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ABCの友とは何者か~レ・ミゼラブルの世界を彩るアンジョルラスと仲間たち!~

“ABC(アーベーセー)の友”をご存じですか?

フランス文学がお好きな方、ミュージカルや映画がお好きな方にはお馴染みの響きかもしれませんが
彼らは「レ・ミゼラブル」の登場人物であり、革命を志す学生と労働者から成る男の子たちのグループです。

ドラマチックな展開と強烈な個性を持つキャラクターを描くヴィクトル・ユゴー作「レ・ミゼラブル」の中でも大きな見せ場となる
「六月暴動」のシーンで輝く彼らは
志の高い革命家の集団、というだけではなく
ひとりひとり個性と人間らしさに満ち溢れ、コミカルで、まるで私たちの親しい友人であったかのように思わせてくれるような
そんな愛に溢れた描写で表現されています。

この記事では、原作の記述を引用しつつABCの友のひとりひとりを紹介できればと思います。
※解説に挟んでいる漫画は拙作
「-レ・ミゼラブルより-ルールブルーの友らへ」作中のものです。



アンジョルラス(Enjolras)

-レ・ミゼラブルより-ルールブルーの友らへ 第5話より

以下、引用させていただいている豊島さんの翻訳版ではEnjolrasが「アンジョーラ」と訳されています。


アンジョーラは、魅力のあるしかも恐ろしいことをもやり得る青年だった。彼は天使のように美しかった。野蛮なるアンチノオス(訳者注 ハドリアヌス皇帝の寵臣たりし非常に美しきビシニヤ人のどれい)であった。彼の目の瞑想的なひらめきを見れば、過去のある生活において、既に革命の黙示録を渉猟したもののように思われるのだった。彼は親しく目撃でもしたかのように革命の伝説を知っていた。偉大なる事物の些細な点まですべて知っていた。青年には珍しい司教的なまた戦士的な性質だった。祭司であり、戦士であった。直接の見地から見れば、民主主義の兵士であり、同時代の機運を離れて見れば、理想に仕える牧師であった。深い瞳と、少し赤い眼瞼と、すぐに人を軽蔑しそうな厚い下脣と、高い額とを持っていた。顔に広い額があることは地平線に広い空があるようなものである。時々青ざめることもあったが、十九世紀の始めや十八世紀の終わりに早くから名を知られたある種の青年らのように、若い娘のようないきいきした有り余った若さを持っていた。既に大きくなっていながら、まだ子供のように見えた。年は二十二歳であるが、十七歳の青年のようだった。きわめてまじめで、この世に女性というものがいることを知らないかのようだった。彼の唯一の熱情は、権利であり、彼の唯一の思想は、障害をくつがえすことであった。アヴェンチノ山に登ればグラックスとなり、民約議会コンヴァンシオンにおればサン・ジュストともなったであろう。彼はほとんど薔薇ばらを見たことがなく、春を知らず、小鳥の歌うのを聞いたことがなかった。エヴァドネの露あらわな喉のどにも、アリストゲイトンと同じく彼は心を動かされなかったであろう。彼にとってはハルモディオスにとってと同じく、花は剣を隠すに都合がよいのみだった。彼は喜びの中にあっても厳格だった。共和以外のすべてのものの前には、貞操を守って目を伏せた。彼は自由の冷ややかな愛人であった。彼の言葉は痛烈な霊感の調を帯び、賛美歌の震えを持っていた。彼は思いもよらない時に翼をひろげた。彼のそばにあえて寄り添わんとする恋人こそ不幸なるかなである。もしカンブレー広場やサン・ジャン・ド・ボーヴェー街の浮わ気女工らにして、中学から抜け出たばかりのような彼の顔、童のような首筋、長い金色の睫毛、青い目、風にそよぐ髪、薔薇色の頬、溌剌はとした脣、美しい歯並み、などを見て、その曙のごとき姿に欲望をそそられ、アンジョーラの上におのが美容を試みんとするならば、意外な恐ろしい目つきが、突如として彼女に深淵を示し、ボーマルシェーの洒落者の天使とエゼキエルの恐るべき天使とを混同すべからざることを、教えてやったであろう。

Victor Hugo, Les Misérables, 1862. 『レ・ミゼラブル』, 豊島与志雄 (訳), 岩波文庫

このように、アンジョルラスは革命に深く傾倒しており
半神半人とも言えるような強烈な魅力を持った
非常に美しい青年として描かれています。

彼を表現するために
古代ギリシャや古代ローマの様々な美男子、
民主主義のアイコン的な人物から
女神の名前さえ持ち出されます。

アンジョルラスを表現するために名前が上がった人物の詳細については、
またこれ以降の記事でご紹介できればと思います。


コンブフェール(Combeferre)

-レ・ミゼラブルより-ルールブルーの友らへ 第5話より

革命の論理を代表せるアンジョーラと相並んで、コンブフェールは、革命の哲学を代表していた。革命の論理とその哲学との間には、次のような差異があった。すなわち、論理は戦争に帰結され得るが、哲学はただ平和に到達するのみが可能である。コンブフェールはアンジョーラを補い訂正していた。彼の方がより低くそしてより広かった。彼は人の精神に、一般的観念の広い原則を注ぎ込まんと欲した。彼は言っていた、「革命だ、しかし文明だ。」そしてつき立った山の回りに、広い青い地平線を開いた。それゆえ、コンブフェールの見解のうちには近づき得る実行し得るものがあった。コンブフェールを以ってする革命は、アンジョーラをもってする革命よりもいっそうのびのびとしていた。アンジョーラは革命の神聖なる権利を表現し、コンブフェールはその自然なる権利を表現していた。前者はロベスピエールに私淑し、後者はコンドルセーに接近していた。コンブフェールはアンジョーラよりも多くあらゆる世界の生活に生きていた。もしこのふたりの青年にして歴史に現われることが許されたならば、一方は正しき人となり、一方は賢き人となったであろう。アンジョーラはより男性的であり、コンブフェールはより人間的であった。人間と男性、実際そこに彼らの色合いの差異があった。天性の純白さによって、アンジョーラがきびしかったごとくコンブフェールは優しかった。
彼は市人と言う言葉を愛したが、人間と言う言葉をいっそう好んでいた。彼はスペイン人のように、ホンブル(訳者注 人間という意味でまた一種のカルタ遊びの名)と喜んで言ったであろう。彼はあらゆるものを読み、芝居に行き、公開講義を聞きに行き、アラゴから光の分極の理を学び、外頸動脈がいけいどうみゃくと内頸動脈との二重作用を説明して、一つは顔面に行き一つは脳髄に行っているという、ジョフロア・サン・ティレールの説に熱中した。彼は時勢に通暁し、一歩一歩学問を研究し、サン・シモンとフーリエを対照し、象形文字を読み解き、小石を見つけて砕いては地質学を推理し、記憶だけで蚕の蛾を描き、アカデミー辞典のフランス語の誤謬を指摘し、ピュイゼギュールやドルーズを研究し、何物をも、奇蹟であろうとも、これを肯定せず、何物をも、幽霊であろうともこれを否定せず、機関紙のとじ込みをめくり、よく思いを凝らし、未来は学校教師の手にあると断言し、教育問題を心にかけていた。知的および道徳的水準の向上、知識の養成、思想の普及、青年時代における精神の発育、などのために社会が絶えず努力することを欲した。また現在の研究法の貧弱さ、いわゆるクラシックと称する二、三世紀に限られた文学的見解のみじめさ、官界衒学者の暴君的専断、スコラ派の偏見、旧慣、などがついにはフランスの大学をして牡蠣(愚人)の人工培養場たらしむるに至りはしないかを気づかっていた。彼は学者で、潔癖で、几帳面で、多芸で、勉強家で、また同時に、友人らのいわゆる「空想的なるまでに」思索的であった。彼は自分のすべての夢想を信じていた、すなわち、鉄道、外科手術における苦痛の減退、暗室中の現象、電信、軽気球の操縦など。のみならず、人類に対抗して迷信や専断や偏見によって至る所に建てられた要塞には、あまり恐れをいだかなかった。学問はついに局面を変えるに至るであろうと考えてる者のひとりだった。アンジョーラは首領であり、コンブフェールは指導者であった。一方は共に戦うべき人であり、一方は共に歩くべき人であった。とは言え、コンブフェールとても戦うことを得なかったのではない。彼は障害と接戦し、溌剌たる力と爆発とをもって攻撃することを、あえて拒むものではなかった。しかしながら、公理を教え着実なる法則を流布して、しだいに人類をその運命と調和させて行くこと、それが彼の喜ぶところのものだった。そして二つの光の中で、彼の傾向は、焼き尽す光よりもむしろ輝き渡る光の方にあった。火事は疑いもなく曙を作ることができるであろう。しかし何ゆえに太陽の登るのを待ってはいけないか。火山は輝き渡る、しかし暁の光はいっそうよく輝き渡るではないか。コンブフェールは崇高の炎よりも、美の純白の方をおそらく好んだであろう。煙に悩まされたる光、暴力によってあがなわれたる進歩は、この優しくまじめなる精神を半ばしか満足せしめなかった。一七九三年のように、民衆がまっさかさまに真理の中に飛び込むことは、彼を恐れさした。しかし彼にとっては、停滞はなおいっそう嫌悪すべきものであった。彼はそこに腐敗と死滅とを感じた。全体として言えば、彼は瘴癘の気よりも泡沫を愛し、下水よりも急流を愛し、モンフォーコンの湖水よりもナイヤガラ瀑布を愛した。要するに彼は、止まることをも急ぐことをも欲しなかったのである。騒々しい友人らが、絶対なるものに勇ましく心ひかれて、輝かしい革命的冒険を賛美し、それを呼び起こさんとしている中にあって、コンブフェールはただ、進歩をして自然に進ませようと欲した。それは善良な進歩であって、おそらく冷ややかではあろうがしかし純粋であり、方式的ではあろうがしかし難点なきものであり、平静ではあろうがしかし揺るがし得ないものであったろう。コンブフェールは自らひざまずいて手を合わせ、未来が純潔さをもって到来せんことを祈り、何物も民衆の広大有徳なる進化を乱すものなからんことを祈ったであろう。「善は無垢ならざるべからず、」と彼は絶えず繰り返していた。そしてたとい革命の偉大さは、眩惑せしむるばかりの理想を見つむることであり、血潮と猛火とを踏みにじりつつ雷電の中を横ぎって、理想に向かって飛びゆくことであるとしても、進歩の美は、無垢なることに存するに違いない。

Victor Hugo, Les Misérables, 1862. 『レ・ミゼラブル』, 豊島与志雄 (訳), 岩波文庫,1951

コンブフェールは、ABCの友の首領であるアンジョルラスの参謀役であり、また彼を訂正する役割であったと描かれています。
アンジョルラスが半神半人とも言える存在であるならば、コンブフェールは人間代表、親しみやすい人物として描かれています。

ほかにも作中、救済院(孤児院と病院も兼ねたような民間の福祉施設)に寄宿していたという描写があり
そこでの出来事はコンブフェールに大きな影響を与えました。

クールフェラック(Courfeyrac)

-レ・ミゼラブルより-ルールブルーの友らへ 第5話より

以下、引用させていただいている豊島さんの翻訳版ではCourfeyracが「クールフェーラック」と訳されています。

クールフェーラックは、ド・クールフェーラック氏と言われる父を持っていた。王政復古の中流階級が貴族または華族ということについていだいている愚かな考えの一つは、実にこの分詞のドという一字を貴重がったことである。人の知るとおり、この分詞には何らの意味もない。しかし、ミネルヴ時代(訳者注 王政復古の初期)の市民らはこの下らないドの文字をあまりに高く敬っていたので、それを廃止しなければならないと思われるほどになった。かくてド・ショーヴラン氏はただショーヴランと呼ばせ、ド・コーマルタン氏はコーマルタンと、ド・コンスタンド・ルベック氏はバンジャマン・コンスタンと、ド・ラファイエット氏はラファイエットと呼ばせるに至った。クールフェーラックもそれにおくれを取るまいとして、ただ簡単にクールフェーラックと自ら呼んだのである。

 クールフェーラックについては、それだけでほとんど十分である。そしてただ、クールフェーラックならばまずトロミエスを見よ、と言うだけに止めておこう。

 実際クールフェーラックは、機才めの美とも称し得る若々しい元気を持っていた。ただ後になるとそういうものは、小猫のやさしさがなくなるように消え失せてしまい、その優美さも二本の足で立てば市民となり、四本の足で立てば牡猫おすねことなるものである。

 かかる種類の精神は、代々の学生に、代々の若々しい芽に、相次いで伝えられ手から手へ渡りゆき、競争者のごとくに走り回り、そして常に何らの変化をもほとんど受けないものである。かくして、前に述べたとおり、一八二八年のクールフェーラックの言うことを聞く者は、一八一七年のトロミエスの言うことを聞く思いがするであろう。ただクールフェーラックは善良な男であった。見たところ外部的の精神は同じであるが、彼とトロミエスとの間には大なる差違があった。彼らのうちに潜在している人間は、前者と後者とではひどく異なっていた。トロミエスのうちには一人の検事があり、クールフェーラックのうちには一人の洒落武士しゃれぶしがあった。

 アンジョーラは首領、コンブフェールは指導者、クールフェーラックは中心であった。他の二者がより多く光明を与えたとすれば、彼はより多く温熱を与えた。実際、彼は中心たるすべての特長、丸みと喜色とを持っていたのである。

Victor Hugo, Les Misérables, 1862. 『レ・ミゼラブル』, 豊島与志雄 (訳), 岩波文庫,1951

トロミエス、というのは
作中の別の場面で登場する遊び人の放蕩学生で、女性を弄ぶ軽薄さを持った人物です。
そこから読み解くと、クールフェラックはよくいるパターンの田舎から出てきた裕福な学生で、学業もほどほどに遊び好きな気質を持ちながらも
トロミエスとは違って義理堅く、人情派の人物として描かれています。

また、バルザック原作の映画「幻滅」の中では
主人公リュシアンが貴族の名前の証である「ド」の一文字が欲しいがために身を滅ぼしてしまいますが
「ド」の一文字を持っているクールフェラックは自らそれを手放して
”階級意識“に対しての否定を示しています。



フイイー(Feuilly)

-レ・ミゼラブルより-ルールブルーの友らへ 第2話より

フイイーは、扇作りの職工で、父も母もない孤児で、一日辛うじて三フランをもうけていた。そして彼は世界を救済するという一つの考えしか持たなかった。
それからなおも一つの仕事を持っていた、すなわち学問をすることで、それを彼はまた自己を救済することと呼んでいた。彼は独学で読むこと書くことを学んだ。彼のあらゆる知識はただひとりで学んだのだった。彼は寛大な心を持っていた。広大な抱擁力を持っていた。この孤児は民衆を自分の養児としていた。母がいなかったので、祖国の事を考えていた。祖国を持たぬ人間の地上にいることを欲しなかった。民衆の人たる深い洞察力をもって、われわれが今日 民族観念と呼ぶところのものを心の中にはぐくんでいた。悲憤慷慨もよくその原因を知悉した上のことでありたいというので、特に歴史を学んだ。ことにフランスのことのみを考えている若々しい夢想家らの寄り合いの中にあって、彼はフランス以外を代表していた。そして専門として、ギリシャ、ポーランド、ハンガリー、ルーマニヤ、イタリー、などのことを知っていた。彼は権利としてのような執拗さをもって、場合の適当不適当をかまわず、以上の国名を絶えず口にしていた。クレート島およびテッサリーにおけるトルコ、ワルソーにおけるロシヤ、ヴェニスにおけるオーストリヤ、などの暴行は彼を憤慨さした。なかんずく、一七七二年の大暴逆(訳者注 ポーランドの分割)は彼を激昂さした。憤りの中に真実を含むほどおごそかな雄弁はない。彼はそういう雄弁を持っていた。一七七二年という汚れたる日付、裏切りによって覆滅されたるすぐれた勇敢な民衆、あの三国の罪悪、あの奇怪きわまる闇撃、などのことを彼はあくまでも論じていた。それは実に、その後多くのすぐれた国民を襲い、言わばその出生証書を塗抹とまつしたる、あの恐るべき国家的抑圧の典型となり標本となったのである。現代のあらゆる社会的加害は、ポーランドの分割より胚胎はいたいする。ポーランドの分割は一つの定理であり、それより現代のあらゆる政治的罪悪が導き出される。最近一世紀以来のすべての専制君主とすべての反逆人とは皆、不可変更のポーランド分割調書を作り、確認し、署名し、花押かおうしたのである。近世の大逆の史を閲すると、右の事がらが第一に現われてくる。ウィーン会議はおのが罪悪を完成する前に、その悪事を相談したのである。一七七二年は猟の勝閧かちどきであり、一八一五年は獲物の腐肉である。とそういうのがフイイーのいつもの文句であった。このあわれな労働者は正義の擁護者となり、正義は彼を偉大ならしめて彼にむくいた。実際正当の権利の中には無窮なるものがあったからである。ワルソーを韃靼ダッタン化せんとするのは、ヴェニスをゼルマン化せんとするよりもはなはだしい。いかなる国王もそういうことをする時には、ただ労力と名誉とを失うのみである。うち沈められたる祖国も、やがては水面に浮かび上がって再び姿を現わすであろう。ギリシャは再びギリシャとなり、イタリーは再びイタリーとなる。事実に対する権利の抗議は永久に残存する。一民衆を盗むの罪は、時効にかかって消滅するものではない。それら莫大なる詐欺取財は、未来に長く続くものではない。国民はハンカチのように模様を抜き去られるものではない。

Victor Hugo, Les Misérables, 1862. 『レ・ミゼラブル』, 豊島与志雄 (訳), 岩波文庫,1951

フイイーは、学生たちの集まりであるABCの友において唯一の労働者であり
幼いころは孤児として厳しい生活をしてきました。
ですがフイイー心も教養も豊かで、フランスだけでなく海外の理不尽に対しても声をあげる情熱を持っています。
他の学生たちのように学校に通えるような裕福な生活でなかったからこそ
革命に対してより一層熱い想いを持っています。


ジャン・プルーヴェール(Jean prouvaire)

-レ・ミゼラブルより-ルールブルーの友らへ 第2話より

ジャン・プルーヴェールは、コンブフェールよりもなおいっそう穏やかなはだ合いの人物だった。彼は自らジュアン(訳者注 ジャンを中世式にしたもの)と呼んでいた。それは中世紀の非常に有用な研究が生まれ出た強く深い機運に立ち交じっているという、あのつまらぬ一時の空想からであった。
ジャン・プルーヴェールは情緒深く、鉢植の花を育て、笛を吹き、詩を作り、民衆を愛し、婦人をあわれみ、子供のために泣き、未来と神とを同じ親しみのうちに混同し、気高き一つの首を、すなわちアンドレ・シェニエの首をはねたことを、革命に向かって難じていた。平素は繊細であるが突如として雄々しくなる声を持っていた。博学と言えるほど学問があり、ほとんど東方語学者であった。またことに善良であった。善良さがいかに偉大に近いものであるかを知っている人にはごくわかりきったことであるが、詩の方面において彼は広大なるものを愛していた。彼はイタリー語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語を知っていた。しかもそれはダンテとユヴェナリスとアイスキロスとイザヤの四詩人を読むことに使われたのみだった。フランス人ではラシーヌよりもコルネイユを、コルネイユよりもアグリッパ・ドービネを好んでいた。燕麦からすむぎや矢車草のはえている野を喜んで散歩し、世の中の事件とほとんど同じくらいに雲のことを気にしていた。彼の精神は人間の方面と神の方面と、二つの態度を有していた。あるいは研究し、あるいは静観していた。終日彼は社会問題を探究していた。すなわち、給料、資本、信用、婚姻、宗教、思想の自由、恋愛の自由、教育、刑罰、貧窮、組合、財産、生産、分配、すべて人類の群れを暗き影でおおう下界の謎なぞを探究していた。そして夜になると、あの巨大なる存在者たる星辰をながめた。アンジョーラのごとく、彼は金持ちでひとり息子であった。彼はもの柔らかに話をし、頭を下げ、目を伏せ、きまり悪るげにほほえみ、ぞんざいな服装をし、物なれない様子をし、わずかなことに赤面し、非常に内気だった。それでもまた勇敢であった。

Victor Hugo, Les Misérables, 1862. 『レ・ミゼラブル』, 豊島与志雄 (訳), 岩波文庫,1951

ジュアンはとても穏やかな人物として描かれていて、自然や芸術を愛する物静かな青年として描かれています。
文中に出てくるアンドレ・シェニエとはフランス革命時代(ABCの友が青春を過ごした時代より40年ほど前)の詩人で、フランス革命の恐怖政治を風刺するパンフレットを書いたために処刑された人物です。
シェニエはジュアンたちの世代からすると“今風”ではない作家ですが、ジュアンがパリへ出てくる少し前からリバイバルで話題になっていました。


バオレル(Bahorel)

-レ・ミゼラブルより-ルールブルーの友らへ 第2話より

バオレルは一八二二年六月の血腥い騒動の時、若いラールマンの葬式のおりに顔を出したことがあった。

 バオレルはいつも上きげんで、悪友で、勇者で、金使いが荒く、太っ腹なるまでに放蕩者ほうとうもので、雄弁なるまでに饒舌で、暴慢なるまでに大胆であった。最も善良なる魔性の者であった。大胆なチョッキをつけ、まっかな意見を持っていた。偉大なる騒擾者、言いかえれば、騒乱のない時には喧嘩ほど好きなものはなく、革命のない時には騒乱ほどの好きなものはなかった。いつでも窓ガラスをこわしたり、街路の舗石をめくったり、政府を顛覆したりすることをやりかねない男で、そういうことをして結果を見たがっていた。十一年間も大学にとどまっていた。法律のにおいをかいだが、それを大成したことはなかった。「決して弁護士にならず」というのをモットーとし、寝床側のテーブルを戸棚とし、その中に角帽が見えていた。法律学校の前に現れることはまれだったが、そういう時はいつも、ラシャ外套はまだ発明されていなかったので、フロックのボタンをよくかけて衛生上の注意をしていた。学校の正門について、「何というひどい老いぼれ方だ!」と言い、校長のデルヴァンクール氏について、「何という記念碑だ!」といっていた。講義のうちに歌の材料を見つけたり、教授らのうちに漫画の種を見いだしたりしていた。かなり多額な学資、年に三千フランほども、くだらないことに費やしてしまった。彼には田舎者の両親があったが、その親たちに自分を深く尊敬させるような術を心得ていた。

 彼は両親のことをこう言っていた。「彼らは田舎者で、市民ではない。だからいくらか頭があるんだ。」

 気まぐれなバオレルは、多くのカフェーに出入りした。他の者はどこかなじみの家を持っていたが、彼はそんなものを持たなかった。彼はやたらに彷徨した。錯誤は人間的で、彷徨はパリーっ児的である。彼の奥底には洞察力があり、見かけによらぬ思索力があった。

 彼はABCの友と、未だ成立しないが早晩形造られるべき他の団体との間の、連鎖となっていた。

Victor Hugo, Les Misérables, 1862. 『レ・ミゼラブル』, 豊島与志雄 (訳), 岩波文庫,1951

作中、ABCの友の全員の年齢が明記されているわけではないですが
放蕩学生のバオレルは大学を留年し、11年も在学しているということから
おそらく最年長の人物かと思われます。
見かけは豪快で明るい人物ですが、その裏で冷静にものを考えて判断していくような利発的な面も持っています。
多くのカフェに出入りして、熱意ある学生たちの連鎖となっていた、とありますが
当時のパリのカフェは作家のバルザック曰く「庶民の国会議事堂」。
様々な意見、議論を交わすような交流の場になっていました。


レーグル・ド・モー(Laigle de Meaux)

-レ・ミゼラブルより-ルールブルーの友らへ 第5話より

それら青年の集会所のうちには、ひとり禿頭の会員がいた。

 ルイ十八世が国外に亡命せんとする日、それを辻馬車の中に助け入れたので公爵となされたアヴァレー侯爵が、次のような話をした。一八一四年、フランスに戻らんとして王がカレーに上陸した時、ひとりの男が王に請願書を差し出した。「何か望みなのか、」と王は言った。「陛下、郵便局が望みでござります。」「名は何という?」「レーグルと申します。」

 王は眉をひそめ、請願書の署名をながめ、レグルと書かれた名を見た。このいくらかボナパルト的でない綴字つづりじに(訳者注 レーグルとは鷲の意にしてナポレオンの紋章)王は心を動かされて、微笑を浮かべた。「陛下、」と請願書を差し出した男は言った、「私には、レグール(訳者注 顎の意)という綽名を持っていました犬番の先祖がありまして、その綽名が私の名前となったのであります。私はレグールと申します。それをつづめてレグル、また少しかえてレーグルと申すのであります。」それで王はほほえんでしまった。後に、故意にかあるいは偶然にか、王は彼にモーの郵便局を与えた。

 禿頭の会員は、実にこのレグルもしくはレーグルの息子で、レーグル(ド・モー)と署名していた。彼の仲間は、手軽なので彼をボシュエと呼んでいた。

 ボシュエは、不幸を有する快活な男であった。彼の十八番は、何事にも成功しないことだった。それでかえって彼は何事をも笑ってすましていた。二十五歳にして既に禿頭だった。彼の父は一軒の家屋と一つの畑とを所有するに至った。しかしその息子たる彼は、投機に手を出したのがまちがいの元で、まっさきにその家と畑とをなくしてしまった。それでもう彼には何物も残っていなかった。彼は学問があり才があったが、うまくゆかなかった。すべての事がぐれはまになり、すべてのことがくい違った。自分でうち立てるすべての物が、自分の上にくずれかかった。木を割れば指を傷つける、情婦ができたかと思えばその女には他にいい人があるのを間もなく発見する。始終何かの不幸が彼に起こってきた。そういうところから彼の快活が由来したのである。彼は言っていた、「僕は瓦かわらがくずれ落ちる屋根の下に住んでいるんだ。」驚くことはまれで、なぜなら事変が起こるのがあらかじめわかっているのだから、いけない時でも平気に構えており、運命の意地悪さにも笑っていて、まるで冗談をきいてる人のようだった。貧乏ではあったが、彼の上きげんのポケットはいつも無尽蔵だった。すぐに一文なしになってしまうが、笑い声はいつまでも尽きなかった。窮境がやってきても彼はその古馴染なじみに親しく会釈した。災厄をも親しく遇した。不運ともよく馴染み、その綽名を呼びかけるほどになっていた。「鬼門さん、今日は、」と彼はいつも言った。

 その運命の迫害が、彼を発明家にしてしまった。彼は種々の妙策を持っていた。少しも金は持たなかったが、気が向くと「思うままの荒使い」をする術すべを知っていた。ある晩、彼はある蓮葉女はすはおんなと夜食をして、ついに「百フラン」を使い果たしてしまった。そしてそのばか騒ぎのうちに、次のようなすてきな言葉を思いついた。「サン・ルイの娘よ、僕の靴をぬげ。」(訳者注 サン・ルイは百フラン、そしてまたルイ王にかけた言葉)

 ボシュエは弁護士職の方へ進むのに少しも急がなかった。彼はバオレルのようなやり方で法律を学んだ。ボシュエはほとんど住所を持っていなかった。ある時はまったくなかった。方々を泊まり歩いた、そしてジョリーの家へ泊まることが一番多かった。ジョリーは医学生だった。彼はボシュエよりも二つ若かった。

Victor Hugo, Les Misérables, 1862. 『レ・ミゼラブル』, 豊島与志雄 (訳), 岩波文庫,1951

ボシュエ、というあだ名は17世紀の人物である“ボシュエ司教”に由来します。
ボシュエ司教は熱心な説教や新教徒に対する攻撃の激しさから「モーの鷹」=レーグル・ド・モーと呼ばれていました。
つまり、ボシュエの本名はボシュエ司教のあだ名、という構図です。
彼は不幸体質ですが、不幸なことがおこれば「ボンジュール」と不幸に対して挨拶をしてしまうようなユーモアを持っていて
作中でボシュエが自分を大学から除名処分にした教授に対し
弔辞を述べるシーンがありますが
これはボシュエ司教が追悼演説で有名であったことからの
彼のブラックユーモアのひとつだと伺えます。


ジョリー(Joly) 

-レ・ミゼラブルより-ルールブルーの友らへ 第4話より

ジョリーは、若い神経病みだった。医学から得たところのものは、医者となることよりむしろ病人となることだった。二十三歳で彼は自分を多病者と思い込み、鏡に舌を写して見ることに日を送っていた。人間は針のように磁気に感ずるものだと断言して、夜分血液の循環が地球の磁気の大流に逆らわないようにと、頭を南に足を北にして牀とこを伸べた。嵐のある時は自分で脈を取って見た。その上連中のうちで一番快活だった。若さ、病的、気弱さ、快活さ、すべてそれら個々のものは、うまくいっしょに同居して、それから愉快な変人ができ上がって、それを仲間らは、音をたくさん浪費して、ジョリリリリーと呼んでいた。「君は四り(四里)も飛び回れるんだ」とジャン・プルーヴェールは彼に言っていた。

 ジョリーはステッキの先を鼻の頭につける癖があった。それは鋭敏な精神を持ってるしるしである。

Victor Hugo, Les Misérables, 1862. 『レ・ミゼラブル』, 豊島与志雄 (訳), 岩波文庫,1951

作中、ジョリーはボシュエと“2人1組”というような描写がされています。
貧乏なボシュエはジョリーの家に居候しているそうです。
それに伴って、2人でのユニークな掛け合いのシーンもあり
ボシュエと同じくユーモアのある人物として描かれています。

医学生は学業の大変さとともに、他の学部よりも莫大な学費がかかるので
ジョリーの実家もたいへん裕福であることが伺えます。


グランテール(Grantaire)

-レ・ミゼラブルより-ルールブルーの友らへ 第2話より

すべてそれら燃えたる魂のうちに、確信せる精神のうちに、ひとりの懐疑家があった。彼はどうしてそこにはいってきたのであるか。あらゆる色の取り合わせによってであった。その懐疑家をグランテールと呼び、いつもその判じ名のRを署名した(訳者注 グランテールという音は大字Rという意を現わす)。
グランテールは何事をも信じようとはしなかった男である。それに彼は、パリー学問の間に最も多く種々なことを知った学生のひとりだった。最もよい珈琲コーヒーはランブラン珈琲店にあり、最もよい撞球台はヴォルテール珈琲店にあることを知っていた。メーヌ大通りのエルミタージュにはよい菓子とよい娘とがあること、サゲーお上さんの家にはみごとな鶏料理ができること、キュネットの市門にはすばらしい魚料理があること、コンバの市門にはちょっとした白葡萄酒があること、などを知っていた。あらゆるものについて、彼は上等の場所を知っていた。その上、足蹴術を心得ており、舞踏をも少し知っており、また桿棒術に長じていた。そのほかまた非常な酒飲みだった。彼は極端に醜い男だった。当時の最もきれいな靴縫女であったイルマ・ボアシーは、彼の醜さにあきれて、「グランテールはしようがない」という判決を下した。しかしグランテールのうぬぼれはそれを少しも意としなかった。彼はいかなる女でもやさしくじっと見つめ、「俺が思いさえしたら、なあに」と言うようなようすをして、一般に女にもてると仲間たちに信じさせようとしていた。

 民衆の権利、人間の権利、社会の約束、仏蘭西革命、共和、民主主義、人道、文明、宗教、進歩、などというすべての言葉は、グランテールにとってはほとんど何らの意味をもなさなかった。彼はそれらを笑っていた。懐疑主義、この知力のひからびた潰瘍は、彼の精神の中に完全な観念を一つも残さなかった。彼は皮肉とともに生きていた。彼の格言はこうであった、「世には一つの確かなることあるのみ、そはわが満ちたる杯なり。」兄弟であろうと父であろうと、弟のロベスピエールであろうとロアズロールであろうと、すべていかなる方面におけるいかなる献身をも彼はあざけっていた。

「死んだとはよほどの進歩だ。」と彼は叫んでいた。十字架像のことをこう言っていた、「うまく成功した絞首台だ。」彷徨者で、賭博者で、放蕩者で、たいてい酔っ払ってる彼は、絶えず次のような歌を歌って、仲間の若い夢想家らに不快を与えていた。「若い娘がかわいいよ、よい葡萄酒がかわいいよ。」節は「アンリ四世万々歳」の歌と同じだった。

 それにこの懐疑家は、一つの狂的信仰を有していた。それは観念でもなく、教理でもなく、芸術でもなく、学問でもなかった。それはひとりの人間で、しかもアンジョーラであった。グランテールはアンジョーラを賛美し、愛し、尊んでいた。この無政府的懐疑家が、それら絶対的精神者の一群の中にあって、だれに結びついたかというに、その最も絶対的なるものにであった。いかにしてアンジョーラは彼を征服したか。思想をもってか。否。性格をもってである。これはしばしば見られる現象である。信仰者に懐疑家が結びつくということは、補色の法則の示すとおり至って普通なことである。われわれに欠けているものはわれわれを引きつける。盲人ほど日の光を愛するものはない。侏儒しゅじゅは連隊の鼓手長を崇拝する。蟇がまは常に目を空の方に向ける、なぜであるか、鳥の飛ぶのを見んがためである。心中に懐疑のはい回ってるグランテールは、アンジョーラの中に信仰の飛翔ひしょうするのを見るのを好んだ。彼にはアンジョーラが必要だった。彼は自らそれを明らかに意識することなく、自らその理由を解こうと考えることなく、ただアンジョーラの清い健全な確固な正直な一徹な誠実な性質に、まったく魅せられてしまった。彼は本能的にその反対のものを賛美した。彼の柔軟なたわみやすいはずれがちな病的な畸形な思想は、背骨にまといつくがようにアンジョーラにまといついた。彼の精神的背景は、アンジョーラの確固さによりかかった。グランテールもアンジョーラのそばにいれば、一個の人物のようになった。また彼自身は、外見上両立し難い二つの要素から成っていた。彼は皮肉であり、信実であった。彼の冷淡さは愛を持っていた。彼の精神は信仰なくしてもすますことができたが、彼の心は友情なくしてすますことができなかった。それは深い矛盾である。なぜなれば愛情は信念であるから。彼の性質はそういうものだった。世には物の裏面となり背面となり裏となるために生まれた人々がある。ポルークス、パトロクロス、ニソス、エウダミダス、エフェスチオン、ペクメヤ、などはすなわちそれである(訳者注 皆献身的友情を以って名ある古代の人物)。彼らは他人によりかかるという条件でのみ生きている。彼らの名は扈従である、そして接続詞のとという字の次にしか書かれることがない。彼らの存在は彼ら自身のものではない。自分のものでない他の運命の裏面である。グランテールはそういう人物のひとりだった、彼はアンジョーラの背面であった。

 それらの結合はほとんどアルファベットの文字で始まってると言うこともできるであろう。一続きになす時はOとPとが離すべからざるものとなる。もしよろしくばOとPと言うがいい、すなわちオレステスとピラデスと(訳者注 物語中のオレステスとその友人ピラデス。彼らの頭字はOとP。またアンジョーラとグランテールとの頭字はEとG)。

 アンジョーラの本当の従者であったグランテールは、この青年らの会合のうちに住んでいた。彼はそこに生きていた。彼の気に入る場所はそこのみだった。彼は彼らの後にどこへでもついて行った。酒の気炎の中に彼らの姿がゆききするのを見るのが彼の喜びだった。人々は彼の上きげんのゆえに彼を仲間に許していた。

 信仰家なるアンジョーラは、その懐疑家を軽蔑していた。自分が節制であるだけにその酔っ払いをいやしんでいた。また昂然たる憐憫を少しはかけてやっていた。グランテールは少しも認められないピラデスであった。常にアンジョーラに苛酷に取り扱われ、てきびしく排斥され拒絶されていたが、それでもまたやってきて、アンジョーラのことをこう言っていた。「何という美しい大理石のような男だろう。」

Victor Hugo, Les Misérables, 1862. 『レ・ミゼラブル』, 豊島与志雄 (訳), 岩波文庫,1951

グランテールは矛盾に満ちた人物です。
革命や民主主義といった、他のメンバーが好むようなワードに皮肉を言いながらも
彼らと一緒に過ごす時間を愛しています。
そして、アンジョルラスという人物を信仰しながら
彼の言いつけを守ろうとしません。
“彼は自らそれを明らかに意識することなく、自らその理由を解こうと考えることなく”それでもアンジョルラスに惹かれて
彼とABCの仲間たちと常に過ごそうとします。




以上の面々が、「レ・ミゼラブル」の作中に
“ABCの友”のメンバーとして登場します。


”ABC(アーベーセー)の友“というグループについて

彼らはフランス革命から40年ほど経ち
再び王政が復活した“復古王政”の時代の中で
妥当王政を掲げ民衆の自由のために革命を起こそうとします。


レ・ミゼラブルの作中では
革命(暴動)前夜からその最中まで
愛とユーモアに満ちた彼らについての記述が並んでいます。

悲惨な時代を題材にした作品の中で
若者たちの飾らない青春が描かれています。


さいごに、彼らのグループの名前の由来はこの通りです。

レ・ミゼラブルより-ルールブルーの友らへ 第4話より

ABCの友とは何であったか? 外見は子供の教育を目的としていたものであるが、実際は人間の擡頭を目的としていたものである。
 彼らは自らABCの友と宣言していた。ABCとは、アベッセ にして、民衆の意であった(訳者注 両者の音が共通なるを取ったもので、アベッセは抑圧されたるものという意)。彼らは民衆を引き上げようと欲していた。駄洒落だと笑うのはまちがいである。駄洒落はしばしば政治において重大なものとなることがある。

Victor Hugo, Les Misérables, 1862. 『レ・ミゼラブル』, 豊島与志雄 (訳), 岩波文庫,1951



さいごに

ここまでお読みくださりありがとうございます!
最後に、こちらの記事で引用した本をご紹介します!

 ABCの友は「レ・ミゼラブルの」第3部「マリウス」の章の第四編
「ABCの友」から登場します。
こちらの記事で引用させていただいているのは、すべてこちらの第四編の記述になります。

また、こちらは記事中に挿絵変わりに挿入している拙作
「-レ・ミゼラブルより-ルールブルーの友らへ」という漫画です。
レ・ミゼラブルのABCの友を主人公にしたパスティーシュ作品となっています。
2025年2月現在、1巻発売中です!
こちらも、偉大な原作と合わせてぜひ読んでいただけると嬉しいです。

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