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知るも知らぬも 逢坂の関
国境の長いトンネルを抜けるとアンナカハルナであった。昼の空が高くなった。
14時04分発あさま615号長野行きは、世界一のスピードと正確性を誇る掃除のプロ集団を吐き出し、都会の喧騒から逃れるべく我先にと座席を目指す乗客を飲み込み、定刻通り東京駅の20番線から誰にも気づかれないほど静かに、それでいて自慢げに出発した。
東京から西の新幹線にしか乗ったことがなく、いつも八重洲口側の16番線やら18番線やらで乗り降りをしていた。果たして21番線、なるほどこれは面白い。向こう側に在来線が見えるのである。満員電車の乗客に心中エールを送り、1号車自由席の進行方向に向かって左側に座った。
山の手台地と雲浮かぶ秋空を横目に思うのは、やり残した仕事のことである。首を上下左右に振り、忌まわしきメールの通知を遮断し、社会人であるという自覚を2号車との間のデッキに投げ捨てた。現実逃避を身につけたのはつい1ヶ月ほど前である。
列車は山に入った。アンナカハルナ、アンナカハルナ。
さて、やってきたのは上田である。千曲川の両岸に広がる空気の美味しい町に私が何をしに来たのかというと、何もしないということをしに来たわけである。さあいよいよ会話の通じない人間になったかと思われる頃であろう。書き出しはあんなにも格好の良い雰囲気を醸し出していたのに。つまるところ、旅行記を書きたいわけであるが、上田があまりにも気持ちの良い町であったために、写真もろくに撮らず、日記を残すこともなく、ただ思惑通り何もせずに帰ってきたため、思い出すのに苦労していると言えば正直だろう。
苦し紛れにそれらしく筆を進める。まず、大きめな十字路の角で抹茶ラテなる物を飲み干し、それから宿ーーここは劇場兼市民の健全なる溜まり場兼カフェ兼ゲストハウスであったーーに向かい、可愛らしいがえらくゆっくりと動く鉄道に揺られ寂しげな温泉街へ向かい、飽きもせず湯に浸かり、それから宿ーーここは眩しすぎる月明かりに照らされる素敵な裏庭を持つーーに戻った。スタッフの女性が綺麗であった。
翌日も、何かしらした。歴史を感じる映画館でパリのちいさなオーケストラについての映画を眺め、上田城に攻め入り、返り討ちにされ、ボロボロになりながら川のほとりの美術館から浅間山を望み、いつしか来たる大噴火を想像しては恐怖に顔を歪めた。
何事にもやってくる終わりは、ことさら旅においては醍醐味となることもありうる。行列に並んで手に入れた自慢焼と、上田市民の気温とは裏腹な温かさを胃袋と心に感じ、訪ねたかったが開いていなかった本屋とパン屋に再訪を誓う。そこを紹介してくれた友人と共にできれば尚良い。名残惜しさが旅を旅たらしめるのである。
ばいざうぇい、私が保有する(であろう)時間という無形かつ貯蓄不可能、さらにはなんと価値変動予測不可能な資産についてであるが、全く足りない。これは帰りの列車で感じたわけだが、つまり、こんなに良いところが、無条件に好きだと思える場所が、この国、ないしはこの地球でまだまだ私を待っているのだ。否、待っていないかもしれないが、私は会いたい。
旅をすることをきっかけに、生きることの楽しさと、ここまで生きてこられたことへの感謝と、前世でよっぽど良いことをしたのだろうという勘違いと、ならば来世のために頑張ろうという決意とその他諸々を、自分勝手に思い詰めるのである。