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日本人女性の声はなぜ高いのか?

一般的に男性の声は低く、女性の声は高いです。
だから、私たちは電話で話しても、ほとんどの場合、声だけで相手の性別を判断することができます。

男性と女性では、声の高さだけでなく、トーンや語調や言葉遣いなどもまるで違いますから、高さ自体は微妙という場合でも、たいていは無意識のうちに男性か女性かを判別できるはずです。

ただ、同じ男性同士でも、女性同士でも、声の高さというのは人によってバラバラであり、男性にしてはかなり高いという人もいれば、女性でも相当低い声という人もいます。

それは職業や社会的役割によっても変化すると思われ、一般的に顧客に対して声を使ってアナウンスしなければならないような仕事の場合は声が高く、また男性でもクレーム対応するような場面ではできる限り高い音域の声を発する傾向があります。

逆に、冷静にディスカッションをしたり、学術的だったり政治的な話題について自説を述べるような場面では、基本的にはなるべく低い声で相手をたしなめるような発声をすることが多く、この傾向は女性でも変わらないと思われます。

テレホンアポインターの男性の声がものすごく高く、海外の有力な女性政治家の演説での声が低くたくましいのは、これらのことを端的に物語っていると考えられます。



ところで、日本人の女性の声は、世界的にもかなり高いことが知られます。

私たちは日本人同士で話しているから、男性の声は普通に低く、女性の声は普通に高いと思ってしまいますが、客観的に日本人女性の声は、世界の中でも高い傾向にあるそうです。

たしかに、海外の女性政治家や有名人などのスピーチを聞いていると、全体的にかなり低めで抑揚をつけて論理的に話している傾向が強いのに対して、
日本人女性の場合は、とくに若い人の声が響きわたるくらいに甲高いのが印象的なだけでなく、ある程度の年齢の人でもかなり高めの発声をしていることに気づきます。

ある研究では、アジアとりわけ日本人の女性の声はきわめて高く、しかもそれは生まれ持っての特徴というよりは、社会的な風潮の中で無自覚のうちに馴染んできた結果なのだといいます。

いわれてみれば、日本では若い女性の声が高いと、一般的には可愛いとか愛くるしいといった、肯定的な評価に受け止められることが多いです。逆に、海外経験のある女性の中には、女声でなめられたことがあると語る人も少なくありません。

日本語と、英語やドイツ語などとは発声の仕方や一般的な音域なども違うでしょうから、やみくもに日本人女性の声が高いと決めつけるのは早計かもしれませんが、一般的な傾向としては多くの人に当てはまるのだとすれば、やはり興味ぶかい論点だと思います。

日本では、女性の声は高い方が対外的にポジティブな印象を与えるから、女性たちが自分ではほとんど意識しないうちに、生まれもっての声のトーンをあげていっているという仮説が成り立つとするなら、その二次的な影響もまた気になるところです。



日本のジェンダーギャップは世界の中でも深刻なことが問題とされています。年金や税制における扶養制度もさまざまな角度から議論され、それらが女性の社会進出を妨げているという見方もあります。若者を中心にジェンダー観の変化が顕著になりつつあり、「デートで男性がおごるのが当然」という主張がネット上で炎上するご時世です。

これらと女性の声の高さとが直接関連しているとは思えませんが、少なくとも日本社会における「女らしさ」という規範の一部にはリンクしているとするなら、無自覚のうちに声のトーンをあげることで「らしさ」に順応してきた女性たちのリアルは、これからまさに過渡期を迎えるという予測も成り立つのかもしれません。

思えば、男性の低い声も、子どもの頃に「声変わり」を迎える前は、まわりの女子たちとほとんど変わらないくらいに高いのが普通です。声変わりのタイミングや程度には個人差があり、したがって男性が大人になっても比較的高い人もいます。

そうした男性たちも、もしかしたら社会に順応するために、「男らしい」低くてたくましい声になるように、無自覚のうちに変化してきたのかもしれません。



今では、科学的に「男性脳」「女性脳」というものは明確には立証されず、基本的には性差による顕著な区別以上に、個人の特徴による「個体差」の方がはるかに大きいとされます。

もしかすると、声についても似たような傾向が認められるのかもしれず、高さや低さだけでなく、私たちが日常的に「男らしい」「女らしい」と感じているものは、実際には明らかな性差以上に「個体差」の方が大きいのかもしれません。

女性活躍の推進がますます求められる日本の現状を考えるとき、若い女性の甲高い声を必要以上に称賛したり、男性の低い声を過剰に頼もしいと感じたり、そもそも男性の声と女性の声はまったく相容れないものだと考えすぎることには、相応の意識を払って対応していくべきだともいえるでしょう。

わざわざ太くて低い声を出す必要はないにしても、冷静に理論的に活発な態度で発声して堂々を自説を展開する女性に対して、なんの偏見もなく受け入れて純粋にその議論の中身について分け隔てなく評価する時代なのではないでしょうか。

だれが高い声を出そうが、低い声を出そうがもちろん自由ですが、少なくとも知らず知らずのうちに高い方に引っ張られて、全体として偏見やそれに基づく不利益が起こっているのなら、そうならないようなバランス感覚を社会全体で考えるべきなのではないかと思います。

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橘亜季@『男はスカートをはいてはいけないのか?』の著者
学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。