ジェンダーイベントでトイレ問題?
最近、いろいろなところでトイレが話題になっています。
私自身がジェンダーをめぐるテーマに興味があるからということもありますが、社会的な関心もそのように感じます。
とくに性別について深く考えたり、こだわったりすることがなくても、自由な表現をとりたいと願ったり、あるいは多様なカルチャーを持つ人と一緒に過ごすことだってあると思います。
私たちがふつうに社会生活を送っていて、ジェンダーを意識するのは、おもに何かの手続きや書類などに「男」か「女」かに「○」をつけることが求められるなどの機会を除くと、やはりトイレを使うときが一番かもしれません。
これだけ多様性が叫ばれている時代ですから、とくに日本の都市部では、まあまあジェンダーフリーな奇抜なファッションをしていても、公序良俗に反するのでなければ、それ自体が問題となるケースは少ないと思います。
先日、ある講演会に参加しました。テーマは、ほかならぬジェンダーに関するものです。全国でも有名な方を講師に招いて、大きな会場にぎっしりの大盛況でした。
予定よりも早く着いたので、自分の席を確認してトイレを済ませたところ、お手洗いのところで複数の人からギョッとした視点を向けられ、ある人は「ごめん、間違えた」といっていったん立ち去りました。
私はそれほど奇抜な恰好をしていたつもりはありませんが、やはりとっさのことに驚きました。小さく「ごめんなさい」と声をかけて、ゆっくりとトイレから出ました。
どんな服装がどう見られるかは主観的なものもあると思いますし、その人の体格やその場の雰囲気にもよるかもしれませんが、驚きを隠せないとともに申し訳ない思いでいっぱいになりました。
でも、よく考えてみたら、まさにその地域あげてそうそうたる団体が後援してのジェンダーにテーマをしぼった大イベントの会場。せめて、こんな場でならば、世の中にはいろんな多様性をもった人がいると認識されないものかなと心の中でつぶやきました。
なにごとも自己責任だと思いますし、結果として場を混乱させては社会人失格ですから、そうならないように冷静に対応するように努めましたが、やはり世の中はまだまだ、本音とタテマエなのだと痛感した瞬間でもありました。
ただ、自分が逆の立場でも同じことがないとは決していえないし、かつては似たようなことを感じたことも多かったので、リアルな現実はやはり難しいとあらためて強く感じました。
人間はどなたがどんな考えを持ったとしても、それが他人を傷つけることがなければ基本は自由が原則だと思いますが、だからこそ、自分の意見や主張ばかりに固執するのではなく、自分と違う考えの人どうしが認め合っていくことがなにより大切だと思います。
その上で、それぞれの人がいかんなく個性を発揮しつつ、みんなが心理的にも安心して安全に過ごせる場が少しでも増えるように、自分ができることを少しつずつでも取り組んでいきたいものです。