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ハロウィンと過激コスプレの賛否。

もうすぐハロウィンですね。今年は31日が月曜なのでその前の週末にイベントが行われるところが多いようですが、コロナ禍も昨年までよりは落ち着きつつあるので、街中は多くの若者で賑わいそうですね。ケルト人の収穫祭が起源だとされるハロウィンはもともと日本古来の行事ではありませんが、現在ではクリスマスなどと同じように秋深まる頃の風物詩としてすっかり定着した年間行事だといえるでしょう。たしかにハロウィンが終わるといよいよ寒い冬に向かうという気持ちになりますし、年末のイルミネーションを前に華麗だったりキュートだったりするコスプレに身を包む人たちで街が彩られるのは、純粋に全国各地でいっせいに多様な個性がひしめき合うイベントとしても高揚感に包まれるものだと思います。

そんなハロウィンに関するイベントが行われたUSJ内での“過激コスプレ”が、物議を醸し社会問題になっています。USJでは仮装しての来場を歓迎していましたが、過激なコスプレが問題になったのを受けて、「公序良俗に反する服装やパークにふさわしくない過度な露出はお断り、退場いただく場合があります」と呼びかけています。その問題となったSNSへの投稿写真を見てみましたが、全体はハロウィンのコスプレにありがちなデザインや色調の衣装のようにも見えますが、客観的に通常の日常生活では考えられない露出の多さや違和感を与える素材感だととらえられ、多くの来場者でひしめくテーマパークでのドレスコードとしては明らかにふさわしくないと感じます。


しばしばコスプレなどで問題となる身体の露出については、軽犯罪法に規定があります。ここでは①公衆の目にふれるような場所、②公衆にけん悪の情を催させるような方法、③しり、ももその他身体の一部をみだりに露出の3つの要素が挙げられていますが、①はどのように考えても公衆の面前にほかならないテーマパーク内であり、②は何に嫌悪感や違和感を感じるかは個人のとらえ方や価値観にもよるとはいえ、以下の公然わいせつと比較するとより広範囲が該当するとされているため、今回のSNSへのアップが問題視されたような一般人の反応からすれば、基本的にはあてはまると考えることができるでしょう。

③については、しり、もも、その他身体の一部とありますが、昨今ではももをさらすようなファッションは社会通念上もある程度は許容範囲内として認められていますが、この場合は単に身体の一部をさらすという行為にとどまらず、あたかも下着にしか見えないような素材や形状、全体の雰囲気なども判断の要素となると考えられることから、今回問題となった被写体の人が入場時は上着を着用して前も閉じており、写真撮影の瞬間のみ上着を脱いでいたとされていることからしても、通常の街中におけるファッションとして許容される範囲を超えていることは本人も自覚していたように感じられます。

軽犯罪法
第一条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。

二十 公衆の目に触れるような場所で公衆にけん悪の情を催させるような仕方でしり、ももその他身体の一部をみだりに露出した者
刑法
(公然わいせつ)
第百七十四条 公然とわいせつな行為をした者は、六月以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。


ハロウィンのコスチュームといえども、ごく特殊なキャラクターなどを除いてはもともとのドレスコードの原型があるのが通常であり、たとえばドレスであれば時代や地域によって態様が変化するとはいえ、忠実にドレスとしての文化を表現しているのであれば、基本的にはその露出が社会通念上問題となるようなケースは少ないはずです。一般的に女性らしい体格を魅力的に表現するドレスコードは、バストやヒップにボリュームをつけたり、フリルやレースによってフェミニンな雰囲気を出したり、ハイヒールやブーツで華奢なシルエットを表現したり、腕や肩を露出することで適度なセクシーさを演出しますが、そもそもドレスにおいてデコルテを出すことはむしろ正装のマナーであり、そうした表現が違法な露出と判断されることはありえないのです。

腕や肩を露出することは認められるのに、ももやしりを出すことは軽犯罪法に抵触する可能性が高いことは、もともとの女性のドレスコードの歴史や文化を理解することで、比較の問題にはなりえない妥当な基準であることが理解できるでしょう。その上で、他人の目線や評価に耐えうるドレスコードとして成立するかどうかは、先ほど触れたような決して下着類には見えない全体像とともに、その人の言動や立ち居振る舞い、周囲との調和やコミュニケーションにおいて、人格的な表現も含めてエレガントなドレスコードとみなされうるかどうかという点も、決して過小評価できない要素だといえるでしょう。



刑法の規定にあるようにいたずらに性的羞恥心を害していないかどうかという点も、きわめて重要だと思われます。異性からみて社会通意念上も必要以上に性的な関心を誘発するような表現は、公衆の面前においてふさわしくないことは誰もが認めるところでしょう。さらにいうなれば、男性は女性を性的な目線で評価するのが通常だとするある種のものの見方は、多様化が進みジェンダー観も広範に広がりつつある昨今の時代においては、認識をあらためる必要があるかもしれません。今回のようなケースが問題になるのは、もしかしたら異性の目線を意識した好奇心が過剰な自己表現を誘発している可能性も否定できないように思います。

男性が女性に関心を抱き、女性が男性を意識する異性愛の規範は、今日でもマジョリティに位置づけられることは間違いありませんが、男性は女性を性的関心の目線から意識しているのが通常という発想は、あまりにも価値観の多様化な個体差を無視した無機質な構図だといえるかもしれません。メディアやSNSなどでそうした目線を植えつけたり煽るような表現が横行することで、今回のようなケースへとエスカレートすることの弊害を考えるなれば、人間が魅力的な表現を通じて惹き合うことへの価値観のアップデートもまた必要なのかもしれません。

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橘亜季@『男はスカートをはいてはいけないのか?』の著者
学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。