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なぜ「ジェンダー」がテーマになるのか?

最近、ひと昔前と比べても、毎日のように「ジェンダー」にまつわる情報が多いなと感じます。

それはきっと私が興味をもったり発信しているからだけではなくて、現に今の世の中の時流なんだと思います。

なぜ、こんな時代になったのでしょうか?



俗にいわれるように、「女性が強くなった」「人権意識が高まった」「国際的な流れ」などもあるかもしれませんが、もっと根本的な問題があるように思います。

結論からいえば、「ゼロサム型」の分かりやすい原理モデルの時代が、文字どおり終わりを告げたから。

昭和型の社会システムでは、全部がそれで網羅されていたわけでないにせよ、男と女はタテマエとしては社会的にもまったく異なる役割・属性だと意識されてきたし、少なくも表面的にはそれで大きな軋轢はなかった。

良いことか悪いことかの判断はともかくとして、それがいよいよ通用しない時代になったということだと思います。



しばしば、「ジェンダーはグラデーションだ」といわれます。

このような理解には注意が必要な面もありますが、一般的・概括的な受け止めとしては、まあまあ穏当な表現だと思います。

そもそも人間の“原型”は女であって、母親のお腹に新たな命を授かった段階から、そのままストレートに女として誕生する類いと、ホルモンバランスががらりと変わって男として生まれる類いとに分かれる。

したがって、ジェンダーというモノサシにおいても個体差がかなりあるのは当然であって、男と女の二極性は、必ずしも磁石のS極とN極の関係のように理解するのは適切ではない。



そこで、私たちがやるべきことは何なのでしょうか?

ともすれば、すぐ性的マイノリティのテーマばかりに目がいってしまいます。

もちろん、マイノリティについて理解して、支援すること。これはとても大切なことですし、「アライ」はひとりでも増えたらいいなと、私も心から思います。

でも、同時に、ジェンダーのテーマがそこに集中することによって、結果として世の中の盲点になっている部分があるようにも感じます。

そう、それが「広い意味でのマイノリティ」。いいかえるならば、「マジョリティの中のマイノリティ」です。



私なりの表現でいうなら、ジェンダーについての受け止めや認識がじわじわ変化し、今までのバージョンからアップデートされるのは、人間としての無意識のうちの“生存戦略”です。

従来のように、男に生まれたら旧態依然と男をやっていて、女に生まれたら何の疑問もなく女をやっていたのでは、社会的にも経済的にも(もしかしたら文化的にも)、おいしい思いはできない時代。

もとより、そんな性別役割が社会制度として明確に根づいたのはそんなに古い歴史ではありませんが、いずれにしても、もうかなり老朽化しているのは間違いないのですね。



ジェンダー=もっぱら性的マイノリティのテーマ?

こんな認識がそろそろ、もうちょっとはリアルに幅広く更新されるといいなと個人的には思っています。

「男らしさ」「女らしさ」のコンセプトのみに依拠して、幸せな家庭を築くことは難しいし、経済的にも社会的にも成功することは難しい。

だからといって、性急に今までの価値観とか生きざまを否定したり破壊することもできないし、すべきでない。

つぎなるロールモデルにむけた、前向きで建設的な思考錯誤。

これが、今の時代に「ジェンダー」が大きなテーマになっている最大の理由なのではないでしょうか。

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橘亜季@『男はスカートをはいてはいけないのか?』の著者
学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。