成人の日の多様化とジェンダー観。
今年も成人の日です。朝から艶やかで可愛い振り袖姿の新成人を街中で見かけると、やはり自分の頃を振り返って清々しい気持ちになりますね。
ここ数年はコロナ禍でリアルな成人式を行わない自治体も少なくありませんでしたが、今年は行動制限がないということで会場や美容室なども大賑わいに地域も多かったようです。
やはり、お正月気分が落ち着いてこの時期に行われる恒例としての成人式は、本人や家族、あるいはサポートする専門職などでなかったとしても、日本のよき風物詩として心に刻まれていくものですね。
そんな成人式にも、コロナ禍の影響以外の変化がみられます。第一は、昨年の成人年齢の引き下げです。成人が20歳から18歳に変わったことにより、当然に成人式のあり方も随所で見直されています。
当然のことですが、法律によって成人年齢が引き上げられると、19歳や20歳の人の中には、一度も成人式を迎えずに成人になっていたという現象が起こるため、経過措置や特例が置かれるケースも多いようです。
ある自治体では20歳と18歳の成人式を時期を変えて実施したり、20歳には成人式に準じた行事を行ったり、そもそも成人式自体は引き続き20歳のままの地域もあったり、しばらくは多様な形態が併存していきそうですね。
もう1つの変化は、振り袖のあり方。コロナ禍の影響もあって、ここ数年は手軽に好きな色目や柄が選べるレンタル衣装が主流でしたが、今年はレンタルではなく購入のニーズが復活し、さらには母や祖母の振り袖をリメイクするケースも増えています。
新成人の世代は、かつての若者のように頻繁に新しい服を買い替えるようなファッションにのめり込んだ人は少なく、むしろ普段から古着や自分流にリメイクした服に袖を通すことに抵抗感がないことから、一生に一回の振り袖にリメイクを用いるのも違和感がないといいます。
そもそも着物は、こだわって仕立てが良く仕上がったものほど、母から子へ、子から孫へと受け継がれることで、それが持つ本来のスペックが輝いていく衣装ともいえ、アンティークな意味で再興していくことで、かえって「自分色」が得られるのかもしれません。
さらには、ジェンダーをめぐる多様化の傾向もみられます。かつては、新成人の衣装といえば、女性は振り袖、男性はスーツが基本でした。さまざまな事情で、振り袖ではなくスーツなどを着る女性もいましたが、羽織袴を着る男性はごく少数派でした。
一生に一回の晴れの舞台で、女性が華麗な振り袖を着るのであれば、男性は凛々しく羽織袴を着るのが本来のつり合いだと思いますが、明治以来の男性の洋装=正装化の流れが揺らぐことなく今日にいたっているのかもしれません。
とはいえ、ここ最近は、羽織袴姿の男性もずいぶん増えてきました。そして、従来は羽織袴といういうと、決まりきったデザインで無地に近いシックな色彩のものがほとんどでしたが、最近は女性もの顔負けなくらい、派手で個性的な仕立ても目にするようになりました。
このような変化は、今後も当面続くのではないかと思います。すべての女性が成人の日に派手に着飾る必要はないし、逆にこだわりを持って自分らしく個性を表現する男性がいてもいい。素直にそう考え、行動する人が増えているのではないでしょうか。
世の中、何でも多様化すればよいとは限りませんし、人それぞれの個性の基盤となる文化なり伝統には、多くの人が無意識のうちに共有する景色が宿っているものではないかと思います。その上で、行き過ぎた習慣やルールの押し付けは個性を破壊してしまう。
ジェンダーは、その分岐点となりがちな典型なのかもしれません。大人としての誇りと自負をもって出発する第一歩は、かけがえのない個性を思う存分輝かせつつ、歴史や文化を受け継ぐバランス感覚をつかむ瞬間でもあってほしいものです。