匂い / ふりさけ見れば春日なる
目が覚めると、アラビアの空にいた。
乗客はみな、時速900kmでの移動を気にも留めていない。海は東へ流れ、EK319便は時間を遡る方角に機首を向ける。
木曜日
第2ターミナルの3階、チェックインカウンターがずらりと並ぶ。中東を代表するエアラインはそのど真ん中、余裕の笑みで僕を迎え入れる。砂漠をイメージしたベージュのジャケットと真っ赤な帽子、白いベールが持つインパクトは他のどの航空会社の制服にも負けない。黒いスーツを着たイスラム系の職員たちが、荷物を運び入れるベルトコンベアの上を楽しそうに歩いていた。
左ポケットには航空券を2枚とホテルのバウチャー、10€札も2枚。二つ折りの財布は右のポケットへ。パスポートは首から掛け、そこへクレジットカードを1枚差し込む。ランニングをするとき腰に巻く便利なベルトに、家の鍵ともう1枚カードを忍ばせた。
22時半のフライトまで、B滑走路の見えるベンチで時間を潰すことにする。カスタードクリームが詰まっているかのような月を背にして、次々と小型機が滑り込む。出発の1時間前、キャプテンと副操縦士であろう2人の白人が僕の後ろを通り過ぎた。ドバイまでどうぞよろしく。それにしても流石はエアバス社が誇る超巨大オール2階建て旅客機A380。座席数615。人の量がものすごい。
隣に座るのはイギリスに向かう東京の男子大学生2人。機内には不思議な音楽が流れ、ライトは鮮やかに変化する。ここは関東平野、だが飛び交う言語は様々だ。
金曜日
起床。日本時間の朝9時。2人を挟んだ先の窓は何一つヒントをくれなかったが、目の前のディスプレイが319便の場所を示していた。アラビア海の上空10,000m。地上でも空の上でも、朝はやっぱりヨーグルトがいい。配られたタオルは爽やかで良い匂いがする。12時間のフライトも残り30分。東京と広島を結ぶ夜行バスよりもはるかに快適だった。
入国審査のおじさんは怖い顔で、とてもスタンプを頼める雰囲気ではない。トランジットは8時間、不慣れではあるがここはドバイ。ブルジュ・ハリファを見ずしてどうする。コプソーン・ホテルの裏口からGGICO駅まで歩いて、メトロのチケットを買う。スマホを触りながらくつろぐ駅員と、メトロの車窓に流れる奇妙な巨大建築物たち。トム・クルーズはあれを登ったのか。
世界でも指折りの旅客数を誇るこの巨大な空港には過剰な装飾が施され、どの通路を歩いてもギラギラしていて、香水の匂いが充満している。ショッピングエリアには自ら歩くことを諦めた客とその荷物を載せたカートがとんでもない速度で走っていて、けが人が出ていないのが不思議なくらいだ。きっと出ているんだろう。
75Kの席は僕に、どこまでも続く砂漠と雪山を見せてくれた。世界は広い。トルコに雪原が広がっているとは思いもしなかった。あの湖には何という名前が付けられているのだろうか。長い山を眺めながら、チョコケーキとハムチーズパンを食べた。
こんなに重い塊が8時間も宙に浮いていられることが不思議でたまらない。エアバス機の下を別の旅客機が北に飛んでいくところが見える。この空域の管制はどこの国が担当しているんだろうか。
夕日に向かってダッシュをすれば、青春ドラマっぽくて楽しいし、一緒に走った人との仲は深まるだろう。それが河川敷であればなおさらだ。ただしどれだけ速く走っても、いずれは夜が訪れる。夜が来るのが嫌ならば、飛行機に乗って西に向かえばいい。燃料が切れるまでは逃げ続けることができる。
地上と空の境目は茶色くオレンジで、黄色くてうっすら緑色をしている。その上に深い青がじんわり。マドリード時間の18時45分、地上と空の境目は鮮やかな紫色になった。前の日の22時から12時間飛んでも朝の6時に着き、14時から8時間飛んでも19時に着く。というわけで今日という日は、いつもより7時間長い31時間ある。
バラハス空港に到着。洗剤の匂いがする。前の人はいろいろと質問をされていたが、日本のパスポートを一目見たおじさんは一瞬でそこにスタンプを押した。不安だったが、荷物は綺麗な状態のまま流れてきた。20時45分、スペインの国鉄レンフェでAtocha駅へ向かう。
ホストのダミアンとアレクサンダーは優しい人たちで、夜遅くに到着した僕を飲みに連れ出してくれた。アレクサンダーに普段は何をしているのかを聞くと、彼は「聞かないでくれ、無職だから」と言った。「マドリードの人間は朝まで飲むのが普通なんだよ」と言うから、僕は「楽しかった」と言って2人と別れた。公共トイレなんて無いから近くのパブに駆け込む。黄色いお店にふらっと入って赤ワインを2杯飲んだ。身振り手振りでお会計を頼んだつもりでいたら、もう1杯注がれてしまった。前の2杯よりも美味しかった。
マドリードでは寝るだけだと考えていたから、こんなに満喫できるとは思っていなかった。全てダミアンのおかげだ。また会うことができるだろうか。スペイン語を勉強したいと思った。長旅で疲れている時、赤ワインは2杯でいい。
ふらふらとした気分のまま宿に向かって歩き始めた。そして望み通り、見事に迷子になった。ここで地図を開くなんてもったいない。明日は早いが、鍵は預かっているし、思う存分迷ってやろう。ビール1杯とテキーラを1杯、ワインを3杯飲んだことに加えて、真夜中のマドリードを照らすオレンジ色の外灯たちが酔いを助長する。
やっとのことで宿にたどり着いた。エントランスの鍵を開ける。階段を登って3階に上がり、部屋の扉に鍵穴を見つける。挿す。回らない。何度か試してみる。それでも開かない。中から他のゲストの声。通話をしているみたいだ。チャイムを鳴らしてもドアを叩いても開けてくれない。気がついたら20分。何だこの状況。部屋の外に20分間も知らない人が立っているものだから、中にいる人も恐怖を感じたようで、鍵を開けるどころかチェーンロックまで掛けられてしまった。さらにまずいことに、再びトイレに行きたくなったではないか。どうする。その辺で用を足すしかない。この国にそういった行為を罰する法律が無いことを願って外に出た。幸い真夜中で人はいない。まずは一つ解決。再び3階まで上がる。部屋を間違えているわけではないようだ。鍵穴を見つける。挿す。回った。しかしチェーンロックがこの旅を面白くする。このままダミアンが帰ってくるのを待つか。いや、予約している明日の列車に間に合わなかったらどうする。荷物は中だ。酔いがとっくに醒めてしまったころ、ルームメイトらしき2人が帰ってきた。事情を説明し、ドアの隙間からスペイン語で説得してもらう。何をやっているんだ、みたいなことを双方から言われてしまったが、僕も少しだけ口答えをしてみた。異国語での喧嘩を初めて経験することができて、嬉しかった。2時半になってしまったが、素晴らしいアクシデントだった。
土曜日
8時25分、Atocha駅を出発した。マドリードの夜明けは遅く、溜め込まれた朝がじわじわと焼け始める。ダミアンには手紙を書いておいたが、離れたくないな。AVEは窓がない席だったが、とても快適だった。移動すればよかったが、睡魔に身を任せた。
マラガの駅を出た瞬間、スパイシーな匂いが鼻腔を通過した。少し甘い匂いも混ざっている。この街の雰囲気がとても好きだとすぐに思った。この駅で乗り換えてまた列車に乗るのだが、その前にやるべきことがあった。今夜、次の街へ向かう飛行機のチケットを紙に印刷しておく必要があるのだ。電子チケットではなく、プリントアウトしたものを見せるというのがその航空会社の決まりらしい。駅を出て西に延びる道を歩く。事前に調べておいたコピーサービスのお店を無事に見つける。店員のお姉さんにデータを渡して印刷してもらう。2.5€。ここで初めて現金を使って、お釣りで小銭を手に入れた。からっとしたアンダルシアの雰囲気がとても気持ちいい。
水を買うために隣のスーパーに入る。目当てのものはすぐに見つけたが、置いてある野菜が日本のものとは違う気がして眺めてしまう。お菓子や日用品も全てエスパニョーラで、まるで飽きない。やっとのことでレジにたどり着いて、500mlの飲み水を手に入れた。駅に戻ってフエンヒロラへ向かうためのチケットを買うことにする。券売機との相性でカードが使えなかったのだが、そのまま行けるよと言われたので自動改札にクレジットカードをかざしてみた。
駅も空港も街中も、今はどこにいても異国の言葉と空気しか感じていないはずなのに、意外にもすんなりと受け入れられている。途中のMontemar Alto駅は周りに公園があって、素敵なところだと思った。どうやらこの辺りはリゾート地のようだ。プール付きの豪邸がずらりと並んでいる。フエンヒロラまでは結構時間がかかる。13時30分、到着した駅から3分ほど歩いたところでバスを待った。バスでは現金での支払いしかできないみたいで、もたついているとバスの運転手に舌打ちをされてしまった。許しておくれ。
中学生の頃にこの村を知り、いつかは、と夢に見ていた。何度も地図を見て、何度も行き方を調べた。ストリートビューの黄色い人になったつもりで通りを練り歩いた。思っていたよりも白くて、思っていたよりも海が近く、風が吹いていた。とても美しかった。自分がそこにいることが不思議でたまらない。ミハスには、これまで地図では感じられなかったアンダルシアの香りが漂っていた。
15時30分、ほんの少しの滞在を終えて、電車でマラガ空港へ向かう。ここからが不安だ。海外のLCCでチェックインがうまくいくだろうか。持ち込み手荷物は許容されるだろうか。水は捨てられてしまったが、不安は保安検査場で取り払うことができた。中で買わなければ。3€もする。
日本に帰ってもこの国の匂いを嗅ぐことができたらいいのに。そんなことを考えながら空港のバーガーキングで腹ごしらえをした。日差しが強い。2月の夕方6時前にしては太陽が高すぎる。でもそれが気持ちいい。太陽が燦々と照りつけるアンダルシアに、いつか住んでみたいな。出発ロビーに座っていると、レモン色のコンバースを見かけた。
19時、ライアンエアー3081便に搭乗開始。Hola! 機内アナウンスもグランドスタッフもスペイン語しか話さないから、何を言っているのかよく分からないけれど、流れに身を任せることにした。黄色と青のテーマカラーも良い。
21時、芸術の街バルセロナに到着。降り立ったターミナルからメトロに乗ればよかったのに、シャトルバスで別のターミナルに向かってしまった。車内は暗く、後ろの方に危険な匂いのする人が座っている。10分がやけに長く感じた。ターミナル1からも市街地に向かうメトロは出ているが、乗り換えを一度しなければいけなくなった。ホステルに着くのは何時になるだろうか。とても眠い。旅の疲れ第1弾が来た。Torrassa駅はとても深い。
日曜日
6時半、同じルームのゲストたちが荷物をまとめて出発していく。ヒソヒソと聞こえてくるスペイン語もまたかっこいい。シャワールームはとても綺麗とは言えなかったが、これぞ一人旅という感じがして、趣があった。
7時半、グランビア通りを北東に向かって1ブロック進み、ダリバウ通りに折れて1つ目の角にあるMassamara Diputacióというカフェで朝ごはんを頂いた。ハムチーズサンドとチャイティーが美味い。外はまだ暗いけど、空が綺麗だということはすぐにわかった。少しは現地の言葉でも話せたらと思い"Que tengas un buen día."なんて言ってみる。
8時にカフェを出て、ミニスーパーマーケットでチュッパチャプスを購入した。バルセロナにはハトが多いみたいだ。東の山の上に教会が見える。何という教会だろうか。この街の朝は気持ちがいい。明日は早く起きてみようかと思う。カタルーニャ広場から何も考えずに東に歩くと、豪華な大聖堂に行き着いた。ここに来るまでに通った細い小路が最高だった。路地好きにはたまらない。途中でSyra Coffee - Bornという黄色いコーヒースタンドを見つけた。朝の濃いエスプレッソを淹れてもらうのにぴったりだ。どこからともなく聞こえてきた日本語は、関西弁のおばさん2人からだった。5€の靴下が3€になってるのを見て「安いやん」と叫んでいた。
朝の散歩を終え、荷物をまとめて10時20分にチェックアウトをする。Universitat駅で「これはL2か?」と聞かれた。「そっちはL1だ。L2はこっち」と答え、人と話すと自然と笑顔になるなと思った。交差点の真ん中が公園になっている。この周りに道路が敷かれ街ができていく仕組みなんだろうか。どこを歩いていても休憩できる場所があってとても気持ちがいい。
今日の宿はTetuan駅から北に向かって5分ほど歩いた場所、ディプタシオ通りに面したところにある。荷物を預かってくれるか聞いたら、快く受け入れてくれた。11時15分、これから旅のメインだ。再びL2に乗って2駅、今思えば、そのくらいなら歩いて行けばよかった。地上に出てくる階段の途中でまずい、と思った。チラッと見えてしまったのだ。満を持して視界に入れようと思ったので、逆の方向を向いて登り切り、それから、自分ができる最大限の敬意を持って仰ぎ見た。
「諸君、明日はもっと良い仕事をしよう」
職人たちが石を掘り始めて140年。その想いを目の前にして、やはり言葉は出なかった。逆さ吊り実験によって考え抜かれた柱の数々と、意味を持ちつつ建物の構造をも補う彫刻、まだガウディが生きているうちに着工した生誕のファザード、そして出来立てほやほやのマリアの塔。この時を越える唯一無二の教会は、いずれそれ自体が楽器となり、この街にやわらかい音を響かせる。そこにいる全員が天を見上げ、完成を待ちわびているようだった。
ホステルのスタッフはとても陽気なお兄さんたちで、会話が弾んだ。1人は2ヶ月くらい日本にいたことがあるらしい。「日本語は難しいよね」と言う彼には「乾杯」という言葉を教えてあげた。この街の歩き方とこの国の言葉を丁寧に教えてくれて、イタリアをルーツに持つから発音が違うということも教えてくれた。”ギー”が”シー”になるらしい。出かける時に"Ya me voy"と言ったら、笑顔で"Voy me!"と返してくれた。いってらっしゃいなのかな。"Gracias"には Welcome の意味で"De nada"と返すらしい。
角の黒い装いをしたスーパーでリップクリームを買うことに成功した。道路はどこもかしこも工事をしている。近くのBartesàというバルでビールとチーズコロッケを食べた。昼から外で飲むお酒ほど幸せを感じられるものは無い。ここでも店員のお兄さんは陽気で、楽しそうに働いている。"La cuenta por favor"は通じなかったので、指でチェックを示してお会計をお願いした。カラフルな鳩を見て、いろんな生き物がいるものだなと思う。少し寒くなってきた。エスカレーターは右に並ぶみたいだ。
旧市街を抜けてEspanya駅まで地下鉄に揺られる。この丘を登れば街を一望できそうだ。カタルーニャ美術館のある広場には、弾き語りをするお兄さんとその様子を絵に描くお姉さんがいた。あとは階段に座るカップルと、多国籍な観光客に水を売る人と、香ばしい夕日しかなかった。予想通り、赤く広がるバルセロナ市街は圧巻だった。
子供によく顔を見られる。そうか、彼らアジアの人を見るのが初めてなのかな。まだ元気があるから、今からカンプ・ノウへ行ってみようと思う。そろそろ地下鉄にも慣れてきた。街の匂いにはチョコレートの甘い香りも混じっている気がしてきた。
19時半、世界で最も有名なサッカークラブのスタジアムを遠目で見学して、また市街地に戻ってきた。これから本場のフラメンコを観る。友人が踊っているのも動画でしか観たことがないから、とても楽しみにしていた。Liceu駅で降りて、大劇場の向かいにある広場に入る。ここには若かりし頃のガウディがデザインした街灯があったらしいのだが、そんなこと知らなかった。10€払ってLos Tarantosに入る。いかにもなイケおじが舞台に出てきて、手拍子とギターを奏でる。続いて体格の良い女性が登場し、どこから出てくるのか不思議なくらいの声量で歌い始めた。40分ほどのショーだったが、その迫力に終始圧倒され、カノンも誘えばよかったと思った。
外に出ると、通りの北の方から賑やかな音楽が聴こえてきて、しばらく眺めていると派手な衣装を着た楽器隊と大きな大きな女の子の一行が歩いてきた。どうやら幸運なことに、今日はお祭りらしい。あまりに大規模で地区一帯がお祭りムード一色だったので、帰ることも忘れて流れに身を任せた。気が付くとサン・ジャウマという広場にいた。ものすごい人だかりで、陽気な音楽が奏でられ、終いには何百発もの花火が打ち上げられた。後から調べてみると、これはサンタ・エウラリア祭と言い、守護聖人サンタ・エウラリアに捧げるお祭りだった。ヒガンテスという巨人人形たちのパレードやカタルーニャの伝統舞踊サルダナ、火祭り、人間の塔など4日間にわたって行われる祭りの最終日だったらしい。
夜ごはんはTapeoというタパスバーに入った。タパスという食べ物があるのだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。メニューは読めなかったし、いちいち翻訳するのも面倒なのでおすすめを出してもらった。ネグローニを飲みながらスペアリブとおしゃれなベーコンを食べた。自らの表現力の乏しさに嫌気がさすが、伝わらなくても良い。ここでも"La cuenta por favor"は通じなかった。気持ちよくなったので雰囲気のある路地をフラフラ歩いてJaume I駅まで行き、乗り換えをしてBed and Bikeに帰った。
月曜日
8時、Satan's Casa Bonayでホットのラテを注文して、鏡のあるカウンター席に座る。白いタイルは無機質な感じもするが、朝の柔らかい光がそれを払拭していた。昨日買ったポストカードにメッセージを書いて、日本に送る準備をする。TetuanからPasseig de Gràciaまで行き、L4に乗り換えてJaume Iで下車。郵便局まで少し歩くのもすがすがしい。この国の郵便カラーは黄色だ。
"Ya volví"
カタルーニャに天気が悪い日はあるんだろうか。今日も探検をしよう。チェックアウトを済ませて北へ向かい、L3のLesseps駅で降りて坂を登ることにした。坂を利用したJardins de Menéndez i Pelayoという公園を通り過ぎて、すぐ横の道に折れる。なかなか急な坂で、冬なのに汗がにじんできた。突き当りを右に曲がって進むと、左手に正面玄関が見えてきた。グエル公園だ。入口はさらに進んだ場所にある。チケットカウンターのお姉さんは「楽しんで!」と笑顔を見せてくれた。緑に囲まれて、観光客でいっぱいなのに落ち着いた雰囲気がある。さっきスーパーで水とパンを買っておいた。遠くから音楽とお土産を売る人の声が聞こえてくる。暖かくて良い日。美しい曲線とモザイク模様が施された広場から街を見渡す。遠くに昨日登ったムンジュイックの丘と地中海が見える。帰りは駅までバスに乗ることにした。足を温存しなければならない。
お昼はリセウにあるブケリア市場へ。グエル公園で食べた菓子パン2つが意外にお腹に溜まっているが、美味しいものを食べられるだろうか。市場のカラフルな雰囲気を味わうことができればいいか。市場に入った瞬間、視界が一気にカラフルになり、美味しい匂いが漂ってきた。5€で生ハムを買い、食べ歩きをしながら魚や野菜やスパイスを眺める。ビールを1杯ひっかけている人もたくさんいる。日本人も何人かいた。現地の生活を知りたくて近くのカルフールマーケットに入ると、ヨーグルトの種類が非常に多いことに驚いた。
14時半、足が疲れたのでカタルーニャ広場で休憩をすることにした。このままだと4ヶ月前の二の舞になってしまう。鳩が集団で散歩している。賑やかで、人が絶えない。人口は160万人。福岡や京都より少し多いだけだが、観光客の量で言うと桁が違う気がする。京都とバルセロナは街の作りが似ているが、こちらの方がゆったりしている気がする。そういったスペースが多い印象を持った。広場の西に面したFnacというデパートで、記念にガイドブックを買った。
地下鉄に慣れたと思ったので地図を見ずに乗ると、方向を間違えた。荷物を預けたホステルまで帰るところだが、逆方向に歩いている気がする。17時10分、Sants駅からエル・プラット空港に向けてレンフェに乗車。
陽の傾いた空港にて、ブエリングエアーのオンラインチェックインに挑戦する。スマホで表示したバーコードを機械にかざすと、荷物のタグがプリントアウトされる。それを自ら荷物に貼り付けるようだ。よくわからなかったから近くにいたグランドスタッフに聞いたら、面倒くさそうに答えてくれた。荷物よ、ちゃんと帰ってきてくれよ。疲れ切った足で空港の端まで歩かされる。LCCだから仕方がない。悔しいけど空港で3€の水を買う。平日の夜の便に乗るお客さんはなぜみんなイライラしているんだろう。それともイタリア人の口が悪いだけなのか。一昨日のライアンエアーは国内線だったが、今回はEU内ではあるものの国際線ということもあってか、多国籍な印象がある。言葉や顔の雰囲気かな。
21時、イタリアはボローニャに上陸。LCCでバスもなく、エプロンをターミナルまで歩く。空港の地面をこれだけ歩いたのは初めてだ。交通の要所であるらしいが、街自体はあまり大きくなく、夜は暗い。バス乗り場が分からなかったためライアンエアーのCAさんに声をかけた。同じバスだからと丁寧に乗り場を教えてくれ、目的地を伝えると到着した際にここで降りると良いと声をかけてくれた。バスの運転手さんもいい笑顔でおやすみを言ってくれた。暗い雰囲気の怖い夜で、おまけに疲れも溜まって不安になっていたから、人の優しさが心に沁みた。
ボローニャの夜は怖い。これまでいた街と比べると規模が小さく、スリなどの危険よりも肉体的な危険を感じる。また朝が来れば印象が変わるだろうか。
ホストのティム・エミリオは良い人そうだけど、無愛想で常にだるそう。言葉が伝わらないと怖い顔をする。食器棚の上に羊の置物があって、部屋も暗い。まるでこの街のように。他にゲストが2人いて、お兄さんは優しい人だった。おやすみを言ってくれたから、僕ももう1人のおじさんにおやすみを言ったら、素敵な笑顔で返してくれた。明日は良い日になるといい。
火曜日
8時起床。今日は世界で5番目に小さい国へ向かう。9時に出発。列車の出る1時間前だけど、できれば少し散歩したい。昨日の夜見えていた丘の上のお城は何なんだろうか。この街の中心部は面白い。トラムや路面電車ではなくて、2両編成のバスのために電線が引かれている。バスはパンタグラフを上げて運行している。
9時半ごろには駅に到着した。ホームがありすぎて迷ってしまいそうだけれど、恐らくここで合っている。この旅でとる行動は全てが初めてのことになるんだけど、イタリアの自動販売機で1€の水を購入してみた。
なんと、4番線のプラットフォームが2つあった。危ない危ない。正しくない方の4番線にいて、なんとなく近くのおばさんに確認したら判明した。ありがたいことに、正しい方の4番線まで連れてきてくれた。人間は優しい。知らないところに来る時は、現地の数字が分からないと。
さらにここから、列車の到着が3番線に変更となるアナウンスが流れた。恐ろしい。なんとか乗車し、ほっと一息。この列車で合っているよね。
11時、列車はリミニ付近へ。車窓から空を見る。視界に広がる景色にはまだ雪が残っている。外は寒いのか。そして定刻通り、11時13分にリミニに到着。これまでと違い、すんっと透き通るような匂いがする。駅前のコンビニのようなところでバスのチケットを購入する。往復で12€なんだけど、15€出して2€しかお釣りが返ってこなかった。チップだと思えばいい。隣のスーパーで1.5€のオレオを購入する。ヨーロッパの人はなぜこんなにも従列駐車が上手なのか。11時50分、無事にサンマリノ行きのバスに乗車することができた。
Alcide Cervi公園を通り抜け、コンベンションセンターと大きなスーパーマーケットの間をすり抜けると、国道に出る。72号線はリミニーサンマリノラインと呼ばれる。10分ほどすると、左手前方に山が見えてくる。まさかあの山が一つの国だなんて誰も思わないだろう。山頂には城郭があり、時間が経つにつれて山がだんだんと近づいてくる。西に見える雪山がものすごく綺麗だ。12時40分、花壇のあるロータリーを併設した観光バスの駐車場に到着した。サンマリノだ。
ルパン三世は1971年にアニメシリーズpart1が放送され、84年にpart3が放送された。それから30年、久しぶりのテレビシリーズが放送されることになった。part4の舞台はここ、サンマリノ。彼らが走り回った町が目の前に広がり、あの爽やかなブルーの国旗がはためいている。描かれているのは3つの砦。いちばん北のグアイタ城を見学する。すごい。こんな山の上までどうやって石を運んだのだろうか。周囲に見える山々にはまだ雪が積もり、ここも風が冷たい。町は坂まみれで、不注意に歩くと滑ってこけてしまいそうだ。
サンマリノにいた中国人の大学生に話しかけられた。彼も卒業旅行でここに来ているらしい。ロンドンの大学に通っていたという。国土の小ささに魅力を感じて旅をしていると言っていた。
ホテルチェザーレの1階には眺めのいいレストランがある。メニューを少しだけ翻訳をすると、いちばん上に書いてあるのはりんごのサラダであるらしいことがわかった。それと白ワインを頼んで、あとは窓から雪を眺めた。人も少なく、おそらくオフシーズンなのだと思う。サラダはとても美味しく、ソースの香りが高級感を漂わせていた。まだまだ世の中にはわからないことだらけだ。レストランでの振る舞い方とか、ワインの選び方とか。
楽器の音が聴こえてくる。バイオリンとピアノ。とても上手とは言えないけど、町の雰囲気と美味しい空気と、眼下に広がる景色がそれを美しく感じさせた。ここでは歩くのが自然とゆっくりになる。空にかかる飛行機雲は日本で見るそれよりもくっきりしていて、人間はどこまでも飛んでいけるんだと思わされた。帰りのバスを待つ時間は、1つ目の塔と2つ目の塔を結ぶ石の通路でゆったりと過ごした。とても気持ちが良くて、現実ではないみたいだと感じた。
何組かのカップルを見た。彼女が「ここからこの角度でこうやって撮って」と注文し、彼氏はそれに従って写真を撮っていた。太陽が沈むと、ティターノ山の東にある町はすっぽりと陰に入る。山の上から見ると、これもまた絶景だった。帰りのバスも中国人の彼と一緒になった。
サンマリノを散歩していると、寂しさを感じた。その正体はリミニに向かう帰りのバスの中でわかった。日本に帰りたいという、いわゆるホームシックというものも少しはあっただろう。しかしいちばんは「始まってしまったら終わってしまう」という寂しさだ。ついこの前まではワクワクしか無かったのに、ダミアンとアレクサンダーとはサヨナラをしたし、Bed and Bikeのお兄さんたち3人にも当分会えないだろう。バルセロナの街もサンマリノも、もう過去になってしまった。バスの車窓に流れていくこの綺麗な夕焼けも、いつか忘れてしまうんだろうか。夕陽に照らされるサンマリノの丘は、言葉にならないほど美しかった。
リミニまで戻ってきて電車を待つ間、近くのバーガーキングで彼と話をした。中国の南の街の出身で、大学の4年間をロンドンで過ごしたらしい。専攻はバイオテクノロジーで、とても頭が良さそう。いい出会いの1つだった。
陽もすっかり暮れて、あたりは真っ暗だ。出発の10分前にはボローニャ行きの列車に乗車できた。人はほとんど乗っていない。今回は車掌さんに行き先を確認したから間違いは無い。トレニイタリアでは行きも帰りもチケットの確認をされていないんだけど、無賃乗車の心配は無いのだろうか。
水曜日
今日が始まる。ボローニャは朝日が綺麗で、一昨日の夜の危険な匂いは全くしない。今日はローマに行って抗原検査を受ける。これが陰性にならない限り出国をできないため、少し緊張している。
エミリオに手紙を書いて部屋を出る。隣のブロックの角にあるForno Montelloというパン屋さんで砂糖がかかったクロワッサンを買った。ここも店員さんの笑顔が素敵。ボローニャ駅は思っていたよりも大きかった。地上だけでもでかいのに、地下5層、19番プラットホームまである。確か東京駅を西に向けて出発するのぞみが19番線から出ていた。18番線に停車している深い赤色の列車は高級感がある。近鉄ひのとりのような位置づけだろうか。トレニイタリアの車両はどれもかっこよくて綺麗だ。
9時11分、ボローニャ駅を出発。首都へと向かう列車は人でいっぱい。隣のおじさんは会社員らしい。レンフェやリミニ行きの路線と違って、トンネルが多い。山陽新幹線みたいだ。スピードは250キロくらい。11時15分にはローマのTermini駅に到着した。やはり国の中心駅、大きい。駅から徒歩5分程歩いた所にあるホステルに泊まる。荷物を預かってくれるか電話をしてみた。チェックインは15時からだからと言って預かってはくれなかった。Termini駅に戻り、キャリーケースを転がしながらAのメトロに乗る。目指すはSan Giovanni駅。
人の多さは治安の悪さに比例するのだろう。明らかにバルセロナの地下鉄よりも空気が濁っていて、怖い。基本的には奥に詰めるということをしないから、入口付近に人が溜まっていく。街の匂いも良くない。誰も他人のことを気にせずに歩くから、よくぶつかる。駅のチケット売り場には職員ではないおじさんがいて、聞いてもいないのにチケットの買い方を教えてくる。そして「教えてやったんだからお金をよこせ」と叫ぶ。
検査が終わった。12時45分。板垣さんはとっても早口だったけどいい人だったし、99%陰性みたい。数時間すれば結果がメールで送られてくる。Ottaviano駅までぐるっとローマを移動し、ジュリオ・チェザーレ通りとオトラント通りの交わる角でピザとカプチーノをいただく。Giselda Pratiのおじさんとおばさんは陽気なお2人で、日本語でこんにちはと言ってくれた。ジュリオ・チェザーレはユリウス・カエサルのイタリア語読みだ。ブルータス、お前もか。
バチカン美術館は世界で最も有名な美術館の一つで、そのため今日も観光客、特に団体客でいっぱいだ。大きな荷物は預かってもらうことができたが、入口付近のごたごたでガイドブックを取るのを忘れてしまった。勘で回ることにする。
洗練された空間。スロープを登ると開けた場所に出たので、真っすぐ進んで松ぼっくりの中庭を横切る。両側の壁、整った曲線を描く天井、それぞれの部屋へと続く扉、その全てに細かい彫刻が施され、写実的な像がずらりと整列する。まるで成田空港のチェックインカウンターのように。窓からはローマ市街が一望にでき、またある窓からはサン・ピエトロ大聖堂の先端が見える。システィーナ礼拝堂はそれまでのどの部屋よりも空気が澄んでいて、沢山の人が詰まっているのに美しい香りがした。『最後の審判』はミケランジェロの手を離れて480年経った今でも観る人を魅了する。思う存分歩き回ったら、美術館の脇にある庭に座って落ち着きを取り戻す。向かいに座った屈強なお兄さんはリンゴを丸かじりし、もっと奥のベンチではカップルが昼寝をしている。
大きく広くて美しく、強くて怖い。バチカンは紛れもなく世界の中心だったのだ。ただ展示品と建築物を思い出してみると、どれも同じに思えた。ここは綺麗だが、惹きつけられるような魅力を感じない。所蔵品や壁画には立派な歴史があるのだけど、それは権力を表すためのもので、庶民の歴史は感じられない。この豪華さは日本には無いもので、少し下品にすら感じた。
サン・ピエトロ大聖堂に移動して、座ってボーッとした。こういう時間を取ると、改めて自分は今異国にいるんだと実感する。気が済んだら、徒歩と地下鉄でホステルに戻る。18時に到着。おばちゃんは明るい人だった。今日は疲れたからぐっすり眠れそうだ。
Barberiniという地下深い駅で降りて、トリトーネ通りを下りながら散歩してみる。ローマにはスターバックスがないらしい。ご当地マグカップをお土産にしようと思っていたのに。1本中の小路に入って、そこで見つけたスーパーで夜ご飯を調達する。生ハムとワインとジントニックを買った。再び地下鉄に乗って今度はコロッセオへ足をのばす。夜ご飯を食べるようなスペースでもあれば最高なのだが。
ゆったりとご飯を食べられるような所は無かったので、帰ることにした。ライトアップされた幻想的なコロッセオを見れたので良しとする。ルームメイトはトルコの人で名前は忘れた。彼もHiroshimaを知っていた。さっき買ったパンはチョコ味かと思っていたけど違って、美味しくはなかった。生ハムは最高で、ワインはただのワイン。旅の感想を動画に残していると酔いも回って気持ちがよくなってきたので、再び外に出て生ハムを追加で調達した。
月が見えた。奈良時代に、阿倍仲麻呂が詠んだ歌を思い出した。
木曜日
7時起床。ルームメイトの他の2人がとても人間とは思えないいびきをかいている。9時にチェックアウトをして出発。今日のローマは天気が悪くて寒い。そして到着した時と同じように、ヘンな匂いがする。お昼にはバスで空港に向けて出発しなければならないから、今日は午前中に少し散歩をするだけになる。
ローマの地下鉄は満員だけど、東京ほどではない。救急車や警察車両が頻繁に道を走っている。道を開けるという意識もあまり見られない。
カプチーノとカフェラテの違いを考えながら、歩いてもう一度サンピエトロ大聖堂へ向かった。途中で無印良品にも寄ってみた。品揃えは日本と変わらない印象。バチカン市国を出てすぐの場所にあるサンタンジェロ城へ歩みを進める。お城の前ではおばさんがバイオリンを弾いていた。信号がない所で車を止めて横断できるようになってしまった。
昨日と同じスーパーでお昼ご飯を買う。生ハムとヨーグルトとパンだ。マクドナルドが多くて、歩いている人はバルセロナよりもおしゃれだと感じた。通りによるかもしれない。疲れも溜まっているし不安もあったので、予定より1時間前のバスに乗せてもらった。
食べ物に群がるハトたちはアメフトをしているみたいだと思った。誰かが何かを落とした瞬間に、皆がそれに突進する。
空港に着くと、もう搭乗手続きは始まっていて、並んでいる乗客もいないようだった。もう1時間遅かったらと思うと、冷や汗が出た。空港はローマ中心部からバスで小一時間のところにあり、ティレニア海に面して広がる。名をフィウミチーノ国際空港といった。世間一般ではレオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港として知られている。
エミレーツ航空98便の離陸は定刻通り行われ、私はヨーロッパを離れた。
金曜日
深夜12時前、ドバイに到着。この空港は24時間休まず元気だ。空港で過ごしていると、つい必要のないものまで買ってしまいそうになる。
関空へ向かう便はC21ゲートからの搭乗になるようだ。周りのベンチに座るのは日本人がほとんどで、突然旅の終わりを告げられたような気持ちになった。日本語しか聞こえず、なんだか寂しい。この空港は夜も綺麗で、それだけが唯一、自分がドバイにいることを感じさせてくれた。
上空1万メートルで見る朝焼けは言葉にならないほどに美しくて、この旅の終わりにふさわしいものだった。惜しくも窓は閉じられ、夜明けの空の移り変わりを見届けることはできなかったが、あの一瞬だけで十分である。パイロットという職業はあんなものを毎日見ることができるのか。
目が覚めると、なんだか醤油の香りを感じた。窓の外を見ると、見慣れた地形が広がっている。そろそろ関空に降りる。少し先に、淡路島にかかる大鳴門橋が見えた。
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