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なりたかった自分とは
なんだかんだで、あの日からはもう、8年が過ぎた。
日本の就労ビザを持って、再び日本で暮らし始めた日。
最初にワーキングホリデーで来てからも11年が過ぎた。
長いようで、短いようで。
ありがたいことに、私は今も無事に日本に暮らしている。
最初に来日した私は、こんな長く日本に居るつもりがなかったし、居られるとも思っていなかった。ただただその時の気持ちや直感にまかせて、思うのまま生きて来た。
正直、今まではあまり具体的に描いていなかった。
こうなりたいとか、こういう生活を送りたいとか。
今の私だからこそ、分かってきたことがある。もっと具体的に理想な自分を想像しておかないと、なんとなく、ぼや〜とした人生を送ることになるんだろうなって。
今の生活は十分満足しているし、感謝もしている。
けど、自分の中では、「なりたかった自分ではないかも」と少し疑っている。
そもそも具体的に想像していなかったから、「なりたかった自分ではないかも」とそんなことを言うのがおかしいと思う。
良い仕事をしてたくさんを稼いていれば親の誇りになれる、日本人と結婚して子供を産むのが幸せ、日本を飛び回ってたくさん旅行するこそ在日外国人のあるべき姿。でないと、YOUは何しに日本へ?(?)
みたいな「固定概念」、「定番」、「あるある」は、たぶん自分も知らないうちに縛られていたかもしれない。「理想な自分」はそういうことだと思いつつ、自分は別にそうはなりたくなかったから、なりたい自分ってなんだか恥ずかしくて言えないという感情になった気がする。
世間的にも、自分的にも、世界は日々激しく移り変わっている。
私が長くも短くもないこの8年間に、仕事を転々と何回か変えて、人間関係を何回も調整して、いろんなことを体験したり、たくさん泣いたり、途切れなく価値観をアップデートしたり、おそらく、私が自分をいくら想像しても、世間と自分の変化に追いつけられないとも思った。
大して人生経験もしていなかった20代は、どうなりたいか、恥ずかしながら、それは心底から「分からない」と言って良いと思う。
だって、まだ自分ってどんな価値観を持っていて、何が好きで何が嫌いかすら分からないから、無理に「日本人と結婚したい!」「日本でデザイナーになりたいー!」とか言っても、それは心のない発言に過ぎない。
だから、「なりたかった自分は、いなかった」ってことだと気づいた。
私は、自分が空っぽだったし、ただ「一生地元で暮らすの、自分には違う」だという証拠もない直感を人質にして、旅に出てここまで来た。
この8年間の無数のアップデートは、日々「なりたかった自分」を作り上げている。今なら、「こうなりたい」というものは、まだボヤけているけど、少しずつ見えてきている、リスト書き出すと10個くらい書けられそう。
30代半ばにしてとても恥ずかしいことだけど。てへ。
唯一言えるのは、この数年はたくさん失敗があったが、正々堂々生きてきたには違いない。
よく言う「自分探しの旅」、実は「自分を知る旅」ということだった。
まだまだ旅の途中だけど、ここまでよくやってきたな!
今日は珍しく自分を全褒めして、ご褒美でも与えよう。
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8年前にハマってたスナップチャットの宇宙人フォットがめっちゃ出てきた
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