AIの「女性嫌い」、年齢への偏見
AIの急速な発達に目をみはるものがあります。最近はやりのAIチャットの質問解析力や文章構成力のすごさに驚く人も多いですが、今はまだ不自然な回答や論点がずれるようなこともあるとはいえ、ここ数年の“経験”でさらに精度が高まっていることを考えると、もはや「正しい文章は人間しか書けない」という時代は早晩終焉するようにも思えます。
かつてアマゾンが行った履歴書を審査するためのシステム構築の研究では、応募者をAIが学習したデータに基づいて評価、点数化するプロセスにおいて、なぜかAIは男性の求職者を高く評価する傾向が強く、逆に女性は実力以上に過小評価される傾向が著しかったといいます。
いっけん人間よりも客観的に合理的な判断をするとみられがちなAIがじつは「女性嫌い」だったというトピックは、ほかにもさまざまな場面で起こっています。AIのによる顔認識システムでも、メーカー・開発者を問わず、女性を男性と間違える割合は男性を女性と間違える割合よりもはるかに高く、女性に不利な傾向が示されています。
また、超高齢社会になっている西側諸国において、年齢差別や年長者に対する偏見も社会・経済活動のさまざまな場面で問題になりつつあります。アメリカのある大学の研究チームの調査によると、男性の大学教員に対する評価は年齢を重ねても一貫しているのに対して、女性の大学教員に対する評価は30代がピークで、40代以降は研究実績に関わらず低下していく傾向が認められるそうです。
同研究によると、女性教員には研究能力や学術的成果、指導実績などとともに人間的な温かみや周囲に対する気遣いなどが求められ、能力と温かみの両方が両立されて始めてキャリアの蓄積が前向きに評価され、能力一辺倒で周囲からの期待に応えられないケースは厳しい評価を受けることが多いという結果が出ています。
男性は年齢を重ねるにしたがってキャリアを積み上げるのに対して、女性はなぜか“若さ”が評価の対象となるがゆえに、ある年齢を超えると経験の蓄積がかえってネガティブに評価される傾向があるというのは、一般的な社会人の例でもしばしばみられることですが、大学教員のような専門職においても同様だという現実は、時代を経ても容易には変化しない男女の“壁”の高さを物語っているかのようです。
このような男女の年齢やキャリアをめぐる誤解や偏見は、男性はもっぱら稼得労働を通じて家族を養い、女性は家庭に合って家事や育児に携わるという、長年にわたる強固な性別役割分担から由来しているのは間違いありませんが、そのような役割分担が合理的で効果的であった時代はとっくの前に過ぎ去っており、今は性差という個性ばかりにとらわれず、全人格的な個性や多様性を発揮しあって協働していくことが求められる時代です。
人間の偏った経験知がもたらすAIの「女性嫌い」を根本から是正し、年齢とキャリアとの関係に性差はまったく関係ないという当たり前の事実を、まずもって生身の人間の認識として確実に共有しあっていくことが大切だといえるでしょう。なんとなくの前例を踏襲し、無意識のうちに周囲にあわせてきたツケがまわってきている現在、AIによって負の思考回路がさらに拡大深化していくことのないよう、私たちは岐路に立っているといえるのではないでしょうか。