就活はダメだったけど、社会人10年目の現在、出版社で働いています
就職活動中の大学生の自分に、「10年後、出版社で働いているよ」と伝えたら、どんな顔をするだろう。
私は、昨年の夏から出版社で営業事務の仕事をしている。最初に断っておくと、非正規雇用なので正社員ではない。でも、雇用形態はどうであれ「出版社で働いている」のは事実だ。
出社すると、まず壁一面に貼られた映像化作品のポスターたちが出迎えてくれる。所狭しと並べられた華やかなポスターたちが、寝ぼけ眼の瞳に飛び込んでくるのだ。それらを見ると、「私……出版社で働いているんだ!!」という新鮮な気持ちが蘇ってくる。入社して一年が過ぎたというのに。
そう。この状況に一番驚いているのは、何より私自身なのであった。
___
本が好きな人であれば、一度は「出版社で働いてみたい!」と思ったことがあるのではないだろうか。もちろん、私もその一人であった。長い間、「出版社」というものに漠然とした憧れを抱いていた。
子どもの頃から、自分で物語を作ることが好きだった。頭の中で考えた物語を、地元のヨーカドーで買ったノートに書き連ね、将来は作家を夢見るようになった。ヨーカドーの中にある書店で児童文庫の棚を眺めながら、いつかこの棚に自分の本が並べられるのだと信じて疑わなかった。
お小遣いをもらえるようになると、そのほとんどをマンガに費やした。『ONE PIECE』は、定期考査を頑張ったご褒美として、少しずつ、大切に買い集めた。人間関係がうまくいかなかった中学生時代、私には心から「友達」と呼べる人がいなかった。何度も死んでしまいたいと思ったけれど、実際に行動に移さなかったのは、「いつか私も、麦わらの一味のような仲間と出会えるかもしれない」という希望を捨てなかったからだ。この頃、『ONE PIECE』のような、読者の救いになる物語を作りたいと思っていた。
物語を作り、物語に救われてきた私にとって、「出版社」に興味を持つのは必然だった。小説やマンガなどの「物語が生まれる場所」を見てみたい、という気持ちがあった。
けれど、「出版社で働いてみたい」という夢は、あっけなく潰える。
大学生の就職活動のとき、私は一社も出版社にエントリーしなかった。「しなかった」というか、「できなかった」と言ったほうが正しいかもしれない。2013年12月1日。就職活動が解禁されるその日まで、私はまったくと言っていいほど就活の準備をしていなかった。履歴書やエントリーシートの書き方、面接のお作法もわからないまま、就職活動が始まった。「業界研究」なんてこともしたことがなかった。でも、みんなそうだろう、そんなもんだろうと思っていた。
何も準備していなかったけれど、出版社にエントリーする気は満々だった。準備しなくてもエントリーできると思っていた。某出版社の新卒採用ページから、エントリーシートをダウンロードし、印刷する。四角いマス目が並んでいるものは作文で、1問しか書かれていない余白の大きいA4用紙は自己PRシートだった。「A4用紙1枚で自分を表現しなさい」というものだ。一目見て時間がかかりそうだと判断し、後回しにした。だって、明日も明後日も授業があって、面接の予定もある。友達と遊ぶ予定だってあるのだから。後回しにし続けた結果、数時間後に締切が迫ったド深夜に、エントリーシートを書かねばならなくなった。
作文も自己PRシートも、全く書けなかった。幼い頃から小説を書いてきて、大学でも文芸創作の勉強をしていて、書くことなら他の人よりできるんじゃないかと思っていたのに、書けなかった。令和の就活にそのルールが生きているかどうか知らないが、平成の就活は手書きが推奨され、修正テープを使ってはいけなかった。「いけない」ということはないけれど、「印象が悪い」と言われていたのだった。私は何度も字を間違え、振り出しに戻った。何を書くか決めていなかったのも悪い。振り出しに戻るだびに、脳内は一層焦り、文章が構築できなくなっていった。乾いた暖房の風、蛍光灯の明かり、パソコンの熱、何度も同じ紙を刷らされるプリンター。「ああ!」と、叫びにも近い声が私から漏れた。締切に間に合わないことを悟ったのだ。そして、エントリーを諦めた。
お気づきの通り、私は就職活動そのものをナメていた。出版社を志望している子たちは、大学で開講されていた「マスコミ講座」に通い、OB訪問をして、国会図書館から社史まで借りて読み込んでいた。スケジュールも、大手出版社から小さな出版社に至るまで、出版社を網羅するように組み立てられていた。就活にかける情熱が、私とはまるで違った。就活で人生が決まる、いや、決めるという覚悟を持った人だけが、出版社から内定を得ることができるのだ。「出版社で働いてみたい!」「本を生み出す場所を見てみたい!」という私の気持ちは、「職業体験をしてみたい♡」「工場見学に行ってみたい♡」というような気持ちと同等で、他の人たちに比べたら全然本気じゃなかった。そんな人間に、出版社で働く資格が与えられるはずがなかった。
今後一生、出版業界でキャリアを積むことがないという事実には胸を痛めたけれど、思いの外、早く気持ちを持ち直した。出版社で働いてみたかったのは本当だ。でも、編集の仕事がしたいのかと問われると、首を傾げた。やっぱり私は、自分で書く人になりたかった。自分で物語を作る人になりたかった。
それからは、書く仕事のできる会社を探して就職活動を行った。サークルで高校生向けの大学情報誌を制作していた経験をアピールし、教育系の広告代理店に内定をもらった。「出版社で働いてみたい」という思いは、「出版社で働いてみたかった」という過去のものとなった。
___
「\本好きさん大歓迎☆/出版社で事務アシスタント♪」
出版社の求人を見つけたのは、正社員を辞め、派遣で仕事を探していたときだった。記号を使って華やかに装飾されたキャッチコピーが目に留まり、スマホ画面をスクロールする指が止まった。「派遣に出版社の求人があるのか」と驚いた。広告代理店勤務を経て、デザイン事務所に転職し、約3年が経った頃だった。
結局、広告代理店では、制作の仕事に携わらせてもらえなかった。事務職として、電話対応やメールの書き方、仕事の進め方など、社会人としての基本を学んだあと、デザイン事務所に転職した。
デザイン事務所では、ライター兼ディレクターとして、専門学校の入学広報にがっつり関わらせてもらった。取材にも行ったし、撮影にも立ち会った。自分でキャッチコピーを作り、原稿を書いて、誌面をディレクションした。私が求めていた、理想的な仕事だった。自分の書いた文章がパンフレットに載り、ときには駅前の看板広告にもなった。私の携わった制作物が進路選択の一助となることに、この上ない喜びを覚えた。私の人生の中で、最も充実していた一時であった。でも、その一方で、「もっと自分のことが書きたい」という思いも高まっていた。
noteを始めたのは、社会人1年目の冬だった。広告代理店で制作の仕事にありつけなかった私は、せめて自己表現をする場所がほしいと、noteに登録した。仕事は事務なのに激務で、休日出勤が当たり前だった。クリエイティブなことがしたいという欲求を少しでもどこかにぶつけないと、私の心はズタズタになってしまいそうだった。本格的にnoteを書き始めたのはデザイン事務所に転職してからだったけれど、自由に書く場所を得た私は、これまで抑え続けてきた表現への欲求を爆発させるかのように書いた。
noteで、自分の体験を経て感じたこと、つまり、自分の内側から生み出される感情を書くことは、ライターとして文章を書くこととは全く違った。ライターは、自分以外の「何か」――人物であったり、企業であったり、イベントなどの出来事であったり――を書く仕事だ。ライターとして文章を書くとき、私は極力自分の存在を消すようにしている。ここは、私のことを書く場所じゃない。私はそう思わなくても、取材相手がそう思うのなら、当然そのように書いた。それが求められていることだし、それで相手が喜び、先方の利益になるのであれば、それは正しいと思っていた。
でも、私は、ずっとずっと、「自分」のことや「物語」を書きたかった。私がどう思っているかとか、何を考えているかとか。自分で思いついた空想の世界や、空想の出来事を書きたかった。よく考えれば、小学生の頃からずっとそうだった。私は、やっぱり私は、自分で書きたい。自分で物語を作る人になりたい。自分の書きたいことを書く人を、「作家」というらしい。私は、ずっと「作家」になりたかった。
ライターの仕事は、もちろんやりがいもあるし、その仕事でしか感じられない喜びや楽しさもある。それは全く嘘じゃない。でも、これからは、これからの人生は、自分の書きたいことを書くことに全振りしたい。私は、デザイン事務所を退職し、少しでも書く時間が取れるようにと、雇用形態を派遣に変える決意をしたのだった。
前回の派遣先と契約終了になるタイミングで、私は派遣会社の担当に「出版社で働いてみたいんですけど……」と、勇気を出して伝えた。
派遣会社に登録してから、何度か出版社の求人に応募してみたけれど、なかなかご縁がつながらなかった。短い間に、メーカー、ITベンチャー、教育機関と様々な会社を転々とした。どの会社も、業界の裏側を覗き見できてすごく面白かった。一つの会社、一つの業界に特化して専門性を高めていくことも素晴らしいけれど、いろんな業界をつまみ食いできるような今の働き方は、作家を目指す私にとって、見聞を広げるためにうってつけだった。
けれど、今回は「出版社で働きたい」という明確な希望を持っていた。やっぱり、この目で出版業界を見てみたい。インターネットから知り得る情報じゃなくて、お客さんとして書店から感じられる情報じゃなくて、もっと内側のことが知りたい。編集者がどんな作品を求めているのか。本を売るためにどんな工夫をしているのか。どのようにして書店に本が入るのか。知りたいことが山ほどあった。就職活動をしていたときよりも、はるかに現実味のある志があった。
派遣会社の担当は、「急ぎで募集している部署があるんです!」と、出版社の営業事務の仕事を紹介してくれた。相当急いでいるようで、面接の日程もすぐに決まった。
暑い夏の日の夕方、面接があった。ビルの高層階から見える夕陽は眩しく、穏やかに街並みを照らしていた。面接は終始和やかに進み、最後に営業部を案内してもらった。営業部は面接を行ったビルとは別の場所にあり、レトロで趣のある建物の中にあった。通路の壁は、話題作のポスターで一面を埋め尽くされていた。あの作品も、この作品も、知っている作品ばかりだった。今でこそ当たり前のように歩いている通路であるが、初めてここを通ったときの体温が上がるほどのトキメキは、今も忘れられない。
その日のうちに内定が出て、翌月から憧れの出版社で働くこととなった。大学生のときに思い描いていた形とは違うけれど、「出版社で働いてみたい!」という漠然とした夢が、一度は諦めた夢が、思いもよらない方法で叶った。夢の叶え方は一つではないのだと知った。
___
出版社で働いてみて、私が一番驚いたのは、「穏やかな人が多い」ことだった。出版社という場所には、ギラギラしている人が集まっていると思っていた。
出版社が舞台となっている作品は多い。私は、それらの作品を見て、出版社(とりわけ編集部)の仕事は、とにかく大変なんだという印象を受けていた。入稿との戦い。売上との戦い。ときには、人間同士の戦い。大変ではない仕事なんてあるわけがないのだけど、出版社の仕事は「修羅」という印象を持っていた。常に何かしらのバトルが繰り広げられているのだと思っていた。
けれど、実際にはそんなことなかった。私は、この会社に来てから声を荒げている人を見たことがない。むしろ、あまりにも穏やかすぎて、事務をしている私のほうが「え?! ○○って言ってたじゃないですか! もう、なんでこんなことに?! いや、まあやりますけど!!」と、声を荒げている(ことがある)。社風かもしれないけれど、ギラギラしている人がいないのは本当に驚いた。
よくよく考えてみれば当然のことなのだけれど、出版社には、総務部もあるし、法務部もあるし、経理部もある。出版社の花形といえばやはり「編集部」なので、バックオフィス系の部署があることに新鮮な驚きを感じた。それに、私のように派遣で働いている人も多い。契約社員として働いている人も、関連会社から出向してきている人もいる。本作りには、表面上ではわからない、多くの人が携わっているのだと知った。それぞれがそれぞれの仕事を全うし、ようやく読者の手元に届くのだ。
何より勉強になっているのは、営業の仕事だ。私には何も権限がないし、相応の知識もないので、ただお手伝いをしているにすぎない。でも、どのように部数が決定し、どのように販促していくか、その結果どれくらい売れているのか、という流れを間近で見ることができる。部数の動きを見るのは面白いし、重版がかかる瞬間に立ち会えるのも興奮する。
一方で、出版不況も感じている。注文処理の仕事もしているので、つい「売れてるじゃん!」と思ってしまうのだが、営業からすると「全然」らしい。初版部数が多すぎるわけではない。私からみても、「初版ってこんなに少ないのか……」と思うことがある。全国の書店には到底行き届かない。それほど少ないのに、売れていないのだ。目を引くような拡材を作ったり、特典をつけたり、手を変え品を変え、様々な宣伝方法を試していることも知っている。それでも、買ってもらえていないのだ。書店の閉店情報も相次いで届く。ニュースで耳にしていた出版不況を、今、目の前で見ている。
本を出したいという私の夢が、どれほど厳しいものなのかと思う。運よく本を出せたとして、その先は? 私が書いた本は売れるのか? 重版できるのか。2冊目は出せるのか。出版社を、そこで働く大勢の人々を、出版業界を潤すことができるのか。まだスタートラインにすら立てていないのに、現実が重たくのしかかってくる。
ずっと本を出版するのが夢だったけれど、今、その夢は少し変わった。「重版する本を書きたい」「出版業界を潤すような書き手になりたい」。夢を叶えた、その先のことを少しだけイメージできるようになった。そのために、私はもっと書く力を身につけたい。本を売る実力を身につけたい。焦ることなく、今できることを地道に積み上げていきたいと思う。
なんだか暗い話になってしまったけれど、本に囲まれて仕事ができるのは、出版社ならではの喜びだと思う。勤務先の中にある書店では、社割で少しだけ安く本を購入できる。この一年で何度もお世話になった。会社には至る所に本があふれていて、昼休みや仕事の空き時間によく本を読むようになった。子どもの頃に読んだ本と再会できる喜びもある。物語の世界にどっぷりハマっていたあの頃を、懐かしく思い出した。
それから、著者さんに会えることもうれしい。サイン本の作成に立ち会ったり、会社で行われた授賞式に参加させてもらったりして、著者さんとお話しすることができた。書き手として、大切にしたいヒントをたくさんいただいた。会社のラウンジで、打ち合わせ中の著者さんをお見かけすることもある。「ファンです!」と声をかけたりはしないけれど、著者さんが立ち去ったあと、こっそりその方が座っていた席に移動し、「パワーください!」とテーブルに手をかざしたことがある。きっと、いいパワーをもらえていると思う。
「出版社で働く」ことは、「作家になりたい」という夢を抱く私に、様々な景色を見せてくれている。
___
夢は、忘れた頃に思いがけない方法で叶うこともあるらしい。
「そういえば、出版社で働いてみたかったんだよな」と、思い出したのは、出版社で働き始めて数週間が経ってからのことだった。そのとき、記憶の彼方に追いやっていた、就職活動時の苦い経験も思いだした。
大学生の私が今の私を見たら、びっくり仰天すると思う。地味なリクルートスーツに身を包んだ私が、「そんな夢の叶え方があるの?!」と声を上げている姿が目に浮かぶ。「そうなの。夢って、思いがけない方法で叶うのよ」と、私は温かい紅茶でも飲みながら答えるだろう。
だって、本当に思いがけない方法だった。派遣で働こうと思って求人を探していなかったら、この仕事と出会えていなかった。それに、今の私は「作家」になりたいと思っている。「出版社で働く編集者」になりたいわけじゃない。派遣社員として出版業界を覗かせてもらうことは、私の目指す方向に合っていると思う。今の私は、大学生の私より、道を選ぶ柔軟さを持てるようになった。夢を叶えるルートは、一つじゃない。方法はいくらでもある。
だとしたら、作家への道も、いくらでもルートがあるのではないだろうか。賞を取ってデビューするのが一般的だろうけれど、それ以外の方法で道を切り開いている人はたくさんいる。たとえば、加藤シゲアキ氏は、アイドルから作家への道を切り開いた。カツセマサヒコ氏は、ライター・編集者から作家デビュー。岸田奈美氏は、noteがバズりにバズリまくり、作家への道を駆け上っていった。その人の数だけ、その人に合った道があるのだ。
それなら、私に合う道も、どこかにあるのだろうか。メジャーな方法ではなくても、思いもよらない方法で道が通ずることを、私は知ってしまった。まだスタートを切っていないことを、嘆く必要はない。今までの経験を全部装備に替えて、私だけの道を掘っていく。自分に合う道を探すことも、きっと楽しい。それが、どれほどの回り道になったとしても。