断し、大筋はそのままにしてみました。「受けなくはない」という言い回しに甘える形です。
「一貫性という観点」は私の最大の課題の一つ、という自覚もあり。今回は時間がないという言い訳が幸いし、余計なものを詰め込む余裕がありませんでした。普段だったらここから1、2の展開を詰め込んでいたでしょう。それで選考に残れたかどうかはちょっと分からない、巡り合わせの最終候補であったように、思っています。

 最後に、自分の作品を読んだ感想を、いつもの、誰かの作品を拝読してエックスに投げる調子で書いておきます。
「最後のセリフに全てが詰まっていて、一度も攻撃をされていないのにそこまでやるのかお前はっていうおかしみがありつつ、この話の怖いところでもあるのかもしれません。力で抑えることでしか権威を示すことが出来ない『独裁者』は、きっと何か未知なものや、理解できないものを、恐れている。」

以上。
ありがとうございました!

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