じいちゃんのはなし
「じいちゃんは思い出しとおないけえ、あきらくんたちだけで資料館行ってきんさい」
話をちゃんと聞いたのは小学生の時の1回だけ。あの朝、6歳のじいちゃんは己斐(今の西広島)におる叔父さんのところへ。
そしてピカドン。
あたり一面に人が倒れとる。焼け焦げとったり、腕とか足がもげとったりするけど、多分人。垂れ落ちた目玉を手で受け止める人、泣かんくなった赤ちゃんを抱えて叫ぶ人。地獄。
「ばあちゃんにも話してくれんのよ。本当に辛い思いをしちゃった人は話しとおないよね」
原爆資料館は何年か前にリニューアルして、あの蝋人形が無くなった。小さい子らが怖くて泣くあれ。小学生ん時ゆずが泣いとったな。撤去された理由は「こんなもんじゃない」けえだって。実際は服なんか焼けて無くなって、みんな裸同然、皮膚はドロドロ。
じいちゃんは行かん。
広島の夏は、よそとは空気が違う。他にも空襲を受けた街はあるのに。77年、よう頑張ったなぁここまで。
ひいじいちゃんも、じいちゃんに戦争の話はしてくれんかったらしい。
この前も高校生が原爆ドームの前で署名集めよったけど、彼ら本当の話を聞いたことがあるんかな。
実際に経験した人は少なくなるし、話したく無い人も多いし、おれたちにできることはなんじゃろうか。
あーーー
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