金木犀と、暮らしの根っこ
季節の歩みと気温の歯車が噛み合わないせいか、近頃は日が暮れ始めると、私の体内時計は一時間早まって進み出す。日暮に「あ、18時だ。」と思って時間を確認すると、大抵はまだ17時過ぎ。そこからの小一時間は、世界が空に浮いたような不思議な感覚になる。
街ゆく人たちの輪郭がぼやける薄暗がりの中、狭い住宅地を歩いていると、ふと、甘くコクのある香りが鼻を通り過ぎる。
香りの先を目で辿ると、椿の葉よりも一回り小さい垣根に、橙色の愛らしい丸がたくさんついている。
この季節になると、多くの場所でその名前を目にする花、金木犀だ。
今年は、街のあちらこちらでその香りがする。
朝の散歩をしている時にその香りに気がつくと、心地の良い、その日がいい一日になる予感を連れてきてくれる。
しかし、太陽が傾き始めて、街が暗くなるまでの時間にその香りを嗅ぐと、どうしてだか、強すぎる意志を向けられているような気持ちになる。日本の植物にはない、主張の強さ。表情に出すことはない。しかし、決して相手に主導権を握らせることのない頑固さ。金木犀の意思ではないにしろ、人の暮らしに音も立てず根を張り巡らして生きていくしたたかさ。
人が好むその香りを、多くの虫たちは好まない。
中国から持ち込まれたこの植物は、モクセイ科に分類され、金木犀は日本で観賞用に育てられた変種にあたる。日本に来たのは雄株のみであったため、ひとりでは実を結ぶことができず、人の手を借りてその分布を広げてきた。今、日本に生息している彼らは、自ら動物を呼んで種を存続させる術を持たない。最初から人と暮らすことを選ばざるを得なかった。
梨木香歩さんのエッセイに載っていた、クリスマスローズの話を思い出す。
彼女は植物に造詣が深く、自宅の庭でも多くの植物を栽培している。家移りするたびに庭の土を一から興し、場所によって条件を変えながら、日本中の植物を栽培するほどの愛好家だ。
その中に、苗木を買ってからしばらく経って、やっとの思いで花を咲かせたクリスマスローズがあった。
梨木さんは、そのクリスマスローズを引っ越しのたびに新しい住処に連れていった。少しずつ大地に根を張り、たおやかな花を咲かせるクリスマスローズ。しかし、その根を全て連れていくわけにはいかない。梨木さんは、(自分のせいとはいえ)泣く泣く半分ほどまで根を切り詰める。頭を垂れるクリスマスローズ。
しかし、新居の土に植えてしばらくすると、クリスマスローズは再び根を張り、俯きがちに花を咲かせるという。
置かれた環境で生きていくという意志の強さ。
植物を見ていると、人の人生における「選択」の価値以上に、暮らしの維持に必要な粘り強さを持てと、叱咤激励される気がする。
かく言う私も、今日は引っ越し前日。
二十五年間生きてきた家を離れて、新たな場所での暮らしの根を伸ばし始める。
次の家では、粘り強く生きていく友として植物を育ててみようと、心踊らせている。