「山本二三展」を観てきました
漫画の背景すらソフトの背景素材を使ったりするらしい。アニメに出てくる架空のクリーチャーだって、専用のソフトを使って造形されて精細な動きをプログラミングするという、メイキングを最近見かけて驚いたばかりだ。スッゴイよなー。
ほいで映像作品でまず目が留まるのは、画面で動くキャラクターたちなんだよ。彼らのビジュアル、人格、台詞、それらの合わせ技で生まれるストーリーに夢中になる。キャラクターの関係性に萌えるのは私だって大好きだもちろん、そんなの当たり前だ…(舌なめずり)。
ちょっとしたアニメ好きなら誰もが知ってるジブリ作品の、背景。今どきCGかと思っていた。あの有名作品に出てきた風景はこうして人の手で絵筆を使って生み出されたんだなと。当たり前の話かもしれないけれど、驚くのだ。手描きにしては整然としている、上手すぎるイラストレーションだからかもしれない。画用紙の端の方に残るかすれた塗りしろが、ハンドペイントの証拠である。
美しさのあまりぼんやり眺めていると、あ! 背景って手で描いてもいいんだ。美しいと思った雲や空を美しく描くことは、悪いことではないんだなと、心が洗われる。
また、山本氏の背景画(積乱雲)の制作過程が上映されていた。慣れた手つきでサラサラと。リズミカルに淡い色が、不透明水彩で重ねられていく。あの素晴らしい雲は本当に、人の手によってこうして描かれているんだなあと、妙に安心するのだ。
同行者が、「写真見て描くなら写真で良いんでない?」と呟いていた。私は絵の美しさで頭が麻痺して、その時は聞き流した。その呟きへのアンサーを今考えるならば。描く人の人格は確実に、「味わい」になって表出するんだよな。筆の跡とか、色みの選択で。厳密に言えば写真だってそうなんだよ。シャッターを押す一瞬のキリトリが、人間に拠って異なる。だからアートは面白いのだ。
aiの話題に疲れている人、いますか? →疲れるわけないじゃん、新しい技術サイコーだ! って方ももちろんいるだろう。それもわかる。生産性という考え方の有無が、受け取り方の差異に大きく影響しているのだと、私は思っている。
それはそれとして、ところでアナログの良さというのは消えることはないのだろうと、考える特別展でしたヨ。(絵はアナログ派人間より。)