フェミニストの7つの特徴 ~SNS時代のクレーマー~
はじめに
このnoteは、昨今、様々な表現を炎上させているフェミニストの特徴を把握するため、SNS上で見られるフェミニストの言動やフェミニストに対する意見を整理し、特徴的な要素をまとめたものである。
フェミニストによる炎上問題と向き合わざるを得なくなったとき、このnoteが問題を理解する上での一助となれば幸いである。
※テキストに下線が引かれている箇所は、関連する記事へのリンクを貼っているので、気になる内容があれば適宜閲覧してほしい。
フェミニスト
昨今、表現を炎上させているのは、主にツイフェミと呼ばれる、Twitter上での過激な言動が目立つフェミニストである。表現に対して、主観的で根拠のない「女性差別」や「多様性への配慮」を主張して、表現を規制しようとする者達であり、表現の自由を脅かす存在である。
フェミニストと言えば、既にこのツイフェミのイメージが定着しており、フェミニストという言葉から「男女平等を目指すフェミニスト」の姿がイメージされることは少ない。
もはや、フェミニストとしてイメージされる傾向にあるのは「根拠のない主張で表現に難癖をつけるクレーマー」であり、その表れか、フェミニストに対して悪いイメージを持つ人も少なくない。とりわけ、クレーマーと化す前のフェミニストの姿を知らない若い世代ほどその傾向が強い。
フェミニストに対するマイナスイメージが広まっていることを踏まえ、本noteでは「表現やその関係者に対して、主観的な理由で圧力をかける者」を便宜上フェミニストと定義して話を進めるものとする。
フェミニストの特徴
表現を炎上させるフェミニストの根幹にある価値観は、「女性の生きづらさは男性による女性差別が原因」という価値観と、「女性が性的な魅力をもって表現されることは女性差別」という価値観である。
フェミニストの特徴を端的に言えば、これらの偏った価値観を社会に押し付けようとするSNS時代のクレーマーである。フェミニストは自分たちの価値観に合わないものに対して極めて不寛容で、多様性を受け入れることができない。
フェミニストの世界は「被害者=女性」「加害者=男性」という善悪二元論で構成されており、物事を「女性差別」というフィルターを通してしか見ることができず、フェミニストには日常のなんでもないものが「女性差別」に見えてしまう。
以下、SNSで見られるフェミニストの代表的な特徴を7つに分けて示していく。
・男性嫌悪
フェミニストは「女性の生きづらさは男性による女性差別が原因」という価値観を持っており、男性を性差別主義者と決めつけて憎悪の対象にしている。
男性を嫌悪するあまり、男女の関係性を「女性差別」というフィルターを通してしか見れず、表現に少しでも「男性の受動的な態度」「女性の献身的な態度」が見られれば、「女性が男性のために都合よく利用されている」と受け取り、SNSで表現への怒りを爆発させる。
例えば、フェミニストにとって「女性が男性に食事を提供する」という構図は「ステレオタイプな性役割」を助長する許されない差別であり、公共の場で許されない表現である。
本来、多様性のある状態とは、男性・女性のどちらが料理をする表現も問題なく溢れている状態であるが、フェミニストは男性を嫌悪するあまり、「男性が受動的で女性が献身的に映る表現」の存在を一方的に認めない。男性に対する寛容性がなく、男女の多様なあり方を受け入れることができない。
そして、男性に対して攻撃的な言動をSNSで繰り返すうちに、男性に対して「キモい」「クソオス」など、差別的な発言をすることに躊躇いがなくなり、また、自分たちに共感しない女性に対しても「名誉男性」と差別的な呼び方をするなど、「男性」ばかりでなく「男性の味方をしている(とフェミニストが思った)女性」に対しても強い憎悪を抱き、SNSで攻撃的な発言を繰り返している。
・性嫌悪(BLなど男性の性表現は除く)
フェミニストは「女性が性的な魅力をもって表現されることは女性差別」という価値観を持っており、「女性の性的な魅力は悪である」として過剰に嫌悪している。
フェミニストは男性のことを「女性を性的な魅力でのみ評価する差別主義者」だと決めつけており、その原因は社会に溢れる「性的な(とフェミニストが思った)女性の表現」が差別を助長しているからだと、「性的=差別」と根拠なく考えている。
そのためフェミニストは、男性だけでなく、「男性が性的魅力を感じる可能性がある(とフェミニストが思った)女性の表現」への強い嫌悪も抱いている。
本来、性的な魅力も人の魅力の一つであり、それを表現することや、男性・女性も含めて、女性の表現に性的な魅力を感じることは自然なことである。しかし、それはフェミニストの価値観では「女性の尊厳を無視する許されない差別」であり、女性の性的魅力の存在は許されない。
また、フェミニストは「女性の性的な要素」を嫌悪するあまり、むしろ「女性の性的な要素」に人一倍敏感で、かえって女性を「性的で差別的」なものとしか捉えられなくなっており、差別とされる「性的」の基準が常軌を逸脱している。
例えば、フェミニストにとって胸の大きな女性が広告のモデルを努めることは許されない差別であり、広告に対する怒りをSNSで爆発させる。その結果、身体的特徴を理由に女性の仕事が奪われたとしても、それは女性差別にはならず、むしろ差別の是正になると考えている。
・他罰性・他責性が強い
フェミニストは他罰性・他責性が強く、「女性の生きづらさ」を男性や社会のせいにして自分の責任を回避しようとする。自分が傷ついた原因を男性や社会のせいにして、自分の感情に責任を持つことなく、「男性や社会自体が変わるべき」と他所に配慮を要求する。
例えば、自分の細身でない体型が原因で楽しめないファッション雑誌に対して、「『どんな体型でも美しい』という価値観を発信するべき」だと、自分のコンプレックスによる「生きづらさ」を根拠に「多様性への配慮」を要求する(本来、望ましい多様性は、既存のコンテンツに「多様性への配慮」を押し付けるのではなく、新しいコンテンツを創造することで多様性を実現するべきある)。
このような行為は、自分が傷ついたことを理由に他者にその責任を負わせる他責他罰の行為である。個人の感情に対する配慮を社会に強制するのは、自己肯定感の醸成を社会の責任にしようとする自立からかけ離れた行為である。
・被害者意識が強い
フェミニストの他罰性・他責性の強さは、被害者意識の強さと表裏一体である。「女性の生きづらさ」を男性や社会のせいにするほど、「自分は男性や社会からの差別に苦しむ被害者」であるとの認識が強化されていく。
そして、「被害者」は「加害者」に対して道徳的な優位性があると認識しており、「被害者」の「加害者」に対する攻撃的な行為は無条件に許されるとの考えや、「加害者」は「被害者」の「生きづらさ」を解消する責任があるとの考えが、他罰性・他責性の強さにつながっている。
例えば、フェミニストがある表現に不快を感じるとき、「不快にさせられた女性」=「被害者」、「女性を不快にさせた表現」=「加害者」という認識となり、差別の「被害者」を主張して、表現やその関係者に対して嫌がらせや営業妨害ともとれる攻撃的な行動をとる。
また、フェミニストは「女性=被害者」「男性=加害者」の立場に強く執着しており、男性が「被害者」になったり、女性が「加害者」になることに強い憤りを感じる。
例えば、男性向けDVシェルターの不足といった、女性が「加害者」となり、男性が「被害者」となる事例への問題提起に対して、攻撃的な言動をとったり、さらには、「女の敵は女」といった差別要素のない一般的な人生訓にさえ、異常な攻撃性を示し、企業の商品を発売中止に追い込むなど、「女性の被害者性」を脅かすものに対する強い攻撃性を持っている。
・自他境界が曖昧
フェミニストは「自分の考えと他者の考えは異なる」という認識が希薄である。「自分の考えはみんなにとっても正しい」との思いが強く、自分の中の価値観や規範を他者に強制したり、また、逆に自分の考えと他者の考えを区別できず、他者の考えを「強制されている」と被害的に受け取ってしまう。
例えば、フェミニストは男性への嫌悪と被害者意識が強いため、「性的な(とフェミニストが思った)女性の表現」を見ると、「男性の視線」を勝手に想像し、「性的魅力のある女性が最も価値がある女性」だという女性差別的な考えを強制されていると受け取ってしまう(実際はフェミニストの価値観に特有の「男性嫌悪」と「性嫌悪」がその表現を「性的」で「女性差別」なものにしているに過ぎない)。
そして、自分と社会との境界線が曖昧なフェミニストは、「自分にとって差別を連想させる」=「女性みんなにとって差別」と主語を大きくし、個人的な好悪の問題を女性全体の差別問題にすり替えて、社会に配慮を強制しようとする。
また、フェミニストは自分の考えを無条件に正しいと考えるため、主張の根拠を個人の感想や感情に置き、科学的な根拠を軽視する。そして、自分と同じ考えに至らない人がいるのは相手が不勉強だからであり、自分と同じものを見れば相手も自分と同じ考えに至ると考え、自らの主張の正しさを疑うことはない。
・エコーチェンバー現象による過激化
エコーチェンバー現象とは、「SNSで価値観の似た者同士で交流・共感し合うことにより、特定の意見や思想が増幅・強化されていく現象」を指し、SNSで攻撃的な意見が広まる一因とみられているものである。
SNS上で活動するフェミニストは、まさにエコーチェンバー現象の産物であり、自分たちの価値観が正しいと思い込み、自分たちの価値観に合わないものに対しては極めて不寛容で、多様性を受け入れることができないフェミニストがSNSで生み出されている。
フェミニストはSNSで自分たちの不満を男性や女性差別のせいにして怒りを共感し合ううちに、「男性嫌悪」や「性嫌悪」の考えがより強化され、言動がより過激で攻撃的になる。フェミニストが「女性差別」として攻撃対象にする表現はより広範化しており、フェミニストによる表現の炎上問題は後を絶たない。
行動が過激化するほど周囲からの批判も強くなるが、フェミニストは自分たちの価値観と異なる意見はブロックし、自分に賛同する意見のみを拡散し続けるため、その過激化が止まることはない。
・キャンセル・カルチャーによる攻撃
キャンセル・カルチャーとは、「物事の一側面だけを取り上げて非難し、SNSで炎上を起こして対象を社会から排除する行為」を指す。とりわけ、過激化した集団が一方的な正義や価値観を振りかざして炎上を起こすことが多く、海外でも問題視されている手法である。
フェミニストが対象への攻撃に使う手法がこのキャンセル・カルチャーであり、フェミニストは自分の気に入らないものに難癖をつけ、炎上により対象を社会から排除しようとするSNS時代ならではのクレーマーである。
SNSが普及していない時代であれば、過激な考えを持つ個人が現実で共感を得ることは少なく、社会に相手にされることはなかった。しかし、SNSの普及により、過激な考えを持つ個人同士が結びつき、一部の過激化した集団でも、簡単に炎上を起こして個人や組織を攻撃できるようになった。
そして、フェミニストは現実では味わえなかった他者からの共感や、炎上の成功体験の中毒となり、より強い共感や成功体験を求めて、より過激になり、常に次の炎上対象を探し続けている。
おわりに
以上、フェミニストの特徴についてまとめてきた。昨今、様々な表現を炎上させているフェミニストだが、調べれば調べるほど、その主張の荒唐無稽さと異なる意見への攻撃性の高さが目立つ。総じて、フェミニストは「多様性」に対する寛容性が低く、それが社会から嫌われる要因の一つである。
多様性のある状態とは、様々な価値観が許容される世界であり、その中には自分にとって不快な価値観が含まれることも許容する必要がある。しかし、フェミニストは「多様性」と「正しさ」をはき違えており、フェミニストが「正しい」とする価値観のみを「多様性」として押し付けようとする。
特定の価値観のみを「正しい」ものとして社会に強制することは全体主義的な発想であり、フェミニストの行いは社会を統制しようとする過激な行為と言わざるを得ない。
未だ、このようなクレーマーに屈する企業の多いことは残念であるが、最近はフェミニストのクレームに対して明確な謝罪を避けるなど、企業の対応に変化の兆しが見えるのは希望が感じられるところである。
フェミニストの主張はまともに取り合うべきではないとの認識が社会に広まり、多様性が守られる社会の実現に向けて気運が高まることを切に願う。